ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

「さみしさ」の8割ぐらいは、自分の心が原因だ

私は昔から「優しい男」に引っかかりやすい。

「優しい男」に文句はないが、問題なのは「優しいだけの男」と紙一重であること。私が未だに未婚なのは、7割がこの「癖」によるものと思う(3割はモテないからw)。 

なぜ、「優しいだけの男」に引っかかってしまうのか。理由は簡単。「さみしい」からだ。

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「さみしい」とは、辞書によるとこうある。

 親しい人がいないなどで、心が満たされず物悲しい。

親しい人がいないという事実ではなく、いないような気になってしまうことともいえる。

連休中、旧友たちの優しさに触れ、心満たされたことは前にも書いたが、「さみしさ」の最たる原因は、この人たちの存在を忘れてしまう、自分自身の心なのかも。 

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最近私は、西田文郎という人の本ばかり読んでいる。この人は「メンタルトレーニング」のプロで、名だたるオリンピック選手やらプロスポーツ選手のメンタルを指導してきた人らしい。

私は「ツキと幸運がやってくる31日の習慣」という(タイトル的には「うーん」な)本を参考に、毎日簡単なトレーニングをするのだが、3日目にして既に効果あり。

 

「支えてくれた人に感謝しなさい」とか、割とそういう内容なんだけど、騙されたつもりでやってみると、なんか意外にもねー、ごぶさたしちゃってるけど本当はまた会いたい人っていっぱいいるなぁ!

ってそれだけで、満たされた気になってくる。お母さん、産んでくれてありがとう!みたいな(私は素直な性格です)。

生涯未婚率が上がっているとか、孤独死する人が増えているとかいうけど、人間、本当に本当に独り、なんてことはないのだ。

人間関係に対する意識は、自分でコントロールできるものだし、そこで満たされた感じになれれば、新しい人間関係にも、もっとポジティブになれるはず。そしてきっと、これが本当の意味での「精神的自立」なんだと思う。

ひとり旅、ふたり旅

ひとり旅はいいものだ。

目的地を決め、計画通りに実行すれば、全てが自分の思い通り。人に気を使う必要はないし、異国を歩く自分の姿も、勇敢で格好いい感じがする。

と、若いころにはこういう理由で、ひとり旅をよくしていた。ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど数えきれないほど行った。

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しかし。

見たいものをある程度見ると、欲しくなるのが、「想い出」というもの。ひとり旅だと記録(写真)は残るが、記憶は自分の記憶次第。人と共有できるものは少ない。

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さて、最近私は、ふたり旅をしてきた。

見たいところが多いわけではなかったが、それにしても連れが、見たいものを見せてくれない。旅の価値観が異なるのだ。

その代わりに、連れが見たがっていたものの中で、見て良かったものがたくさんあった。

田舎の山道で古い地図と格闘したり、渋滞を歌って乗り越えたり、独りではできないことも多かったし、自分で予定していなかった中で、期待以上のできごとがあった。写真はろくに撮れなかったけど。

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というわけで、ひとり旅はいいものだが、ふたり旅もまたいいものだ。比べるのもアホらしいくらい、質が異なる。

計画と勇敢さで満足を得るひとり旅に対し、ふたり旅は、道中が丸ごと想い出になりうる。

喧嘩の作法

何の自慢にもならないが、私には、男のプライドを傷つける才能がある(遺伝です)。

  • 相手の論の矛盾を突く
  • 事情を推し量らず、正論ばかりを主張する
  • 弱いところをわざわざ攻める

これさえ押さえれば、男のプライドはズタズタ。「男は論理的、女は感情的」とされている中、論理で女に潰されるんだから、それはそれは辛いだろう。「尻尾巻いて逃げる」男を、これまで何度見たことか。。。

 

しかし!男のプライドを潰したところで、私には何の得もない。喧嘩には勝てたとしても、その関係ごと失ってしまう。未来のある喧嘩をするには、守るべき作法があるのだ。

 

と、こういうことを書くのには背景がある。私はある人物を、「未来のある喧嘩」に導きたいのだ。

その人は会社の同僚(女性)。先日私が、会社に対する不満を口にしたところ、その人の心に火がついてしまい、ことあるごとに吠え、「内部告発したい」などと穏やかでない。しかし、このままほっとくと「未来のない喧嘩」になりそうなのだ。

