ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

2018年8月の行動計画

これまで気にしてきたいろいろなことから、手が離れつつある。自分で頑張らなくても大丈夫というか。

それに一抹の寂しさがないことはないけど、ものは考えようである。自分でなければ頑張れないだろうってことに、集中するときが来たのかもしれない。

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7月の天気は晴れ。

ときどき曇り、ぐらいはもちろんあったが、太平洋高気圧が大きく。って、本当の天気のことではもちろんない。

晴れの要因は、自分の方向性が定まったこと。

「自然」でありたいと決めたら、頑張れないことまで頑張らなくなった。そして分かった。非力な自分が頑張らなくても、世の中は回る。 

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というわけで、8月の方針と計画。

▼方針(7月とほぼ同じ)

・全て楽しめる範囲で頑張る(疲れを感じたら止める)
・田舎ツアーは月に1回まで
・ワークショップ参加は週に1回まで
・浮いた時間を読書に投資
・シェアハウスは「創発」を目的にする
・カウンセラーとスナックとライターは、「自然に働く人を増やす」を目的にする
・免疫力UPを目的に「休む日」を作る
・ワークショップ主宰は保留

▼計画

・8/3 むらコト交流会⇒○
・8/4-5 西粟倉村⇒○
・8/12 子育て練習会⇒○
・8/13 CAMPus⇒×
・8/19 畑最終回⇒○
・8/29 パラダイスビア⇒○
・8/25-26 24h仕事百貨⇒○

土の人、風の人

「土の人、風の人」という考えかたがあるらしい。

地域おこしにおける役割分担を指すもので、土の人は文字通り、その土地に生まれ育った人のこと。古くから伝わってきたものを、未来へ受け継ぐ人のことだ。

一方風の人は、風を入れる人のこと。よその土地から吹いてきて、影響を残し去る人のことを指す。

「風土」という言葉があるように、地域にはそのどちらもが必要で、土がなければ始まらないし、風がなければ動いていかない。と、どうやらそういうことらしい。

これを教えてくれたのは、西粟倉のイベントに来ていた料理研究家の丸山寛子さんだ。

一度は西粟倉への移住を考えたが、自分は「風の人」であることに気づき、今は西粟倉を含む全国各地の生産者を訪ね歩いているそう。 

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土の人、風の人。

私はどっちになりたいか。

………風だ。

「移住先を検討」していた最近の私。しかし探せば探すほど目移りするもので、ひとっところに根が張れない性質を恨んですらいたが、「風の人」という概念を聞いて、とても気が楽になった。

というのも、埼玉で生まれ、0才のうちに奈良に転居。7才で静岡に転居し、18才で上京。25才で韓国に飛び、27才で再び東京に戻るが、未だそこら中をほっつき歩いている私が、「土の人」になんかなれるわけがないのである。

「関係人口」という言葉が注目されるのも、きっと似たような人が多いからだろう。

というわけで今後は、「移住」という枠に囚われすぎず、今までより「強い」関係人口になる道を模索する。

具体的には自然栽培やキャリアカウンセリングやリトリートを学び、自分なりの体系を確立しながら、行政やNPOと…むにゃむにゃむにゃ。の前に、コミュニティ力か、やっぱ。

道のりは長いが、妄想は自由。

Talkin' Aboutつながる場づくり

中小機構が主催する『Talkin' Aboutつながる場づくり』に参加してきました。

登壇されたのは、大阪ガスの社員にして、『Talkin' About』や『コモンカフェ』といった「つながる場づくり」に、長年取り組まれてきた山納洋さん。

TIP*S

「場づくり」って最近よく聞くワードだけど、山納さん曰く「つながる場」とは、ただ人間と空間があれば成立するものではないんだって!

そこに集まっている人たちの個性が、「創発」を産み出している場をいうんだって!

そして創発とは、客数×客単価=売上というように数字で測れるものではないんだって!

…そ、創発!!!

