ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

農的暮らしから学ぶ -前編-

1年通った「シェア畑」は、8月末で解約することになった。

理由は遠いから。30分の農作業のために、往復2時間通うのが辛い。

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夏の畑では、キュウリ、トマト、オクラなど、旬の野菜が育ち放題である。
育つのは野菜だけでなく、雑草だって伸び放題。全身蚊に食われながらの草刈りは、正直いって辛い。
だけど、あと1ヶ月半でお別れとなると、こんな格闘すらも名残惜しく、帰り際に自然と「ありがとう」が口をついて出てくる。

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畑からは本当に多くのことを学ばせてもらった。

1つは、土をきちんと作って、ときどきメンテナンスしてあげれば、後は自然の力によって、大きくたわわに実るってこと。

もともと土いじりは好きだったけど、プランターとはまるで違っていた。小さい畑ながら、大地ってものの力を感じた。 

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もう1つは、自分で育てた野菜は、なかなか形が揃わないってこと。

キュウリにしてもイチゴにしても、全てがいびつで個性的で、普段、スーパーで目にする野菜は本当に同じ野菜なのかってぐらい。  

ま、私の育て方が悪かったのかもしれないけど、自然ってこういうことなんだろうと。形をきれいに揃えるには、人工的で人為的な作業が必要なんだろうと解釈した。

tokyo100k.hatenablog.jp

こういうことを、すぐ人間に当てはめるのは悪い癖だが、人間も一人ひとりが、いびつで個性的な存在である。

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としたら、人工的で人為的な枠にはめるより、自然に生きるほうが、大きくたわわに実るのではないだろうか。

必要なのは、その人に合った土(環境)に植えてあげることと、ときどきのメンテナンスを施すこと。それさえあれば、キュウリはキュウリになっていくのだ。

(続く)

平成への偲びに代えて

あの事件の死刑が執行された。

私の周り及びSNSで、これを話題にしてる人は一人もいなかったけど、私は気になって気になって、AERAの記事とか全部読んでしまった。

 

というのも、あの事件が起きたその日、私は中学の卒業式で、卒業式そのものよりこの事件のほうが印象に残ってしまっていて、

その後、私の世代だと、2年後に神戸のサカキバラ事件が起き、その翌年に和歌山のカレー事件が起き、その3年後にニューヨークの9.11がありって、

思春期の多感な時期に、信じられないような事件がたくさん起きて、

多感な年頃なりに(頼まれもしないのに)一生懸命葛藤したことを、思い出してしまうのだ。

 

当時も今も、葛藤の末に行き着くのは、こういう凶行を起こす人たちが、生まれながらに凶人だったわけではないってこと。いや、ない「はず」だっていう信念。「凶人」というレッテルが、孤独が、人を本物の凶人にしていく、というか。

勿論、凶行を擁護する意図はないけど、凶行ってのは、ある日突然起きるわけではなくて、ちょっとしたボタンのかけ違いが、ちょっとちょっとという内に大きくなって、とんでもない凶行に繋がっていく。そんなことを、思春期なりに考えていた気がする。

 

今回の死刑執行は「平成のうちに」とかいう事情で行われたものらしい。裏で重要法案とか決まってるかもしれないけど、表向きはそうらしい。

ただね、この教団って、最終的には凶悪犯罪集団と化したわけだけど、どうしてそれが起きたのかっていう社会病理的な部分、その本質自体は、社会から消えてなくなってないような気がするのだ。本人たちが消えただけで。

もし償う気があったなら、それを明らかにして欲しかった。たとえ小さな示唆だとしても、未来に残して欲しかった。

そういう意味で「死んで償う」は、最高刑じゃないのかもしれないし、平成の次の時代は、こんなことが起こらないようにしたい。

五感を満たす休日 -和菓子作り-

初めての「和菓子作り」を習ってきました。

教えてくださったのは、文京区本郷にある和菓子店「喜久月」さん。

作ったのは夏にふさわしい、水ようかん、くず桜、練り切りの朝顔に団扇と、やー、茶会でも開かないと食べきれそうにありません!

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5人いれば5通りの朝顔

これら4品作るのにどれほどの労力がかかったか。実はとっても楽ちん。本気出せば1時間でできます!

