ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

Talkin' Aboutつながる場づくり

中小機構が主催する『Talkin' Aboutつながる場づくり』に参加してきました。

登壇されたのは、大阪ガスの社員にして、『Talkin' About』や『コモンカフェ』といった「つながる場づくり」に、長年取り組まれてきた山納洋さん。

TIP*S

「場づくり」って最近よく聞くワードだけど、山納さん曰く「つながる場」とは、ただ人間と空間があれば成立するものではないんだって!

そこに集まっている人たちの個性が、「創発」を産み出している場をいうんだって!

そして創発とは、客数×客単価=売上というように数字で測れるものではないんだって!

…そ、創発!!!

創発=どこで×だれが×なにを、の絶妙なマッチングとでもいうんでしょうか。貧乏や裕福といった二元論にはない、無限のロマンを感じます。

今まで、会社とかバーとかワークショップとか「人の集まる場」を見ては、好きだの嫌いだの判別してきたけど、「創発のある場」って表現に、心の底から納得しました。

さて、今回参加した動機は、6月から本格化したシェアハウス暮らしに、課題を感じていたからです。

私なりに、独り暮らしではなくシェアハウスに住む目的を「つながる場づくりへの寄与」的なところに置いてはいましたが、シェアメイトがどんどん増えていく中、自分のコミュニティ力が低すぎ、寄与どころの騒ぎじゃねぇ!と。

しかし今回学んだことは、人は数字のように目に見えやすい成果が出せなくても、個性を発揮することができる、ということ。私なりにできることで創発を産み出す、というところに目的を置き直すことができました。

そして、「つながる場」の構成要素が「どこで、だれが、なにを」であると考えたときに、住民が5人いれば、5人分の「ここで、だれが、なにを」があるはず。なので、コミュニティ力が低いなりに、それをこそこそ考えてみることにしました。

汗をかくと気分が晴れる、は本当だった

先週から「よもぎ蒸し」と「ホットヨガ」を始めたら、体が軽くなっただけでなく、気分までも晴れてきた。人にも優しくできるようになったし。

若いときには分からなかったが、気分がくさくさしたときは、汗をかくのが良いらしい。

まだ3回ということで、モチベーション回復にまでは至らないけど、早く元気になってやる!

よもぎ蒸しセット(24800円)買おうかなぁ。

今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」

西粟倉も気になる

前回書いたように、私は「移住先の選定」に入った。 

tokyo100k.hatenablog.jp

これまで、移住ツアーで訪れたのは島根、淡路、奈良。

しかし日本の地域ってのは、本当に魅力的なところが多く、気になるところ全部周っていたら、移住する前に年を取ってしまう!

ということで、困ったときのイベントである。

今日は気になっているところ①岡山県西粟倉村(のイベント)へ。※ほか藤野、郡上、会津が気になってます

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地域おこしに興味ある人なら聞いたことがあるだろう、岡山県西粟倉村。

平成の大合併」期に、合併ではなく村として存続することを選び、今や地域おこしの先進地として有名な村だ。

今日のイベントは、その「ローカルベンチャー支援室」が主催。西粟倉は、地域おこしの軸として「移住者による起業」を支援しているらしく、

ゲストとして現れたのは、「ローカルライフラボ」の研究員として、4月に移住したばかりの猪田夫妻。研究テーマとして決まっているのは「自分×地域」だけなので、それぞれの趣味や仕事を軸に、自由に研究をしているらしい。

throughme.jp

そしてイベントの本番はここから。

私たち参加者も、「あなたは何をしたいですか?」って聞かれるのである。

地域っていうと普通、足りないピースが前提。「○○する人が足りません。来てください」が多い中で、「自分が何をしたいか考えてください」っていうのは珍しい。ついつい、「本当に研究テーマ“自由”ですか?」と聞いたら、もちろん本当で、何故ならそれが最も成功しやすいんだって。

足りないピースを埋めるには、足りないピースを探さないほうがいい、とな。

きょ、興味深い。。。

私が今後したいことは、以下である。

①自然農法を学ぶ(@田舎)⇒人がほっといても力を発揮できる職場環境について、自然の摂理から研究したい

※自然農法についてはこちら
tokyo100k.hatenablog.jp

②キャリアカウンセリングを学ぶ(@東京) ⇒人が自分の強みを整理することで、自分に合う環境を選ぶことに寄与したい

③リトリートを学ぶ(@どこか)⇒人が休養を取ることで自分本来の力を取り戻すという、そのメカニズムを学びたい

うーん。

こんなに研究テーマがあっても大丈夫なんだろうか?そして、ローカルライフラボ自体も充分、研究する価値ありそうな。。。

というわけで結局、8月か10月に訪れることになりそう!

