ここに、果物がある。
もし大切に育てたものなら、残さず食べるし、皮も捨てずに使うだろう。
逆に、加工するから部分的に取るとか、規格に合わないから捨てるとか、いわれたらどんな気がするだろう。
「勿体ない」ではないだろうか。
日曜日にマルシェに行った。農家さんが店に立ち、自分の作物を並べていた。
大切に育てたから買い叩かれたくない、大切に育てたのに農協の規格から外れる、なんて聞いたら、冒頭のような発想に至った。
自分にとって大切でも、世に出たときに同じように、大切にされるとは限らない。だから自分で守りきる。農家さんたちから、そんな気概を感じた。
マルシェに行ったきっかけは「津和野」であった。「津和野マルシェ」を運営する人たちと一緒に、そのあり方を考える会だ。
田舎には人が少ないから、1人1人が「自分」というリソースで目一杯頑張っている。その姿が何故か、大切に育てた果物のように見えた。
果物を丸ごと食べたほうがいいように、人も丸ごといかしたほうがいいに決まっている。
組織の都合で部分的に使われたり、役割に合わないからって捨てられたりしてはいけない。
しかし、効率に重きを置く都会の働き方は、まるで加工食品になる果物みたいだ。
大切に育ててきたのなら、自分で自分を守りきり、いかさなければならないのだ。
ただ消耗するのではなく、ちゃんと意味のあることを、しよう。