材料も製法もシンプルだし、わざわざ高いの買わなくたって、粘土みたいにこねこねと、楽しく家で作れるじゃん!

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団扇に骨の部分を刻印したところ

そんな気がする反面、グラム数とか分数(ふんすう)とかレシピに書き表せることと、熟練した職人でなければ分からない「勘どころ」とがあるのだそうで、シンプルゆえに奥の深い世界観を感じました。

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くず桜の餡に気泡を入れて涼しげに

さて、私と和菓子との出会いは、今から20年以上前、高校の茶道部に入ったときでした。

部の当番で和菓子屋さんに行くたび、棚に並ぶは四季の風物。

まずは目で楽しみ、次いで抹茶との組み合わせを楽しむ。それだけでも贅沢だというのに、今回はそこに「作る」楽しみが加わりました。

「四季がある」という事実に対して、作って、見て、食べる。「四季を味わい尽くす」ってこういうこと。その余裕をこそ「豊かさ」と呼ぶのではないでしょうか。

四季のある国、それを楽しむ国、日本に生まれたことすらも、嬉しく感じるときでした。

2018年7月の行動計画

週末の宮崎行がキャンセルになった。フライトが欠航になったのだ。

残念は残念だけど、半分ちょっと安心したってのもあって、

今週はめちゃくちゃ疲れていたし、そもそも参加を決めたとき、シェアハウス騒動でまともな判断能力なかったし、それでも決断できたのはボーナス支給で調子乗ってたからだし、

明日本当に行くのかー、と考えていたところに、欠航の知らせである。関係各位には悪いけど、ちょっとだけラッキーだった。

さて、2018年も半分が過ぎた。

6月のトピックスは、

・会社で反乱を起こしたこと
・キャリアカウンセラーを目指すことにしたこと

人間覚悟を決めたら、大胆になれるもんだ。そして運よく、全てが割と好転している。

と、ウェイウェイいいたいところだが、悪いトピックスも1点。

・子宮頚がんの半年後検診で、症状が良くなってなかったこと(リスクは少ないが異常ではある)

半年かけてベンチマークした「理想」と、「現実」とのギャップに怒り狂って、自らそれをたぐり寄せようとした6月。しかし体は、小さな悲鳴をあげていた、と。

行動は大切だけど、体も大切にしないと、という今を、宮崎のキャンセルが象徴している気がする。墓参りの効果ではないだろうが。

というわけで、7月の方針と計画。

▼前提

・9月下旬~12月上旬まではGCDFで勉強漬けになる

▼方針

・全て楽しめる範囲で頑張る(疲れを感じたら止める)
・田舎ツアーは月に1回まで
・ワークショップ参加は週に1回まで
・浮いた時間を読書に投資
・シェアハウスとワークショップ主宰は「コミュニティとスキルシェア」を目的にする
・副業のライターとカウンセラー(とスナック)は、「楽しく働く人を増やす」を目的にする
・免疫力UPを目的に「休む日」を作る(NEW)

▼計画

・7/1 和菓子作りワークショップ⇒○
・7/7 キチのガレージセール⇒○
・7/9 農家さんのトークセッション⇒○
・7/10 上半期のふりかえりワークショップ
・7/14-16 むらコト奈良ツアー⇒○
・7/24 つながる場づくりワークショップ⇒○
・7/26 あたラボ
・7/26 他人視点で「自分」を可視化するポートフォリオ作成ワークショップ
・7/29 シェアする暮らしの言いまわしドリル

ほか未定。

目的のないところに意味がある

週末の旅行では、香川の直島も訪ねました。

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直島といえば、瀬戸内国際芸術祭や草間彌生で有名ですが、

本当はアートなんかより、海が素晴らしいんです、ここは。

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瀬戸内の海は、穏やかな海。

ただ立って見ているだけで、妙に心が満たされる。

海なんか見たって、何の役にも立たないのに。それでも今、成立している、この瞬間はなんなんだ。

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そんなことを考えていたら、「目的」に疲れていた自分自身に気づきました。

