ゆかこの部屋Blog

日々の行動と感動をコレクションします

平成への偲びに代えて

あの事件の死刑が執行された。

私の周り及びSNSで、これを話題にしてる人は一人もいなかったけど、私は気になって気になって、AERAの記事とか全部読んでしまった。

 

というのも、あの事件が起きたその日、私は中学の卒業式で、卒業式そのものよりこの事件のほうが印象に残ってしまっていて、

その後、私の世代だと、2年後に神戸のサカキバラ事件が起き、その翌年に和歌山のカレー事件が起き、その3年後にニューヨークの9.11がありって、

思春期の多感な時期に、信じられないような事件がたくさん起きて、

多感な年頃なりに(頼まれもしないのに)一生懸命葛藤したことを、思い出してしまうのだ。

 

当時も今も、葛藤の末に行き着くのは、こういう凶行を起こす人たちが、生まれながらに凶人だったわけではないってこと。いや、ない「はず」だっていう信念。「凶人」というレッテルが、孤独が、人を本物の凶人にしていく、というか。

勿論、凶行を擁護する意図はないけど、凶行ってのは、ある日突然起きるわけではなくて、ちょっとしたボタンのかけ違いが、ちょっとちょっとという内に大きくなって、とんでもない凶行に繋がっていく。そんなことを、思春期なりに考えていた気がする。

 

今回の死刑執行は「平成のうちに」とかいう事情で行われたものらしい。裏で重要法案とか決まってるかもしれないけど、表向きはそうらしい。

ただね、この教団って、最終的には凶悪犯罪集団と化したわけだけど、どうしてそれが起きたのかっていう社会病理的な部分、その本質自体は、社会から消えてなくなってないような気がするのだ。本人たちが消えただけで。

もし償う気があったなら、それを明らかにして欲しかった。たとえ小さな示唆だとしても、未来に残して欲しかった。

そういう意味で「死んで償う」は、最高刑じゃないのかもしれないし、平成の次の時代は、こんなことが起こらないようにしたい。