超ソロ社会 「独身大国・日本」の衝撃|荒川和久
・現代は、個人が流動的に「液体」のように動き回るリキッド社会になった。安心・安全・安定した固定的共同体が失われたことで、人は自由に動き回れる反面、常に選択や判断をし続ける自己責任を負う
・結婚というのはある種の宗教に近いもの。未婚者に対して「結婚しなさい」とおせっかいをするのは、宗教における勧誘と似ている。自分の信じることが絶対に正しく、それがわからない人は「可哀想だ、救ってあげないといけない」という心理が働いているのだろう
・確実な報酬よりも、リスクを乗り越えた先の大きな夢への誘惑に勝てない(高望みばかりする、結婚意欲のない人の心理)
・エモーショナル・ブランディング=人々とブランドの間に、強固な感覚的価値をつくり、人々がブランドの価値を楽しむことが、関係を強化することを可能にする
・クラウドファンディングでは、メーカーと支援者がある意味信用でつながり、(1つのモノを作りあげることという未来の喜びを通して、)運命共同体となる
・結婚しないと、家族がいないと、あたたかい食卓の幸せを感じられないわけではない
・(たとえ家族や親子でなくても)自分と興味関心や価値観の合う人、考え方を同じくする人との交流で十分幸福は感じられる
・大量消費時代は「十人一色」だった。それが今や「一人十色」となった。自分の中に分人が10人いれば、依存する対象が10倍に増える。ひとつのモノや人に強く依存する状態から脱し、広く他者や社会とつながる意識が必要
・「少子化解決のためには結婚をすべきだ」という論を主張したいなら、むしろ結婚という契約に依らなくても子どもを産み育てられる社会システムづくりを優先すべき
・生殖や性交渉を伴わない、異性間の経済協力婚もあり得る
ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない!|堀江貴文
・真面目で騙される人は、真面目のベクトルが間違っているのに気づいていない
・感情とは全て思い込み
・真面目すぎる人は問題の切り分けが下手なだけでなく、問題の原因を周囲(世間)にあると考えがち
・大きなプロジェクトの仕切りは、実務力より俯瞰力が重要。どこの誰に話を通すか、いくらで何を外部に任せるか
・一番問題なのは、「人に頼らず自分で何とかしよう」と意味なく頑張り続けるヤツ
・凶悪事件に手を染める若者など、思い込みの激しい童貞を鎮めるには、女性を経験させるのが、ある意味最も効果的
・解決策は、閉鎖的な狭い世界にはまずない
・悩んでいる人に相談されたら、まずは「逃げ道」についてケアしてあげよう
・これだけ情報が溢れ、選択肢が多い世の中だから、自分で思考するのは重労働。だけど善悪の区別や自分の行動を、誰かのアドバイス通りにしてはいけない
・優れた情報を浴び、常に思考を止めず、実践を繰り返す
・シェアすべきは、苦しみではない。喜びや感動、自己の成長だ
・人格を、真の意味で保証できるものはカネではなく、信用
・特別な知恵も才能もない人間が信用を得るには、自分から奉仕しないといけない
僕らの時代のライフデザイン|米田智彦
・自分の人生を国や会社に任せるだけで豊かになる時代は終わった。それを切り拓くことは個人でも十分できる
・ほんの少しの勇気と行動力、どうなるかわからない未来をポジティブにとらえ、予期せぬアクシデントさえ面白がれる好奇心をもって、人生を選択する
・ナリワイは、個人レベルで始めることができ、自分の時間と健康をお金と交換するのではない仕事
・ナリワイの種を実生活の中に見つけ、一つ一つを小規模な自営業として機能させる
・自分のスキル自体を切り売りするのではなく、それをナリワイのために使う
・体験や実践のないことが、今の情報化社会の問題の一つ
・つながりを生み出す場所をいかに主体的に選ぶかがワークデザインの要
・スナックのママやバーテンダーのような人が、スペースやコミュニティの運営には必要
・本当のノマドとは、人生という地図の中で今すぐ旅のできる人
・自分たちが心底興奮できるものこそ、人々に届くコンテンツや商品である
・長期の到達点は、あくまで短期計画の積み上げでしかない
・クランボルツの計画された偶発性。好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心
・リーンスタートアップのように、早いタイミングで小さな失敗を積み上げる。動き出すのが遅くなればなるほど不利になる
・いくつか拠点があるだけで視野は広がり、往復することで複数の目がもてる
・自分な人生をつくるのは自分。誰かがどこからか来て救ってくれる、そんなことは起こらない
かかわり方のまなび方|西村佳哲
・その人が本当に決断していることを認めるのは、とても大切なこと
・ほかの人が何気なくスルー出来ている局面で、どうにも引っ掛かってしまうことがあるなら、そこには自分の課題ないし自分の仕事がある
・学校では教育の商品化が進んでいて、扱われる内容は“知識や技術”など「教えやすいこと」に偏って、“あり方や存在”は教えようがなく、たいてい手薄
・私たちが働けるのは、自分の願いと社会のそれが重なるところ
・“手法”と“態度”は掛け算のようなもの。0×2は0でも2×2なら4になる
・いろいろな技法を並べたところで、人格的な関わり合いのないところには統合も成長も起きないし、そもそも力は湧いてこない
・存在そのものが、場に対して決定的な影響を与える
・ファシリテーターにとって、ワークショップに集まった人々がどんな存在に見えているか。“足りない”存在に見えていれば、与えたり付け加える方向へ動くだろうし、“迷っている”存在に見えていれば、道筋を示すほうに動くことになるだろう
・貧富の差としての学力の差は、結局のところ意欲の差
・経済的成長が一段落して成熟社会へ移行していくなら、大切なキーワードは多様性であり、教育は「一つの正解」でなく「一人ひとりの納得解」の探り方を教えるものになるだろう
・高度成長期の日本では、子供の生活経験や自主性に重きを置いた教育は、知識が断片的で系統性に欠け、成長期の社会を担う人材育成には期待できないという判断を受けた
・聞いたことは忘れる。見たことは憶える。体験したことは理解する。発見したことは活用できる(イギリスの諺)
・自分のことを好きな人が、人に関わるのは大事なこと
・「自分」という主語のある言葉で語る。そうでないメッセージは一般論になり。語る本人には楽だがコミュニケーションが成立しない
・目の前で耳を傾ける人に「共感」「無条件の肯定的尊重」「自己一致」の三条件が揃えば、人は自分が進む道筋を自分自身で見つける能力を持っている
・互いに力を与え合う有機的な関わり合いを通じて、“自分の仕事”は“私たちの仕事”になる