ゆかこの部屋

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映画「わたしは分断を許さない」

ポレポレ東中野で、映画「わたしは分断を許さない」を見てきました。

ジャーナリスト・堀潤さんの監督作品で、香港、ガザ、シリア、福島、沖縄、北朝鮮で取材された映像を元に、「分断」の現実を伝えるドキュメンタリー映画です。

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映画の軸となっているのは、福島の原発事故で生業を奪われたとして、東電と国を相手に訴訟している「生業訴訟原告団」の2人の女性。

1人は懐かしい家と暮らしを失い、1人は子育てのため放射能のない沖縄へ移住。そんな中で、権力者相手に訴訟をしている。

文字通り、辛い暮らしを強いられているわけですが、だけどよく考えてみたら、そもそもこの人たちに、その「責任」はないんですよね。

ただそこに生まれたってだけで、ただそこに住んでたってだけで、罪もないのに大惨事に巻き込まれ、「あとはヨロシク」って、結果だけ背負わされてる。

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「結果だけ背負わされる」といえば、森友問題で自殺してしまった職員さん(奥さんも権力者相手に訴訟)をつい連想してしまう私ですが、本当に闘わなきゃならない相手は、誰か。

 

ところで、映画の中で印象に残ったのは、北朝鮮で日本語を勉強している大学生と、日本の大学生が交流する一幕でした。

白いシャツに赤いネクタイ。いかにも「北朝鮮」な姿に、緊張する日本の学生たち。

取材当時は、日本国内の朝鮮学校が「高校の無償化」の対象外になったことが本国でも報じられたらしく、それについて意見を求められた日本の学生が、たじろいでしまうシーンがありました。

そして普通は、ここで「分断」が起きてしまうんです。

しかし、対話は続きます。

「どうして日本語を学んでいるの?」という質問に対して、「朝日正常化のため」と、目を輝かせる北朝鮮の学生たち。

関係ないのに、「ありがとう」って云いたくなったよ!

 

私は昔、韓国で日本語を教えていました。そのとき、毎日考えていました。

政治家は「正常化」のために交渉しているのに、関係はどんどん悪化していく。何故か。

そして今は分かります。本当に闘わなきゃならないのは、北朝鮮でも韓国でもなかったってことが。

 

映画の中で沖縄に移住した女性は、米軍基地の問題に関心を抱き、抗議行動に参加するようになりました。

昔は「抗議行動なんかする人は、何にでも抗議する人だと思っていた」彼女が、原発事故の被害者になってしまった。そしてその経験が、彼女の意識を変えたのです。

声は、自分で挙げなければならないと。

 

原発しかり。米軍基地しかり。日朝関係も世界中の紛争も、森友問題もしかり。

罪なき被害者の存在に目を向けなければ、それを忘れ去ってしまうようでは、気づかぬ間に自分も加害者になってしまう。そしてのうのうと加担しているうちに、今度は自分が被害者になって、存在そのものを消されてしまう。

 

そういう怖い社会に生きてるってことを、改めて感じました。

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