要は季節の変わり目ってことで

こんなにも「自然」が気になって仕方ないのは、急に周りが不自然になったのではなく、自分が季節の変わり目なんだ、という気がしてきた。

中国の古典で、「人生には季節がある」という考えがあって、春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬というらしい。

今の時代なら20才刻みぐらいと解釈すれば、来年40才になる私は、間もなく「秋」を迎えるのである。

今の会社に不自然さを感じたのは1年前。しかしそれまでの10年間は、ここでどんどん成長できることが自分にとっての「自然」だった。

それが40近くなって、成長よりも成熟したい、枝葉を伸ばすよりも実が欲しいとなったときに、作っては壊しの商売が私の舞台ではなくなってきたと、きっとそういうことなのだ。

変わったのは環境ではない。自分。

今が自分の住む世界を変える、タイミングなのかもしれない。

しぜんとはたらく

というわけで、大きな自然と過ごした奈良県下北山村の2泊3日。

全体の印象を一文字で表すなら「蛍」。

村の自然も出会った人たちもキラキラしていて、それが奈良のあんな山奥に、というのが、見えそうで見えないけど見えるときは見える、まるで「蛍の光」のようだった。

さて、奈良への行き帰りの中で、自分が今後したいことを表すのに最適なフレーズが降りてきた。

それは「しぜんとはたらく」というもの。

文字通り、①山や川といった自然の中でその力を借りながら働くという意味と、②人間が自分の意思で、指図されなくても働きだすという意味がある。

ロールモデルは、自然と共に暮らし、村のために自ら立ち上がる下北山村の皆さん。私も、消え入りそうな蛍の光を、もう少し強い光にしたいと。

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そこで今後は、①地域移住先の選定に入る。②キャリアカウンセラーの勉強と合わせて、(大企業ではなく)地域のために使う方法を考える。

さよなら東京、は近いかも。

奈良県下北山村の「継」

「むらコトアカデミー」の現地実習で、奈良県下北山村に行ってきました。

実習は2泊3日。その3日目の感想は「継」。

この村では、代々伝わってきたものを受け継ぎ、未来に伝えていくことが当たり前とされています。自分が生きるのは「今」だけだとしても、過去への敬意と未来への責任が常にあるのです。

そんな気づきを得た、3日目のふりかえりです。

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9:00@あまごの養殖場

紀伊半島にしかない柑橘「じゃばら」の栽培と、奈良県の魚「あまご」の養殖をする西村さんに会う。どちらも貴重な産品だが、もう80代で、後継者不足に困っているそう。

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9:45@普門寺

にて、地域と共にある寺の役割について聞く。

ここでは人が亡くなると、村を挙げて弔うそう。それによって生者は、命を継ぎ全うすることを見直すのだ。

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率直にいってここの人たちは、「自分が生きて死んだら終わり」ではないのでしょう。

自分がいるのは先人のおかげ。だからそれを継ぐのも当然。

一方、私は自分のこれまでを否定するつもりはないけど、にしても、子供の頃から行き当たりばったりな性格で、人生を「長い目で見る」のがとても苦手。

「今、ここ」を重視するという意味で、マインドフルネス的にはOKかもしれないけど、こんな人間ばっかりじゃ、日本は消滅してしまうわけだし、今のまま、何も背負うことなく生きるのはどうなんだろうと、重い問いを背負わされたような気がしました。

(全くまとまらないけど終わり)

奈良県下北山村の「朴」

「むらコトアカデミー」の現地実習で、奈良県下北山村に行ってきました。

実習は2泊3日。その2日目の感想は「朴」。

1300年もの由緒ある聖地なのに、そこに暮らす人たちは決して偉ぶることなく素朴。まるで山だったり川だったりといった優しい自然が、人に化身して現れたかのような印象を受けました。

そんな2日目のふりかえりです。


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8:30@池神社

1300年以上前に役行者が見つけたという「明神池」。それをご神体とするのが「池神社」だ。

古代宗教が現代にまで残されていることと、その神聖さに感銘を受ける。


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8:50@農家民宿「ほったらかし家」

村が100年後にも存続するよう、ここでしか取れない大和野菜「春まな」の栽培に尽力している西岡夫妻に会う。

素朴な暮らしながら、60代にして志ある人は、とてもいきいきとして見える。

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11:00@前鬼

現存する修験道として「熊野古道」と共に世界遺産になっている「前鬼」へ。

修験者向けの宿坊を営む五鬼助(ごきじょ)さんは、その昔、役行者のサポートをした「鬼」の子孫だそう。

道中は「前鬼ブルー」と呼ばれる川を見たり、山を降りてきた修験者に遭遇したり。五鬼助さんにしても修験者さんにしても、気軽に写真を撮らせてくれたり、皆さんとてもフレンドリー。


