ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

鈍感の皮

11:00から24:00まで仕事(予定)。

業務量が溢れかえっているというのに、人の業務巻き取ったり(1個は消した)、関係者間の翻訳したり、ぼちぼち睡眠時間を削らねばならない。

しかし、こんな暮らしがどうして続けられるかというと、

  • 成果とプロセスがシンプルだから

これです。

ビール作りたい、売りたい、地域活性したい、って、目指す成果が極めてシンプル。プロセスは自分の成長と関係者の巻き込み。大切にすべきことは人間として大切なこと(挨拶とか)。

都会で習った「うまいやり方」はほぼ役に立っていないが、私の学びたかったことは日々学べているような気がするから、今日で19連勤でも発狂せずに済んでいます。

 

さて、田舎では都会より「人間同士の関係性」ってものが重視されるんだけど(ビジネス的な部分より、の意味)、その背景にはこんなことがあるんじゃないかと思ったので、メモ。

結論から書くと、田舎の人は敏感なのだ。個人の性格はあるにせよ、比較的繊細な人が田舎暮らしを選んでいるような気がする。

例えば田舎の人は、満員電車を嫌がる、騒音を嫌がる、空の狭いのを嫌がる。

都会の人も嫌だろうけど、耐えられるかどうかが敏感さのラインで、これに耐えられる都会の人は、「人間同士の関係性」においても、比較的鈍感でいられるのだろう。

これは(鈍感な)私が、当初苦しんだ部分でもあるのだが、今日、急に閃いた。

田舎の人は新玉ねぎで、都会の人は普通の玉ねぎ、なのだ。

田舎の人には「鈍感の皮」がない。

皮がないから正直だし、皮がないから傷つきやすい。故に、「この人は自分を傷つけない」って分かれば、都会の人であっても急に打ち解けたりする。

単に都会の人が嫌いなのではないし、排除がしたいわけでもないのだ。土足で踏みにじられるのが嫌いなだけで。

更に、ここは関西だからかもしれないけど、関東の都会より「正直さ」が有効である。意見すればいちおう聞いてもらえる。だからこっちも聞く必要があるけど、人間関係としてそれが健全なのはいうまでもない。

ふむ。

全くまとまってないけど、書きたいことは書けたから終わり。

私は今日も、正直に率直に生きました。

あと2仕事。現在時刻21:30。マジか。