ゆかこの部屋

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正しく怒ろう|新感染 ファイナル・エクスプレス

散歩がてら買い物に行った帰り、久しぶりにシェアサイクルを借りたら、前輪がパンクしていたため、転んで怪我をしてしまいました。

公道で転んで、痛いやら恥ずかしいやら。「こんな自転車置いとくなよ!」と一瞬腹も立ちましたが、悪いのは自分です。確かめようとすれば、それは確かめられたんだから。

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さて本日も、コロナ禍の「今見るべき」映画を紹介します(ネタバレあり)。

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2016年に公開された映画で、原題は「プサン行」。

ソウル発プサン行のKTX(新幹線)の中に、あるウイルスの感染者がいたため、乗客が次々に感染、ゾンビ化していくという内容です。

列車の中でのできごとなので、例えば11号車にゾンビがいれば、そこにいる乗客は10号車か12号車に逃げることになります。感染が広がり、ゾンビが増えていく中で、乗客たちは逃げるため、ゾンビを殴る、蹴る、そしてときには殺してまで先へ進むしかありません。

そして列車が「次の駅」に着くころ、車内は完全に「分断」されてしまいます。ゾンビのいる車両といない車両、そしてゾンビと戦う車両に。

そして、恐ろしいのはここから。分断は、ゾンビ対非ゾンビだけではなかったのです。前線でゾンビと戦ってきた、主人公を含む「英雄」たちまでも、非ゾンビの敵と化してしまいます。

さっきまで友人だったとしても、さっきまで夫婦だったとしても、ゾンビ化した以上、或いはゾンビと接した以上、感染した「かもしれない」から、生かしてはおけないというわけで。

 

私はこの映画を通して、自分の中の恐ろしい感情と出会うことになりました。

この人には死んで欲しくないけど、この人には死んで欲しい。

という感情です。

普段は虫も殺さぬようなことばかり考えているくせに、「死んで欲しい」とは何故か。

ゾンビとの戦いの中で、私はそれぞれの人柄や正義感、そして勇気を見ることになりました。それがあるのに死んでしまう人。それがないのに生きてしまう人。ウイルスは人の善悪を選ばないけれど、私は自分という人間が、命に「重軽」をつけていることに気がついたのです。

そしてコロナ禍の昨今、同じ感覚で世界を見ていたのかもしれないと。

実際、多くの人が死んでいても、潮目になったのは志村けんさんだったように、知ってる人は大切だけど、知らない人はどうでも良く感じていたのではないかと。

 

しかし私はある文章を通して、この不公平な心理こそを「感情移入」と呼ぶことに気づきました。

都内の病院で働く「四谷三丁目」さんの文章です。

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医療現場にマスクがない。消毒液もない。防護服に至っては、足りないから雨合羽を被っている。などなど、ニュースから伝えられる情報は多くあります。

だけど、こんなにも訴えかけられたことは、過去に一度もありませんでした。

この感情が生まれた理由は、恐らく四谷三丁目さんの人柄も含め、置かれている状況が嫌というほど「分かってしまった」から。ほかの医療関係者がどうでも良かったわけでは勿論ないけど、「知ってしまった」以上、黙っているわけにはいかない。これが「感情移入」です。

 

感情移入してしまった。では、どうするか。

四谷三丁目さんの書いている、

「患者を救えない」のは、医療従事者にとってこれ以上ないほどのストレスです。苦しみです。高尚なことを言うつもりは全くないですが、私たちは少なからず「人を助けよう」という気持ちをもってこの職についている。
「手の施しようのない人」が増えるたびに苦しみは募っていく。

という部分。尊い志に頭が下がります。

そして四谷三丁目さんの書いている、

怒ることができる人、怒ろう。頼むから。怒ってくれ。あなたの怒りを言葉にして教えてくれ。届けてくれ。おかしい。今この国で起こっているありとあらゆることが本当におかしいのだと、自分の命が軽視されてようやく気づいた人間からのお願いだ。

という部分。命の重軽という不公平が、医療現場で起きている。人の善悪を選ばないウイルスを前に、医療関係者の辛さは想像を絶するものがあり、代わりに怒ってあげるしかありません。

世界は理不尽にできている、という前提で、しかし、そうだからこそ、正す努力をしなければ。気づいてしまったからこそ、真の原因に目を向け、正しく怒らなければ。

「感情を正しく使おう」ということかもしれません。「怒り」が湧いてきたとして、その矛先をどこに向けるか。

正しく考え、怒ることも、今、健康な市民にできることではないでしょうか。