「ありたい自分」にふさわしい「あり方」を選べる自分でいたい。
主宰者である「働き方研究家」西村佳哲さんの価値観といえばこれだ。
「成果」だけが仕事ではない。いい仕事とはその中にその人の「価値観」や「あり方」との一貫があるもの。
この考え方には共感するけど、果たして自分はそういう仕事ができているか。成果やスピード、効率のために、人を傷つけていることはないか。
…ある。
遅かろうと甘かろうと、私は優しい人でありたい…かな。
3人目のプレイヤーは、モザンビークで銀行を作っている合田真さん。
アフリカのエピソードはとーーーっても面白かったけど、書きたいことは別になく(スイマセン!)、
最後は収録が行われた「ロハスカフェ」について。
こちら、ソトコトさんが大学の学食として運営しているカフェ。
ロハスの名にふさわしく、大きな木の本棚やチョーク絵、風通しの良い空間が印象的。こんな学食なら1日いたいー。
…という素直な感動と共に、こういうスペースって作るのってすげー難しいんじゃないのか、と。
というのも、私は某メディアに関わって4年になるけど、そのコンセプトが永遠に形にならないんですよ。素材を木にするとか金属にするとか永遠に決まらない、たぶん。
メディアだからもちろん、作った当初のコンセプトはあるよ。誰もがコネとか関係なく自由に企業に出会えるとか、確かそういう世界観。
だけど、それに価値があったのは昔の話。そんなことが当たり前になった今、新たな価値の再定義がずーっとずっとできてない。ただ便利ですー。いっぱい企業載ってますー。ってそれだけ。今どき、情報量に価値なんかないし、逆に多すぎて選べないって弊害起きてるっつーのに、いつまで放置するつもりだろう。売上さえ維持できればいいのか?
…みたいな中で、例えばこういう、あるメディアがあるスペースを素敵にプロデュースしてます、というのを見たときに、自分にはそれができてないことが、私には虚しいのだ。
コンセプトがあれば、みんなで1つの情緒を共有できるじゃん。うちはそれがないから、議論だけが長くて長くて長くて、考えてるうちに興味失せたわ!
というわけで、今日の文章は後ろ向きなまんま〆ます。
自分でもっと素敵だと感じることがしたい。それをみんなで共有したい。情緒的価値を軽視した無機質な議論はもうたくさん。
以上。
2人目のプレーヤーは「コミュニティナース」を運営する矢田明子さん。渡辺満里奈と永作博美を混ぜたような、チャーミングな人だった。
コミュニティナースとは、地域社会の中(ガソリンスタンドとかカフェとかコワーキングスペースとか…)にいるナースのこと。
普通ナースというと、病気になってから病院で出会うものだけど、本来の役割を考えたら、病気にならないためにこそ、健康なときからそばにいるべき、という考えかただそう。
きっかけは10年前、矢田さん自身が父上を亡くされたこと。
問診では「こんな違和感ありませんでした?」とかあれこれ聞かれたけど、とき既に遅しだったと。もっと早く聞いて欲しかったと。
それを機に看護士免許を取り、本プロジェクトを立ち上げたというから凄い!
中で共感したのは、コミュニティナースの要件として、「専門性」だけでなく「関係性」を挙げられていたこと。
例えば病院に行くときって、具体的な症状がなければ相談しづらいじゃないですか。先生は忙しいから、「ちょっとしたこと」は相談しづらい。でも、自分が本当に気にしているのは、その「ちょっとしたこと」だったりするし、実はそれが病気の兆候だったりする。その垣根を取っ払うのが、専門性より、関係性なんだって。
私が今、キャリアカウンセラーを目指している中で、「相談を受ける」って、専門性だけじゃできない気がしていたので、通じるものが感じられて嬉しかった。
そして、通じるといえばもう1つ。
コミュニティナースの考えかたって、「相談×専門性」を軸にした職業であれば、全部に横展開できるような気がする。
例えば、コミュニティ×医師、コミュニティ×弁護士、コミュニティ×教師、コミュニティ×保育士、あ、もちろんコミュニティ×キャリアカウンセラーも。
要は専門性だけだと、その役割は専門機関(病院など)に閉じてしまう。けれど関係性さえ築けるなら、その役割は地域に世界にと広げることができるのだ。
自分の枠を広げるキーワードは関係性。。。これは日々の過ごしかたゆえ、専門性や資格の上に胡座かくわけにはいかないのね!
BS朝日の番組「Game Changer(仮)」の収録を見せてもらった。
ナビゲーターはソトコトの指出編集長。ということで、ソーシャルな世界の注目プレイヤー(=Game Changer)たちが出てくるんだが、いやぁー5000円ぐらい払う価値があった!
