ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

篠山には天国と地獄があった

あっ、意味深なタイトルでごめんなさい。

「天国」は写真のような景色。

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そして「地獄」は、自分の弱さが作り出した現実ってことで、深い意味はありません。

 

さて、篠山に初めて来た日から、ちょうど1年が経ちました。

奇しくも奈良仲間のAさんが遊びに来て、あーだこーだと喋っていたら、この1年で得たものを考えてみたくなりまして、飽きもせずに内省です。

 

運転できるようになった

地味に一番大きかったのはこれ。

私は、フットワークだけが異常に軽いので、この文明の利器によって、「運転できる私の未来」が考えられるようになった。田舎じゃ、運転できるとできないとで全く違うからね。

Aさん曰く、私は1年前に「風の人(1ヶ所にとどまらず、あちこちを巡っている人)になりたい」といっていたらしいけど、この1年がその序章だったと考えれば、少しは価値があったのかな。

ま、運転だけならペーパー講習通えって感じだけど!

営業できるようになった

これも非常に大きかった。

私はRで1年ぐらい営業職をしていたが、ストレス解消でカード地獄に陥るほど向いていなかった。

ところが、こっちでビールを売らなければならなくなり、最初は苦手だったけど、味方が増えてきてからは、自分の世界も広がるのを感じた。

今後の人生で売りたいものができたら、まずは売りたい人を探して、連絡して、想いを伝えて、小さな協力から仰げば良い。そして繋がっていく人間関係。それが営業の醍醐味であり、私自身の世界だと。

ちなみに今は、「営業が嫌で」パート契約になった体だが、実際はそうではない。内勤をしながら営業もして、マルチタスク故にミスをしたり、責任を果たせなくなることが耐えられなかったのだ。

自分に必要なものが分かった

「田舎って不便でしょ?」とよく聞かれるが、そんなことはない。都会が便利過ぎるだけ。

3分に1本来る電車。一生かけても着られないほど売っている洋服。3食食べたとしても通いきれない外食店。などなど。

その点、田舎では不要なものにまでコストを払うことがない。

本当に必要なものなら、ネットや都会で買うけれど、その頻度も多くない。「偶然の1回」の出会いのために、高い家賃を払わされるなら、田舎に住むほうが合理的だ。

 

その一方で、逆に欲しいものは何かというと、創作意欲の湧く暮らし。

大げさなことではなく、栗が取れたから調理してみたい、金木犀が咲いたから香水にしてみたい、など。商品としては買わないだろうけど、私は自然との関わりの中に充実したものを感じるし、これも都会では得難いことなのだ。

付き合いたくない人の種類が分かった

田舎は人が少ない。

少子高齢化してるんだから当たり前だが、しかし田舎は人のバリエーションが多い。本当に土着の人もいれば、新進気鋭の移住者もいる。

更に田舎は、人だけでなく動植物や昆虫をも生かす環境である。…からかどうかは別にして、都会じゃ潰されるような人も潰されないで生きている。実に自由だ。

とどのつまり、人の絶対数が少ないのに、ヘンな奴に出会う確率が高い。故に「こいつ嫌」ってなる確率も高い。善良な人ももちろん多いけど、とはいえ!都会と同じ確率で愛想笑いしてはキリがない。相手がまともじゃないんだから、まともぶっても意味がない。

ってことが分かってきたので、最近は耳栓買うかを検討中。※うるさい人が苦手

 

あとはそうですね、自炊をするようになった、着付けが早くなった、面白い仲間が増えた、とかでしょうか。

意味のある年だったことには間違いない!ないない!