そこで私は考える。会社における、喧嘩の作法とは何か。。。

  • 相手の論の矛盾を突く→×
  • 事情を推し量らず、正論ばかりを主張する→×
  • 弱いところをわざわざ攻める→×

男と女の喧嘩も、会社との喧嘩も、やっちゃいけないことは同じ。喧嘩したいんじゃなくて協力したいんだから、

・論の正しさよりも、共感ポイントを探す
・正論ばかり主張せず、双方の事情を推し量る
・弱いところを見せ合い、協力できる方法を考える

これだ。双方がこういう想いでないと、「未来のある喧嘩」なんてできない。しんどいプロジェクトにただ、潰されてしまうだけだ。

まっ、元々は、同僚の人間関係をぶち壊すほど、しんどいプロジェクトを立ち上げた会社に責任がある。喧嘩や内部告発を通して、チームが育てばそれで良いのか???

泣いて心を裸にする

今年の3月から、「涙活」と称して映画観賞をしている。少なくとも隔週で名画座に通い、感涙する時間を作っているのだ。

昨日は、目黒シネマで「ニュー・シネマ・パラダイス」。20年前に見たけれど、20年後もしっかり泣けた。

www.okura-movie.co.jp 

涙活の必要性を感じたのは、もちろん仕事がきっかけだ。論理や数字や効率ばかり求められる毎日。どうやら成果は出したらしいが、自分自身が喜んでいない。感情そのものが、枯れているのを感じた。

そこで傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」。私はもちろん、そこら中からすすり泣きが聞こえる。

みんながみんな、泣いて心を裸にしている状態。どことなく空気が柔らかく、自分も優しい気分になれる。平日の張り詰めた会議室とは、大きく異なるものがある。 

この作品は、主人公のトトと映写技師のアルフレード、そして村の人たちが、戦時下にあっても(映画を通して)笑いや涙を共有した、というストーリーだけど、

今を生きる私たちも、論理と数字と効率の世界で、緊張ばかりして暮らすのではなく、笑いとか涙とかいう、あってもなくても死にはしないものの価値を、改めて見直したほうが良い。それがあって初めて、人生を味わえる気がする。

頑張り屋だから捨てたい2つのこと

久しぶりにすっきり目覚めた土曜の朝。ストレスがない週末なんて、およそ2ヶ月か、ヘタすりゃ半年ぶりだろうか。

連休明けの今週は、ミスの後処理など、気の重い仕事が多かった。

がっ、開き直って同僚に、「私はしんどかった(=ミスしたくてしたわけじゃない)んだ」と告白。そしたら逆に仲間が増えた。

独りで抱え込むなんて、バカなことをしたもんだ! 

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ということで、朝からモチベーション高く、(週末のタスクである)掃除もしたし、映画も見たし、友にも会った!明日は副業頑張れそう!

しかし最近はGWも含め、週末といえばグータラ。予め決めたタスクもこなせず、そんな自分を責めてすらいたが、私だってストレスさえなきゃ、こんなに元気に過ごせるのだ!グータラは疲れている証拠だった。

ということで、私は今回の学びを基に、次の2つの「バカなこと」を捨てる。

 1つは、問題を独りで抱え込むこと。

もう1つは、グータラな自分を責めること。

抱え込むのは頼られてる証拠。頼られなければ抱え込むものもない。

グータラは頑張ってる証拠。頑張らなければ疲れ切ることもない。

人に頼られるのは素晴らしいこと。頑張るのだって素晴らしい。だけど人は私を頼って、私を不幸にしたいわけじゃない。私も人を頼れば良いのだ。

「独りじゃない」の意味が分かった。

覚悟を決めたら、逆にやる気が湧いてきた

ここ最近、「会社なんか辞めてやる!チキショー!!」気分だった私。 

その気分は連休中、「どうせ辞めるんだったら、いいたいこと全部いったるわ!」気分に昇華した。

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連休中に酔いながら書いたメモ

連休明けの月曜は、全員集まる会議があって、

その会議にはわざわざ「今の気分を率直に語る時間」があるのというのに、みんな連休の報告ばかりで、「率直に」なんて語りやしない。

そこで私は「本当に率直に語ります」という前置きで、2つのことを告白した。

1つは、最近ずっと、しんどかった。しんどいことがいえなかった。ということ。伝えなければ伝わらないから、伝えることを決めた。ということ。 

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もう1つは、(上司はともかく)みんなのことは好きだから、もっと信頼関係を築きたい。ということ。 いつまで一緒に働くか分からないけど、心残りはそれだけだ。ということ。