書きたいことが多すぎるので、3回に分けて書きます。
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1人目のプレイヤーは徳島県上勝町にある「RISE & WIN Brewing」の田中さん。
上勝町というと、人口1400人の過疎地でありながら、日本初の「ごみゼロ」宣言や、高齢者による「葉っぱビジネス」で注目されている町。
私も2年前に行って、拙稿を残しているが(マジで拙稿)、
今回感動してしまったのは、「RISE & WIN」のコンセプト!
「ごみゼロ」を宣言する町のシンボルを作りたかったんだって。単に「ビール好きだから作った」じゃないんだって。
例えば、フルーティーなビールの味は、町の名産でありながら廃棄されてきた柑橘「柚香」の皮を再利用したものだったり、ハンドルのついた大きな瓶は「GROWLER」といって、ビールのテイクアウトに繰り返し利用できるものだったり、スタイリッシュでしかない醸造所の内外装は、町内の廃材を建材にしたものだったり、
町のスタンスやメッセージを伝えるのに、これほどまでにパーフェクトな方法があるのか!!!
と、大感動してしまったのだ。
というのも、私は今、自分のビールを作りたいと考えている。しかし世は空前のクラフトビールブーム。差別化ポイントを考えなければならない。
ってところで、こんなものを見せられてしまっては、目指すしかないでしょう。「好きだから作った」ではなく、町の課題解決までも一網打尽にしてしまう何かを。
というわけで、下北山村、西粟倉村には提案開始したから、これを磨くことによって、私×好きな地域×クラフトビールを考える人になろう。
目指すはクラフトビール・プロデューサー!
10月から異動希望を出していたが、叶わなかった。
ので、心置きなく移住することにする。来春より1年、修行のつもりで。
行先を発表する前に、ここに至るまでの経緯を復習しておこう(しつこい)。
昨年5月、某しんどいプロジェクトにアサインされ、同僚たちの心がどんどん折れていくのを目の当たりにする。
9月、ひょんなことから島根県津和野町と吉賀町へ。田舎で暮らし働くことを初めて考える。
10月、子宮の異常が発覚。会社を辞めたくなる。
12月、兵庫県淡路島の移住ツアーへ。肥料なしで育てる「自然栽培」に感銘を受ける。
1月、会社が繁忙期を迎える。(〜3月)
プライベートは「働き方」「地域」をキーワードにワークショップに出まくる。退職意向がますます強まる。
5月、民泊法改訂による家の立ち退き騒動が勃発。シェアハウスとして存続できるか不安な日々を過ごす。
6月、もろもろのストレスがピークに達し、会社で暴動を起こす。
どうせ辞めるならキャリアカウンセラーの資格を取ることにする。異動希望も出す。
9月、異動希望は叶わず。←イマココ
…ということで、ポンコツな私なりによく頑張った1年半。曲がりくねってはいるけれど、道が拓かれつつあるのを感じている。
来春からは岡山県西粟倉村のプログラムにエントリーしていて、採択されれば移住する。されなきゃそのとき考えるけど、また大企業に入って、似たような仕事をすることはないな。
私の希望はこれ。
心折れず、体痛めず働けること。
そのために、自分の「心」が動く仕事をしたい。もう頭で論理をこねくり回して、人間らしい自然な感覚を失うのは嫌だ。
その選択肢として今あるのは、キャリアコンサルタントとビール醸造家ということになっている。
仕事以外では、自然栽培とか発酵とか手仕事とかにいそしみつつ、等身大の、それ以上でもそれ以下でもない暮らしがしたい。結局のところ、こういうのが一番心折れず、体痛めない生き方なのだ。
都会の華やかな暮らしは縁遠くなるけど、それよりもこうやって壮大な人生実験ができること!
これにこそ、お母さん産んでくれてありがとう、ぐらいの贅沢を感じている。
就活ルールの廃止が、物議を醸しているらしい。
「学生の本分は学業である」という考えから、採用広報は3月解禁、面接は6月解禁と制限しているルール。これを「廃止」したい経団連会長に対し、安倍首相が「継続すべし」と意見したそう。
この議論は、毎年か隔年ぐらいで出るものだが、例年、経団連vs文科省の対立になることが多い中、今回は安倍首相。今後どう「忖度」されるかが気になるところではあるが、
そんなことより、新卒メディアに関わって4年になる私、実は廃止に賛成である。
というのも、若者人口がどんどん減っていく中で、「学生の本分は学業」とか悠長なこといってらんないのだ。
いや、本分は本分としても、一部の「学者になりたい!」って人以外は、とっとと社会で役に立つ「実学」をこそ学ぶべき。そして、学ぶべきものを早く見つけるために、インターンでもアルバイトでも、さっさと働いたほうが学習効率高いと、そういう意見なのである。
にしても、本来いつから働いて何を学ぶかなんて、本人が決めりゃいいじゃんって感じ。
そもそもの背景には、「18才じゃまだ決めらんないでしょう」っていう固定概念と、そのように育ててきた学校教育とがある気がするけど、将棋の子だって卓球の子だって、中学生から活躍してるじゃん。
大人の都合であれこれするなんて、体操界のパワハラと同じ匂いを感じてしまう。私が病んでんのかな?