都会では、来る日も来る日も、タスクに追われる毎日。

「何のため?」と問い、目的が曖昧なものは捨てなければならない毎日。

効率的でなくたって、何の役にも立たなくたって、「ただ、好き」ということを、許されにくい毎日。

だけど、究極の目的って、好きなことをして、心を満たすことじゃないのでしょうか。

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頭が真っ白だって良い。ときに、馬鹿なことをしたって良い。

自分が楽しむこと抜きに、「目的」なんかないのです。

関係性は「関心」が作る

約30年ぶりに、母、兄、私とで家族旅行をしてきました。

目的は墓参@松江。

岡山に転勤した兄が、最近車を買ったので、それで行こうということに。松江以外はノープランでしたが、岡山、鳥取、香川を満喫することができました。

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倉敷(岡山)

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総社&高梁(岡山)

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大山(鳥取

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境港(鳥取

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米子(鳥取

本っ当にノープランだった割に、多くの素晴らしい景色だったり、写真こそないけど素晴らしい料理や温泉だったりに出会えて、これはひょっとしたら先祖の導きなんではないかと。墓参という行為を通して、先祖に「関心」を寄せたことで、得られた導きなんじゃないかと、感じることがありました。

なんというか、先祖だから「当たり前に」導いてくれるわけじゃないというか、「関心を払う」ことが大切なんだと感じたのです。

というのも、30年ぶりに旅行をした私たち3人(母娘はよくあるが、兄は久しぶりだった)。今は東京、静岡、岡山と離れて暮らしていますが、そこそこ仲が良いのは、母が「関心」を払い続けてくれているから。

「けんちゃんは××したがっている」とか「ゆかちゃんは今も昔も○○な子だ」とか、信憑性が低いときもあるにせよ、うざいぐらい関心を払ってくれるから、私たちは安心してくっついたり離れたりできるのです。これは血縁があるからといって、決して当たり前ではないこと。

つまり、30年ぶりでも旅行しようとか、それをそこそこ楽しめたとかいうのには、一定の関係性が必要で、その土台になっているのが、一定の関心なのだと。それには(ときにうざいほどの)不断の努力が必要なのだと、感じたわけです。

関心こそが、関係性を作る。

それは生きていようと死んでいようと、家族であろうとなかろうと関係なく、一朝一夕にはできないもの。それをショートカットすることはできないから、毎日続ける必要があると。

ウェットなのって苦手なんだけど、凄く大切なことに気づいてしまったっぽい、30年ぶりの家族旅行でした。

梅しごとと丁寧な暮らし

リトルトーキョーさんの「梅しごとワークショップ」に参加しました。

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甘く熟した梅の香りがぷ〜んと漂う中、それぞれ500gを、梅酒、梅シロップ、梅酵素シロップに。

アクを取り、ヘタを取り、水気を取って、せっせと仕込むこと1時間ぐらいでしょうか。想像よりも簡単で、これは家でもしたくなる!

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印象に残ったのは、梅1つ1つと「ちゃんと向き合う」ってこと。

大切なのは「効率」じゃなく、「丁寧に扱うこと」っていうんでしょうか。1つ1つが同じじゃないから、いちいちじっと、見る必要がある。

丁寧に仕込みさえすれば、後は時間が熟成させてくれるらしく、

普段、「15分で何個できるか」みたいな働きかたをしている私には、「必要な時間をかける」ってことが、とても新鮮だったのでした。

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さて、今回私が仕込んだのは「梅酒」。3ヶ月後には完成しますが、しかし「梅酵素シロップ」なら、梅と砂糖で1週間でできるらしい!

ということで、これを機会に自分でも作ってみるつもり。

そして丁寧且つ健康な暮らしってやつを、そろそろ自分に取り入れたい!

苦しみの正体は

ここ半年ぐらい、週明けのモチベーションが著しく低い。

「うぁーだりぃ」って、嘆いているうちに日が暮れる。私は決して不真面目ではないので、だるがっている自分に嘆いているのである。

そんな私はここ半年ぐらい、週末は自己啓発か、コミュニティか、関係人口をテーマに行動していて、「生身の人間の幸せ」について一生懸命考えている。

一方、平日はというと、

私は「企画職」なので、一応考えるのが仕事だけど、あるのは机上の空論ばかりで、生身の人間が不在っていうか、面倒な調整ばっか多い割に、「これをしたらどこの誰が幸せになるか」が見えない。

