ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

農的暮らしから学ぶ -後編-

中島デコさんと岡本よりたかさんのトークイベントを聞いてきた。

畑はやめても学びはやめたくないと、あれこれ探していたところに、こんなメディアを見つけたのだ。

thecampus.jp

中島デコさんは、私も行った「ブラウンズフィールド」の主宰者で、

brownsfield-jp.com

岡本よりたかさんは、自然栽培の伝道師として有名な人(らしい)。

www.soramizu.com 

ここで何が語られたかは割愛しちゃうけど、

なんというか、この1年、畑をやったり田舎ツアーに参加したりする中で考えてきたことが、1本の線になった気がする。

私は、畑がやりたかったんでも、田舎に住みたかったんでもなかった。

自然に、健康に暮らしたかったのだ。

 

きっかけは、岡本さんの言葉だった。

自然栽培の作物には生命力があり、食べるだけで体が強くなる。

自然とは、ほったらかすということ。その反対は、人が手を入れコントロールするということ。

「自然=ほったらかす=強い」は作物だけでなく全ての法則で、今、西日本が豪雨に襲われているけれど、災害が起きている土地はほとんど、人の手が入り過ぎてしまっている。

自然のままにほったらかされた土地は、(岡本さんが住んでいるところも含め)強くて壊れることがない。

 

このブログを読んでくれている人なら分かると思うが、私が畑を始めたり、田舎ツアーに参加したりするようになったのは、会社の仕事が辛くなったことが原因だった。

あれは1年ちょっと前。

急に難しい要求が増え、どんなに効率よく片付けても、仕事の終わらない日々が続いた。

私を含め耐え抜いた人もいれば、辞めたり倒れたりした人もいたけど、身を守れば完遂できず、完遂すれば身体を壊す。そんな仕事に、「不自然」さを感じるようになった。

岡本さんの言葉を借りれば、生きる=自然であり、壊れる=不自然である。自分を壊してまでする仕事に、意味なんかあるだろうか。

違和感を感じたら、全てが気になるようになって、

“広告”という「人と人との出会いを作る」仕事が、「情報で人をコントロールする」不自然な仕事に見えてきた。

そして見つかったのが、病気(予備軍)である。

あくまで予備軍だし、畑や田舎に通うことで癒されてはいたものの、今考えればもう、度重なる不自然からの病気に、心が折れていたんだ、私は。

 

というわけで、もしかしたら本当に今だけの感覚かもしれないけど、長い旅が終わりつつあるような気がする。

感じていた違和感は、責任感や使命感という姿をしたものによって、自分で自分をコントロールしようとしていたこと。自分を壊すような環境に自分を置いていたこと。誰でもない、自分の選択だ。

だから今日からは、新しい「土」を探す。

それが何かは分からないけど、もうどんな土にも合うほど若くはないんだし、自分に合う土は自分で見つけなければならない。