さて、私は今、キャリアコンサルタントになるために勉強しているわけだが、このニュースを見て改めて、大人の都合より本人の意思を大切にできる人になりたいと思った。
どんな価値観の人が、どんな幸せを獲得するか。それが本質だとすれば、「いつから働くか」なんてのは手段の手段に過ぎないのだ。何を守りたいか知らないけど、大人の決めたルールのせいで、本質を見失ってる場合じゃない。
玄関に「ムクゲ」を置いてみた。
ムクゲは韓国の国花であり、名前をムグンファ(無窮花)というが、暑い夏でも窮することなく咲き続けるさまが、韓国人の性格にぴったり来るということらしい。
そんなことを考えながら、花壇より2本ほど剪定。ぴったりの花瓶があったので、内心うししと笑う。
そんな小噺はさておき、最近ある人から、「花を飾る」という行為は、コミュニケーションであると聞いた。
花を飾る=見る人に対する敬意やおもてなしの表現だとして、見る人は花を通し、それを感じることになる。
飾りかたは問わず、花を置くでも、花壇を整えるでも、コミュニケーション=それを飾った人と、見る人との間に感情の交換が生まれるのだ。たとえ、顔を合わせなくても。
それに関連して、「PR」という言葉は、Public Relationsの略だとも聞いた。PRの仕事4年もやってるのに、、、「アピール」と違うんだ。。。
花の例から考えると、PRとは自分が公=Publicに対して、こういう関係性=Relationsを求めています、の表現となるだろうか。
要はPR=私はこういう人で、こういう想いがあって、あなたにこれを提供することで、こういう関係を結びたいです、を伝えることを指し、
目立つことを目的とする「アピール」とは本質的に異なり、そこには双方向性があるのだ。
だから何なんだって感じでしょうけど、私はこれによって、大きな納得を得た。
花を飾るにしても、PRするにしても、もっというと、掃除するにしても、化粧するにしても、明るい表情を作るにしても、前提には人との関係性があるのだ。
社会がどんどん便利になって、最近じゃ1日出かけなくたって、人と喋らなくたって働けてしまう日が増えた。
だけど、コミュニケーションが少ない日は、スケジュール的にスムーズでもどこか虚しく、目的に欠ける感じがする。
きっとそれは、働く=人のためにすることだったり、人間=人の間と書くものだったり、何か本質的で根源的な何かを指しているからなんだろう。
たまには日常的なネタでも。
ちょっと前に「ぬか漬け」を始めました。
ぬか床の管理が面倒とか聞くけど、実はそうでもなく、毎日ちょちょっと混ぜるだけだし、混ぜられない日は冷蔵庫入れとけばOKだし。
翌日にはもう漬かるから、料理として楽なことこの上ない。
中でも私が好きなのは、ぬか床と自分の間にある、コンビネーションのようなもの。
混ぜて野菜を埋めるたびに「オッケーオッケー。あとはこっちで漬けとくから!」的な声が聞こえる(ような気がする)。職人気質の相棒って感じ。
そしてもう1つ好きなのは、入れた野菜のエキスで、ぬか床がどんどん育っていくこと。
始めは粉っぽくて、ぱさぱさしていたぬか床が、漬ければ漬けるほどしっとりしてきて、私のオリジナルが育ちつつある。
昔はぬか床もって嫁に行ったなんて聞くけど、確かに捨てられないの分かる。だって、声が聞こえるんだもの。
こうなってくると、次は野菜にこだわりたくなる。どんどん育っていくんだから、良いものを入れたいじゃないの。
マルシェでも行こうかしら。
平成最後の夏が去ろうとしている。
私にとっては30代最後の夏でもあり、新たな元号と40代をゆるやかに離陸するために、必要な整理をした夏だった。
どういう意味かというと、良くも悪くも「自分で」生きるしかないということだ。
まだまだ「可能性」とかいえた若い頃と違って、できることできないこと、したいことしたくないことがはっきりしてきた。どんなに努力したって、伸びない部分はもう伸びないという感覚もある。
そんなへなちょこな部分も含め、これから何を「自分で」頑張っていくのか。その選球眼こそが、重要になっていく気がするのだ。
今後の方針は、引き続き「しぜんとはたらく」をキーワードに、①心身管理を重視しつつ、②キャリアコンサルタントになる(資格勉強開始)、③自然栽培や発酵に関する探求を深める(クラフトビールはここ)、④創発を軸に人と関わる(シェアハウスと移住ツアーはここ)、とする。ま、大きくは同じか。
30代は残り230日。1日1個実行するのじゃ。
《心身の管理》
《キャリアコンサルタント》
《自然栽培と発酵》
《創発》
《10月以降》
今週のお題「#平成最後の夏」