www.dailymotion.com

月曜から夜ふかし」の心理テストで、私の欲しいものは「約束」ということだった。

確かに、「これをしたら〇〇さんが幸せになります」っていう約束が欲しいような気はしていて、しかしないから、焦りにも近い感覚で行動しまくってる自分がいるのである。

「生身の人間の幸せ」について一生懸命考えている割に、「生身の人間である自分」がちっとも幸せになれていない感じが、虚しいのかもしれない。

自分が喜ぶことって、なんだろう。

キャリアカウンセラーへの道 -2-

「キャリアカウンセラー講座」の説明会に行ってきました。そして申込も済ませました。「即断」というやつです。

即断できた理由は、なんてったって「教育訓練給付金制度」さま。

www.career-npo.org

前回、国からの補助金は2割と書きましたが、実は今年から増額され、講座修了で5割、試験合格で2割が支給されることになったそう!

要するに、

受講料378000円-会社の補助金75600円-国の補助金①151200円-国の補助金②60480円-会社の奨励金30000円=自己負担額60720円!!

盲点だったのは、試験を受けること自体に4万ほどかかることですが、20万が10万になるなら安いものでしょう。

ちなみに、こんなにも増額された背景には「働き方改革」があるらしく、

日本は少子高齢化老いも若きも男も女も働かなきゃならん⇒働き続けることをバックアップする人(=キャリアカウンセラー)を増やす必要がある。つまり国策だと。

style.nikkei.com

「国策」と聞くと、一時期、めっちゃ薬剤師や弁護士増やして、資格取っても仕事にあぶれる人が続出したのを思い出したりもしますが、それでも資格は資格。

こういう波には乗っかっておきましょう。私には、勉強ぐらいしか取り柄がないんだからっ!!

誰と>どこで>何を

ちょっと前のことですが、実家のある熱海でボランティアをしてきました。(島根だの奈良だのと騒いでいますが、現役の地元にもちゃんと関わろうとしてます!)

何のボランティアかというと、「海辺のあたみマルシェ」です。

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海辺のあたみマルシェ ~クラフト&ファーマーズマーケット~ |

これは熱海銀座という、私が子供の頃(90年代)には死に体だった商店街で、2ヶ月に1回ぐらい開かれているマルシェ。熱海だけでなく近県からも出展者が集まり、今はそこそこ賑わっています。

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私の担当は「浜焼き」の受付です。

机と椅子と網を並べて、自分で魚介買って焼いてくださいってシステムなんだけど、「えっ!ここで焼けるんですか?」とかいうゲストの反応を見ながら、地元民としては若干のドヤ顔。そうだよね、こういうのって、海の町ならではなんだよね。

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今回ボランティアしてみたのには理由があって、実は熱海が地元だといいつつ、熱海に仲間がいないんですよ。

なにしろ、熱海が嫌で上京した身だし、今の家に住んでいたわけでもないので、「実家に帰る」ことを楽しみきれていない気がするというか、ボランティアに参加すれば、少しでも仲間ができるのではないかと。

そんな私の選択は正解!

なんていうのかな、同じボランティア仲間は、熱海を盛り立てたいという人がいっぱい。初対面でも想いが同じだから、接していて気分が良いし、全てスムーズに進むんです。

「めっちゃ仲良く」まではなれないとしても、そういう人の存在があるのは結構大きい。「今もどこかであの人が」って感じられるわけですから。

そして、熱海って今、地域おこしの成功例みたいにいわれてるじゃないですか。それはもしかしたら、コミュニティの力なんじゃないかな、と感じたんです。

コミュニティの力。コミュニティの力。コミュニティの力。

ところ替わってここ東京。

ひょんなことからシェアハウスの管理人になってしまった私。

管理人って、ただ管理すれば済むんじゃないというか、シェアハウスも1つのコミュニティとして、ここを盛り立てたいという想いが必要な気がするというか、今回熱海で出会ったことに、ヒントがある気がしたんです。

リーダーシップを激しく発揮することはできないけど、目指すべきは、この人(私)とこの家は素敵だと感じられること。その上で、この街との繋がりを作っていくこと。

プライベートとの両立がマジで重要テーマなんだけど、模索しようと考えています。。。(想いと行動は裏腹)