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普段クールっぽい私のこんな発言にはインパクトがあったみたいで、声を震わせ喋った後には、みんなが拍手をしてくれた。 

そして、「ネガティブな発言をしてはいけない」という雰囲気に風穴が開いたのか、そこかしこで「率直に語る」人が増えたような気がする(たった2日で!)。

出世より昇給より、これが私の目指す世界、なのを実感した。 

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「覚悟」という言葉には、「迷いから覚めて、真理を悟る」という意味があるらしいらしい。

「本当に辞める」と覚悟したら、迷いが晴れ、大切にしたいことがよーーーく分かった。

人には「優しさ」という能力がある

連休が終わった。

今年は旅行などせず、ただただ毎日人に会った。久しぶりの連絡にも関わらず、1人残らず優しくて、情緒不安定の私には、ありがた過ぎる連休だった。

私は人に、優しくしたい。そして人から、優しくされたい。

当たり前過ぎて自覚しなかったけど、私にとって人生の目的はこれだ。

健康な体も平和な世界も安定した暮らしも、全てこの目的を果たす手段に過ぎない。心を亡くすぐらいなら、すぐにでも手放さなければ。

ということに、この連休で気づいた。

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「信」弱いままに助けられ守られていく喜び

もう1つ気づいたのが、

優しくされたければ、甘えなければならないということ。

もちろん甘えてばかりはいけない。けれど本当に困ったときは、逆に甘えなければいけないのだ。

そうでなければ伝わらないし、意外にも人は、甘えられるのを待っている。甘えなくても自分はできる、なんて勘違いしてはいけない。

連休明けは修羅場の予定。

クビになっても構わないので、甘えるだけ甘えて乗り越えられたら、皆さんに感謝を伝えたい。

大切にする人、しない人

ブルゾンちえみが流行っている。

別れた彼氏が忘れられないという「ダメウーマン」に対し、「地球上に男は、何人いると思ってんの~?」(35億!)というあのネタは、「何でオマエみたいな女が…」という面白さ以上に、凄い勇気を与えてくれる、ポジティブ・ワードな気がしてきた。

www.youtube.com

最近仕事で病んでいた私。GWは1日たりとも独りで過ごす日を作らない!と決め、ゲリラ的にあちこち連絡をした。

そうしたらですね、予想しなかった歓待を受けたり、予想しなかった出会いがあったり、人生捨てたもんじゃねぇ!と、素晴らしい気分になれたのであります。

冷静に考えてみれば、今、私の問題になっている(?)のはせいぜい2人。それと引き換えに、救えた人はいっぱいいる。

ブルゾンちえみ風にいえば、「地球上に大切な人は、何人いると思ってんの~?」(いっぱい!)である。

昔から好き嫌いが激しく、嫌いな人はどこまでも嫌いで、しっかり嫌われもしてきた。だけどその代わりに、好きな人には好かれてもきたというのが、GW前半の気づき。

もうちょっと、大切にする人とそうでない人を決めよう。心の弱さや欲で、要らないものまで求めなければ、人生は大切にする人だけできっと回っていくはずだ。

大きな商いに必要な強さ

最近「メルカリ」のカオスっぷりがニュースになっているが、実は私が会社で企画したノベルティグッズも、メルカリに出品されていたことが分かった。

ノベルティとはいえ10万部も作っていれば、社会的なインパクトがあるものだ。久しぶりにびっくりした。

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さて、私はここのところ、小さな商いを楽しみたいだの、半径10メートル以内の人間関係を大切にしたいだのと書いている。本音は重労働に負け、会社を辞めたかったのだ。

大きな会社で働いていると、エンドユーザーがまるで見えない。自分の仕事が遠いところで、どんな影響を与えているか分からない。社会的インパクトって響きは良いが、自分に責任取れないところで、稼いでいるのに不安があった。

それに比べて、自分の視野の範囲で、全て完結する安心感。このトレードオフに勝てる人が、大きく稼げる人なのだろうか。

そういえば若い頃から、「稼ぐ人」に対する違和感があった。大きな商いで大きく稼ぐ人には、驚くほどの強さがある。人を人として見ない強さ、例えばユーザーを数字としか見ない強さだったり、部下を道具としか見ないような強さだ。

今回のことではっきり分かった。私は、そういうところで働けないって。