創発=どこで×だれが×なにを、の絶妙なマッチングとでもいうんでしょうか。貧乏や裕福といった二元論にはない、無限のロマンを感じます。

今まで、会社とかバーとかワークショップとか「人の集まる場」を見ては、好きだの嫌いだの判別してきたけど、「創発のある場」って表現に、心の底から納得しました。

さて、今回参加した動機は、6月から本格化したシェアハウス暮らしに、課題を感じていたからです。

私なりに、独り暮らしではなくシェアハウスに住む目的を「つながる場づくりへの寄与」的なところに置いてはいましたが、シェアメイトがどんどん増えていく中、自分のコミュニティ力が低すぎ、寄与どころの騒ぎじゃねぇ!と。

しかし今回学んだことは、人は数字のように目に見えやすい成果が出せなくても、個性を発揮することができる、ということ。私なりにできることで創発を産み出す、というところに目的を置き直すことができました。

そして、「つながる場」の構成要素が「どこで、だれが、なにを」であると考えたときに、住民が5人いれば、5人分の「ここで、だれが、なにを」があるはず。なので、コミュニティ力が低いなりに、それをこそこそ考えてみることにしました。

汗をかくと気分が晴れる、は本当だった

先週から「よもぎ蒸し」と「ホットヨガ」を始めたら、体が軽くなっただけでなく、気分までも晴れてきた。人にも優しくできるようになったし。

若いときには分からなかったが、気分がくさくさしたときは、汗をかくのが良いらしい。

まだ3回ということで、モチベーション回復にまでは至らないけど、早く元気になってやる!

よもぎ蒸しセット(24800円)買おうかなぁ。

今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」

西粟倉も気になる

前回書いたように、私は「移住先の選定」に入った。 

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これまで、移住ツアーで訪れたのは島根、淡路、奈良。

しかし日本の地域ってのは、本当に魅力的なところが多く、気になるところ全部周っていたら、移住する前に年を取ってしまう!

ということで、困ったときのイベントである。

今日は気になっているところ①岡山県西粟倉村(のイベント)へ。※ほか藤野、郡上、会津が気になってます

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地域おこしに興味ある人なら聞いたことがあるだろう、岡山県西粟倉村。

平成の大合併」期に、合併ではなく村として存続することを選び、今や地域おこしの先進地として有名な村だ。

今日のイベントは、その「ローカルベンチャー支援室」が主催。西粟倉は、地域おこしの軸として「移住者による起業」を支援しているらしく、

ゲストとして現れたのは、「ローカルライフラボ」の研究員として、4月に移住したばかりの猪田夫妻。研究テーマとして決まっているのは「自分×地域」だけなので、それぞれの趣味や仕事を軸に、自由に研究をしているらしい。

throughme.jp

そしてイベントの本番はここから。

私たち参加者も、「あなたは何をしたいですか?」って聞かれるのである。

地域っていうと普通、足りないピースが前提。「○○する人が足りません。来てください」が多い中で、「自分が何をしたいか考えてください」っていうのは珍しい。ついつい、「本当に研究テーマ“自由”ですか?」と聞いたら、もちろん本当で、何故ならそれが最も成功しやすいんだって。

足りないピースを埋めるには、足りないピースを探さないほうがいい、とな。

きょ、興味深い。。。

私が今後したいことは、以下である。

①自然農法を学ぶ(@田舎)⇒人がほっといても力を発揮できる職場環境について、自然の摂理から研究したい

※自然農法についてはこちら
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②キャリアカウンセリングを学ぶ(@東京) ⇒人が自分の強みを整理することで、自分に合う環境を選ぶことに寄与したい

③リトリートを学ぶ(@どこか)⇒人が休養を取ることで自分本来の力を取り戻すという、そのメカニズムを学びたい

うーん。

こんなに研究テーマがあっても大丈夫なんだろうか?そして、ローカルライフラボ自体も充分、研究する価値ありそうな。。。

というわけで結局、8月か10月に訪れることになりそう!

