2015年の春に、母と(祖母の妹とその娘と)島根県津和野町を旅した。
母の故郷であるこの土地。ここで私は、見たことのなかった町の顔、そして自分のルーツを、改めて知ることになった。
「山陰の小京都」と呼ばれる津和野は、城下町の風情が色濃く残る、その名の通りの古都である。
ここには子供の頃、兄と一緒か、独りで行くことが常だったが、祖母の家は中心部にあり、そのため私のイメージも、津和野=城下町であった。
ところが!
母に案内された津和野は、まぁ田舎も田舎。「日本昔ばなし」に出てきそうな世界が、平成のこの世に、2000年代のこの世に、現れたのである。
「毎日この井戸で水を汲んだ」とか、「とんでもない山道を学校まで歩いた」とか、幼少期の暮らしを「私に伝えたかった!」という母。
「古きを温ね、新しきを知る」というが、古いまま残された家に、蘇る母たちの記憶。一方それは私にとって「初耳」の連続であった。
自分のルーツを知ると、虫の目でしか見えていなかった世界が、鳥の目で見えてくるようだ。
30数年という人生は、自分にとって長いものであっても、ひとたび「先祖」という時間軸に立てば、それは戦後にも明治にも、江戸時代にもいたわけで、自分のルーツを旅することが、それを自分のものにするのかもしれない。