毎週木曜日は、過去の投稿を見直す日。
過去に得た学びを反芻することで、今に役立てようという企画です。
まずは2014年。
会社で楽しい取り組みをして、小さな表彰を受けたようです。
改めて読んでみて、うわー、私、こういう心(遊び心)、あったわー。
ちょうどリクルートライフスタイルからリクルートキャリアに転職した頃で、同じリクルートといっても、キャリアはエリート志向が強く真面目。私の目には「うわ、この会社、つまんねー!」って感じだったので、くだんの取り組みをした結果、盛り上がって表彰されたのだ。
しかし数年が経ち、今は自分でも書いているように、
真面目に働く人ほど、効率にとらわれ過ぎて、楽しむチャンスを逃している
感じに、なってしまっていた!!!
面白くなかったのは、会社でも仕事でもない。自分だったかー。
せせこましいこと考えず、もっと毎日を面白がろう。
2015年…は、投稿なし。
2016年は、まだダイエットしてます。早く玄米を食え。
続きまして2017年は、誰かにまた愚痴られたか、自分の「聞き上手」っぷりを分析しているようです。
そう、聞き上手は長所だった。だったのに、今年は見事に裏目に出たなー。
「聞いてあげれば、聞いてもらえる。」
ここはそういう世界じゃなかった。
聞いてあげても、聞いてもらえない。
どころか、聞いてあげれば、延々聞かされ続けるだけ。何でそんなに要求できる?
…長所が死ぬ世界からは、退散すると決めている。
最後は2018年。「働く喜び」について考えているようです。
自分でも書いてるように、ポイントはこれ。
自分にとっては大したことのない努力で、人からめっちゃ喜ばれる。これは楽しい。
2014年の投稿もそう。2017年の投稿もそう。私が頑張れる世界には、常に喜んでくれる人がいた。
今年もそれを期待したけど、喜ばれるどころか、もっともっとって、ボロ雑巾になるだけだった。この違いって、何なんだろう?
もやもやした感じになってしまったが、まとめると、
・仕事の中に「楽しい仕掛け」を導入したら喜ばれた
・人の話に頷き、共感を示したら喜ばれた
・ぬか漬けなど、自分にとって簡単なことでも喜ばれた
→喜ばれたとき、私はもっと頑張る気になる
↔︎逆に頑張っても「それは当たり前」のような態度をされれば、しばらくは頑張ったとしても、やがて燃え尽きてしまう
→喜びの表現って大切
欲しいものは、まず自分から。2020年は「わーい」を口癖にしようかな。