要は季節の変わり目ってことで

こんなにも「自然」が気になって仕方ないのは、急に周りが不自然になったのではなく、自分が季節の変わり目なんだ、という気がしてきた。

中国の古典で、「人生には季節がある」という考えがあって、春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬というらしい。

今の時代なら20才刻みぐらいと解釈すれば、来年40才になる私は、間もなく「秋」を迎えるのである。

今の会社に不自然さを感じたのは1年前。しかしそれまでの10年間は、ここでどんどん成長できることが自分にとっての「自然」だった。

それが40近くなって、成長よりも成熟したい、枝葉を伸ばすよりも実が欲しいとなったときに、作っては壊しの商売が私の舞台ではなくなってきたと、きっとそういうことなのだ。

変わったのは環境ではない。自分。

今が自分の住む世界を変える、タイミングなのかもしれない。

しぜんとはたらく

というわけで、大きな自然と過ごした奈良県下北山村の2泊3日。

全体の印象を一文字で表すなら「蛍」。

村の自然も出会った人たちもキラキラしていて、それが奈良のあんな山奥に、というのが、見えそうで見えないけど見えるときは見える、まるで「蛍の光」のようだった。

さて、奈良への行き帰りの中で、自分が今後したいことを表すのに最適なフレーズが降りてきた。

それは「しぜんとはたらく」というもの。

文字通り、①山や川といった自然の中でその力を借りながら働くという意味と、②人間が自分の意思で、指図されなくても働きだすという意味がある。

ロールモデルは、自然と共に暮らし、村のために自ら立ち上がる下北山村の皆さん。私も、消え入りそうな蛍の光を、もう少し強い光にしたいと。

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そこで今後は、①地域移住先の選定に入る。②キャリアカウンセラーの勉強と合わせて、(大企業ではなく)地域のために使う方法を考える。

さよなら東京、は近いかも。

奈良県下北山村の「継」

「むらコトアカデミー」の現地実習で、奈良県下北山村に行ってきました。

実習は2泊3日。その3日目の感想は「継」。

この村では、代々伝わってきたものを受け継ぎ、未来に伝えていくことが当たり前とされています。自分が生きるのは「今」だけだとしても、過去への敬意と未来への責任が常にあるのです。

そんな気づきを得た、3日目のふりかえりです。

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9:00@あまごの養殖場

紀伊半島にしかない柑橘「じゃばら」の栽培と、奈良県の魚「あまご」の養殖をする西村さんに会う。どちらも貴重な産品だが、もう80代で、後継者不足に困っているそう。

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9:45@普門寺

にて、地域と共にある寺の役割について聞く。

ここでは人が亡くなると、村を挙げて弔うそう。それによって生者は、命を継ぎ全うすることを見直すのだ。

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率直にいってここの人たちは、「自分が生きて死んだら終わり」ではないのでしょう。

自分がいるのは先人のおかげ。だからそれを継ぐのも当然。

一方、私は自分のこれまでを否定するつもりはないけど、にしても、子供の頃から行き当たりばったりな性格で、人生を「長い目で見る」のがとても苦手。

「今、ここ」を重視するという意味で、マインドフルネス的にはOKかもしれないけど、こんな人間ばっかりじゃ、日本は消滅してしまうわけだし、今のまま、何も背負うことなく生きるのはどうなんだろうと、重い問いを背負わされたような気がしました。

(全くまとまらないけど終わり)

奈良県下北山村の「朴」

「むらコトアカデミー」の現地実習で、奈良県下北山村に行ってきました。

実習は2泊3日。その2日目の感想は「朴」。

1300年もの由緒ある聖地なのに、そこに暮らす人たちは決して偉ぶることなく素朴。まるで山だったり川だったりといった優しい自然が、人に化身して現れたかのような印象を受けました。

