田舎出身の皆さん、「都会は冷たい」って感じたことはありませんか?
人が冷たい、関係が希薄、便利だけど心がない。そんな風に感じ、故郷へ帰る人もたくさんいます。
私は上京して20年近いですが、最近、都会が冷たく感じられたのは、自分の想像力が足りなかっただけかも、と思うできごとがありました。
オリーブの島として有名です
私は「二十四の瞳映画村」に行こうとしていました。
そこはアクセスが悪く、港からバスで行くと、1時間以上かかるらしい。ですが途中から海路を取れば、20分の短縮になるらしい。
海路の名は「渡し舟」。レトロな響きの素敵さもあり、私はバスを飛び降りました!
ところが早いって聞いて降りたのに、めっちゃ待たされたんです。
舟は“呼べば来る”スタイルだったようで、出発までに20分ほど待たされました。結局のところ、バスとの差は差引ゼロ分。
現れたのは漁師っぽいおじいちゃんでした。
舟は私だけを乗せ、瀬戸の小海を渡ります。聞けば「二十四の瞳」の大石先生(主人公)もこうやって通勤したそうで、遅いとかそんなことは、もはやどうでもいい感じ。
かくして私の心は、ゆったりとした島時間に強制スローダウンされたのでした。
さて、私は東京の大企業に勤めるOLであります。
やっていることは有名Webサイトのプロモーション。全国の若者50万人の役に立てる仕事です。
日夜〆切に追われながら、正確性を保ちつつ効率性を損なってはいけないという、なかなか神経の要る仕事ですが、それなりにやり甲斐を感じています。
当然ですが、私がおじいちゃんを認識したように、若者たちが私を認識することはありません。見られているのはWebサイトであって、私なんぞはそれを担う小さな歯車に過ぎないからです。
大企業の仕事って、そうなんですよね。影響力は確かに大きい。だけどユーザー側には想像もできないぐらい多くの人が関わっていて、個人の顔までは、見えないんです。
私は船を待ちながら、こんなことを考えていました。
都会では、多くの電車が定刻に来ます。動いているのは電車ですが、動かしているのは人間です。にもかかわらず私たちは普段、動かしている個人を見ようとはしません。
“都会は冷たい”の正体はきっと、個人が見えなくなるほどに、組織や社会が大きくなってしまったこと。それを冷たいと嘆いても始まらないので、“見えないものを見る力”で、補填するのかもしれません。
PHOTO|二十四の瞳映画村
待合室になっている“醤油樽”
PHOTO|醤の郷
小豆島は醤油の島としても有名
レトロに見えても現役の醤油工場