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14:30@川遊び&BIYORI

下山して、コワーキングスペースBIYORI前の川で遊ぶ。水は「純粋」という表現がぴったりの清らかさ。こんな中にいたら人も清くなりそう。

BIYORIでは、移住した藤本さんと山岡さんに田舎暮らしのリアルを聞く。


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18:45@池の平ハウス

最後は、村の皆さんと大交流会BBQ。

地元の猟師さんが今日のために、シカやイノシシ、アユ、アマゴを準備してくれた。こういった食を始め、自然の力を頂ける人が「本当に豊かな人」に見える。

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下北山村の自然と、そこでの暮らしに出会った1日。

大きな自然の中にあると、人間なんかは小さな存在。山も川も動物も魚も人間には作ることができない。

ということを、ここの人たちはよく分かっているのでしょう。だからこそ、どんな由緒があろうと偉ぶることなく、素朴な暮らしを守るのでしょう。

最近もやもやっとしていた、「自然と人間のパワーバランス」について、答えの出たような1日でした。

大きな自然に力を借りる。それで得た力によって、自分より小さく弱い人を助ける。それが自然の摂理なのかも。

(続く)

奈良県下北山村の「在」

「むらコトアカデミー」の現地実習で、奈良県下北山村に行ってきました。

実習は2泊3日。その1日目の感想は「在」。

本当は「ある」はずなのに、都会の暮らしでは「ない」ことにされているもの。それがここにはちゃんとある。

そんな気づきを得た、1日目のふりかえりです。

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東京から6時間、京都からでも4時間弱という長旅の末、奈良県は下北山という秘境の村にたどり着いた。

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14:45@歴史民俗資料館

にて、まずは村の起源から。

下北山村は、今から1300年以上前に、役行者(えんのぎょうじゃ)という呪術者によって開かれた由緒ある土地であることを、巽館長より学ぶ。

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16:15@林産加工施設

そんな村の産業は林業。移住してこれに携わる本田さんと施設を見学。

過疎化、高齢化、外材の輸入などによる価格の下落で、村は打開すべき苦しい状況にあることを学ぶ。

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17:10@NPO法人サポートきなり

続いては、過疎化する地域で朝市やスキルシェアによるコミュニティ維持に尽力するみなみさんに会う。

「発酵」に造詣の深い人で、寺田本家と通じるものを感じる。

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17:55@ゲストハウス晴々

最後は、下北山村を「パーマカルチャーの聖地にする」志で、移住した小野夫妻に会う。

村は不便。だったら自力で作ればいい、という生命力の強さを感じる。

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深刻化する過疎の村と、それに立ち向かう人々に出会った1日。

そんな中で印象に残ったのは、それでも彼らを魅了している下北山村の「自然」でした。

例えば、林産加工施設で嗅いだ木材の香りとか、道中で聞いた鳥の声とか、宿で車を降りた瞬間、頭上に広がっていた満天の星とか、その心地よさといったら、五感にダイレクトに響いてくるのです。

昨日までの東京の現実が溶けていくような感覚の中で、本来、都会にだってあるはずなのに、都会では感じられなくなっているもの。それがここにちゃんとあるってことが、とても尊い気がしました。

自然を潰してまで、便利を追求することが大切か。自然の感覚を失くしてまで、都会で暮らすことが偉いのか。なんて真面目に考えた1日。。。

(続く)

バカなことを大真面目にやる意味

会社を辞めると決めて以来、「やり残したことは全部やる」を標榜している私。悔いなくさっぱり去りたいからだ。

さまざまな「やり残し」がある中で、重要視しているのは「宴会の演出」である。

と書くと、遊びたいだけに見えるのか、真面目な人にはバカにされるが、この際はっきり書かせてもらおう。バカなことをバカにすることほどバカなことはない。バカだからこそ、大真面目にやる価値があるのだ。

と、いうわけで、昨日の宴会は頑張った。

オリジナルの「ズームイン朝」を撮ったり、桃太郎を描いたり、管理職たちの寸劇を作ったり、見た人でなければ分からないだろうが、それはもう盛り上がった。楽しそうな会場を眺めながら、呑むビールは最高に旨い。