そんな2日目のふりかえりです。


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8:30@池神社

1300年以上前に役行者が見つけたという「明神池」。それをご神体とするのが「池神社」だ。

古代宗教が現代にまで残されていることと、その神聖さに感銘を受ける。


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8:50@農家民宿「ほったらかし家」

村が100年後にも存続するよう、ここでしか取れない大和野菜「春まな」の栽培に尽力している西岡夫妻に会う。

素朴な暮らしながら、60代にして志ある人は、とてもいきいきとして見える。

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11:00@前鬼

現存する修験道として「熊野古道」と共に世界遺産になっている「前鬼」へ。

修験者向けの宿坊を営む五鬼助(ごきじょ)さんは、その昔、役行者のサポートをした「鬼」の子孫だそう。

道中は「前鬼ブルー」と呼ばれる川を見たり、山を降りてきた修験者に遭遇したり。五鬼助さんにしても修験者さんにしても、気軽に写真を撮らせてくれたり、皆さんとてもフレンドリー。


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14:30@川遊び&BIYORI

下山して、コワーキングスペースBIYORI前の川で遊ぶ。水は「純粋」という表現がぴったりの清らかさ。こんな中にいたら人も清くなりそう。

BIYORIでは、移住した藤本さんと山岡さんに田舎暮らしのリアルを聞く。


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18:45@池の平ハウス

最後は、村の皆さんと大交流会BBQ。

地元の猟師さんが今日のために、シカやイノシシ、アユ、アマゴを準備してくれた。こういった食を始め、自然の力を頂ける人が「本当に豊かな人」に見える。

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下北山村の自然と、そこでの暮らしに出会った1日。

大きな自然の中にあると、人間なんかは小さな存在。山も川も動物も魚も人間には作ることができない。

ということを、ここの人たちはよく分かっているのでしょう。だからこそ、どんな由緒があろうと偉ぶることなく、素朴な暮らしを守るのでしょう。

最近もやもやっとしていた、「自然と人間のパワーバランス」について、答えの出たような1日でした。

大きな自然に力を借りる。それで得た力によって、自分より小さく弱い人を助ける。それが自然の摂理なのかも。

(続く)

奈良県下北山村の「在」

「むらコトアカデミー」の現地実習で、奈良県下北山村に行ってきました。

実習は2泊3日。その1日目の感想は「在」。

本当は「ある」はずなのに、都会の暮らしでは「ない」ことにされているもの。それがここにはちゃんとある。

そんな気づきを得た、1日目のふりかえりです。

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東京から6時間、京都からでも4時間弱という長旅の末、奈良県は下北山という秘境の村にたどり着いた。

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14:45@歴史民俗資料館

にて、まずは村の起源から。

下北山村は、今から1300年以上前に、役行者(えんのぎょうじゃ)という呪術者によって開かれた由緒ある土地であることを、巽館長より学ぶ。

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16:15@林産加工施設

そんな村の産業は林業。移住してこれに携わる本田さんと施設を見学。

過疎化、高齢化、外材の輸入などによる価格の下落で、村は打開すべき苦しい状況にあることを学ぶ。

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17:10@NPO法人サポートきなり

続いては、過疎化する地域で朝市やスキルシェアによるコミュニティ維持に尽力するみなみさんに会う。

「発酵」に造詣の深い人で、寺田本家と通じるものを感じる。

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17:55@ゲストハウス晴々

最後は、下北山村を「パーマカルチャーの聖地にする」志で、移住した小野夫妻に会う。

村は不便。だったら自力で作ればいい、という生命力の強さを感じる。

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深刻化する過疎の村と、それに立ち向かう人々に出会った1日。

そんな中で印象に残ったのは、それでも彼らを魅了している下北山村の「自然」でした。

例えば、林産加工施設で嗅いだ木材の香りとか、道中で聞いた鳥の声とか、宿で車を降りた瞬間、頭上に広がっていた満天の星とか、その心地よさといったら、五感にダイレクトに響いてくるのです。

昨日までの東京の現実が溶けていくような感覚の中で、本来、都会にだってあるはずなのに、都会では感じられなくなっているもの。それがここにちゃんとあるってことが、とても尊い気がしました。

自然を潰してまで、便利を追求することが大切か。自然の感覚を失くしてまで、都会で暮らすことが偉いのか。なんて真面目に考えた1日。。。

(続く)