人生は、ろうそくのようなものだとして、ろうが尽きるそのときは、人生の終わるその瞬間。
融けてゆくろうが命だとすれば、灯る光は、私の成果や存在価値に当たるのだろう。
自分はどんな風に生きて、どんな世界に暮らしたいのか。
そんなことを考える度、今の生活が正しいのか、よく分からなくなる。
出来なかったことが、出来るようになりたくて、私は今の生活を選んだ。
しかしそれと引き換えに、掌からぽろぽろと、毀れておちてゆく何かも見える。
私は、暗くなってしまった誰かを、照らすようなろうそくになりたいのだ。
誰かの灯を消したりなんて、そんなことはしたくなかったのだ。
頑張るのはいいこと。
だけど、それで傷つく人がいるのは、本当の意味で正しいのだろうか?
生きるために頑張る人がいる。
楽しむために頑張る人がいる。
生きると楽しむの仲立ちをするのが、「正しさ」なんだと私は思う。
強くなれってことかもしれない。
だけど、正しさのためだけにある正しさは、全然正しくなんかないと思う。
私は、楽しむために正しく生きたい。