ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

40年間ふりかえり -20代-

こんにちは。

「黄昏流星群」は10巻まで読みましたゆかこです。

さて、あと数日で40才。「人生の折り返し地点」を迎えるということで、40年間ふりかえりはいよいよ20代に入りました。佳境です!

20代前半

私が20才になったのは、1999(平成11)年。GLAYとかモーニング娘。とかが売れていたみたいです。宇多田ヒカルのデビューもこの頃。

私は東京の法政大学に入り、サークルとアルバイトと、ときどきの旅行とに明け暮れておりました。

彼氏ができたのは大学1年のとき。あっ、正確には19才だけど、今は亡き学生会館のベランダで、サークルの先輩に告白したのでした。いくえみ綾の漫画と同じセリフで!

初めてのアルバイトは「ルノアール」。私は奥田民生が好きだったので、そのレコード会社の近くにいれば、きっと会える!と信じていたのです。結局、会えた有名人はイジリー岡田だけだったけど。

初めての旅行は「青春18きっぷ」で日本縦断。もう一生電車乗りたくないぐらい乗った。確か↑告白する直前だったので、成功を祈願して、札幌でピアス開けたっけ!

やることなすことカワイイやないか!

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はっ…大学1年だけでこんなに書いてしまった。

その後、大学は普通に卒業して、普通に就職するのだが、新卒の年は(私なりに)モテた!

えっ、どうしてこんなに爽やかで有能な男子が?ということもあったけど、その頃は謎に真面目だったため、チキショー!デートすらしなかったのだ。

私が「黄昏流星群」に出るなら、この人とだけはデートしたい。

20代後半

人生の針が(良い意味で)狂い出したのは、25才になった2004(平成16)年。一青窈の「ハナミズキ」がヒットしたらしいけど、この頃はもう音楽を聴いていなかった。

さて、何が狂ったかというと、親の反対を押し切って、韓国に渡ったのである。「冬ソナ」は別に関係なく。

そもそものきっかけは、卒業旅行で行った台湾。親日的な台湾人たちにもの凄く親日的にされ、「親日家を増やす仕事」として、日本語教員を志したのだ。

ところが、当時の日本語市場において、台湾=幼稚園での日本語教育。大人に教えたかった私は、韓国へ行くことになったのです。

累計1年7ヶ月に及んだ韓国滞在は、苦しさ8割楽しさ2割みたいな感じだったけど、その2割が猛烈に素晴らしかった。

言葉より、心の通じる素晴らしさ。

それが私の「礎」になったというか、今の私が今みたいに「常識を気にせず、共感で動く」大人になったのは、全てここが起点でしょう。「正しい」かどうかは分かりませんけどw

 

で、27才で韓国から戻り、その頃は結婚を考え、同棲なんかもしてました。

仕事はたまたまリクルートに入り、何が何でも18時に退勤(事務職だった)。一緒に夕飯を食べたりして、それなりに楽しい暮らしだったが…。

今考えれば、リクルートさんがそんな「平穏な暮らし」させてくれるはずなかったのだ。

 

30代へ続く。