さて、こんな私が宴会の演出で、大切にしていることは2つ。

1つは前述の通り、「バカなことを大真面目にやる」こと。

ズームインだろうと桃太郎だろうと寸劇だろうと、本気でやることが大切だ。

何故なら、「バカなこと」は人の間にある垣根をなくし、「本気」は人の心を結びつけるから。要は、人の心を1つにしたければ、バカなことを大真面目にやる、これが最も簡単で早い。

そしてもう1つ大切にしていること。それは「自分たちを素材にする」こと。

今回は全国津々浦々からメンバーが集まったので、ご当地感の演出、そして寸劇ではそれぞれの人となりを表現するのにこだわった。

これによって、普段は伝わりづらい1人ひとりのキャラクターだったり、その背景にあるご当地のことが分かり、それぞれの違いをこそ尊重しようという空気が育つ(はず)。

宴会とは、ただ呑んで酔って盛り上がればいいのではなく、その準備から閉演まで全ての時間に、「懇親」のための重要なエッセンスが詰まっているのである!!!

…と、偉そうなことを書いているが、本当は感謝しかない。

プロジェクトを仕切ってくれたKさん、映像を作ってくれたYちゃん、リハーサルの3倍は輝いていた司会の2人始め実行部隊の皆さんと、会場で楽しんでくれた皆さん、

そして、今回書いたような思想を私に叩き込んでくれた、2009年〜2011年ごろに同僚だった皆さんと上司。

皆さんのおかげで私はあります。ありがとうございました。

農的暮らしから学ぶ -後編-

中島デコさんと岡本よりたかさんのトークイベントを聞いてきた。

畑はやめても学びはやめたくないと、あれこれ探していたところに、こんなメディアを見つけたのだ。

thecampus.jp

中島デコさんは、私も行った「ブラウンズフィールド」の主宰者で、

brownsfield-jp.com

岡本よりたかさんは、自然栽培の伝道師として有名な人(らしい)。

www.soramizu.com 

ここで何が語られたかは割愛しちゃうけど、

なんというか、この1年、畑をやったり田舎ツアーに参加したりする中で考えてきたことが、1本の線になった気がする。

私は、畑がやりたかったんでも、田舎に住みたかったんでもなかった。

自然に、健康に暮らしたかったのだ。

 

きっかけは、岡本さんの言葉だった。

自然栽培の作物には生命力があり、食べるだけで体が強くなる。

自然とは、ほったらかすということ。その反対は、人が手を入れコントロールするということ。

「自然=ほったらかす=強い」は作物だけでなく全ての法則で、今、西日本が豪雨に襲われているけれど、災害が起きている土地はほとんど、人の手が入り過ぎてしまっている。

自然のままにほったらかされた土地は、(岡本さんが住んでいるところも含め)強くて壊れることがない。

 

このブログを読んでくれている人なら分かると思うが、私が畑を始めたり、田舎ツアーに参加したりするようになったのは、会社の仕事が辛くなったことが原因だった。

あれは1年ちょっと前。

急に難しい要求が増え、どんなに効率よく片付けても、仕事の終わらない日々が続いた。

私を含め耐え抜いた人もいれば、辞めたり倒れたりした人もいたけど、身を守れば完遂できず、完遂すれば身体を壊す。そんな仕事に、「不自然」さを感じるようになった。

岡本さんの言葉を借りれば、生きる=自然であり、壊れる=不自然である。自分を壊してまでする仕事に、意味なんかあるだろうか。

違和感を感じたら、全てが気になるようになって、

“広告”という「人と人との出会いを作る」仕事が、「情報で人をコントロールする」不自然な仕事に見えてきた。

そして見つかったのが、病気(予備軍)である。

あくまで予備軍だし、畑や田舎に通うことで癒されてはいたものの、今考えればもう、度重なる不自然からの病気に、心が折れていたんだ、私は。

 

というわけで、もしかしたら本当に今だけの感覚かもしれないけど、長い旅が終わりつつあるような気がする。

感じていた違和感は、責任感や使命感という姿をしたものによって、自分で自分をコントロールしようとしていたこと。自分を壊すような環境に自分を置いていたこと。誰でもない、自分の選択だ。

だから今日からは、新しい「土」を探す。

それが何かは分からないけど、もうどんな土にも合うほど若くはないんだし、自分に合う土は自分で見つけなければならない。