目が覚めて、客室の露天風呂に入った。
「わびさび」を画に描いたような世界。
京都の山奥、高雄でも一番奥にある旅館で、辺りは静まり返っている。
はらはら降る雪のほかに、見るものもなく、私はただ、空から降りてくる大小の粒が、土に溶けたり溶けなかったりするのを見ていた。
なぜ私がこんなところで、こんな贅沢をしているかというと、それは企画してくれる人がいたからなのだが、その想いを考えたら涙が溢れて、よく分からない気分になった。
雪を溶かす土は私で、溶ける雪は人に見えた、というか。
雪の1粒1粒が、今は目の前にいない人、もう会わなくなってしまった人含め、私のために「してくれた人」に感じられたのだ。
過去があるから、今がある。
良かったことも悪かったことも、全ては「してくれた人」と「してもらった自分」で作ったもの。
それを否定してもしなくても、今の自分が結果なのだ。
過去が今日を作ったように、今日の自分が未来を作る。
できることといったら、感謝ぐらいしかないけど。