ときどき、“ドS”とか“強そう”とか“肉食”とかいわれます。
身長が170センチと高く、顔も厳しいのは認めますが、自分としては優しい性格のつもりであり、ドSは正直心外でした。
ところが!先日自分でも確かに、ドSを認めざるを得ないできごとがあったのです。
それは、広島県尾道市~愛媛県松山市まで、しまなみ海道をバスで移動したときのことでした。
尾道から松山まで行くには、途中の因島大橋にてバスを乗り換えることになっていました。
因島大橋の脇にバス停がある
定刻は18:22。すっかり日も暮れ、肌寒くなってくる頃合い。バス停のそばには小さなSAしかなく、それはそれは寂しいところだったんです。
ところが、待てど暮らせどバスは来ない。その上、時刻表的に見れば後発のバスがばんばん来る。私は予約もしていなかったので、“バスが来ないかも”リスクのほかに、“満席で乗れないかも”リスクも抱えており、とてもとても不安だったんです。
そして、定刻から40分が経ち、やっとバスがやってきた!
私:(ドキドキ)松山まで予約してないんですが乗れますか?
運:今日は混んでるんですよね。
私:…乗りたいんですけど?
運:…1000円札はありますか?
私:???10000円札しかありませんが。
運:それだとちょっと…。釣銭を切らしてまして。
私:じゃ、着いてから両替します。
運:…それもちょっと規則で。
私:じゃ、SAで両替してきても良いですか?私、これに乗れないと困るんですよ!
運:…ごにょごにょ。
というような具合で、結局、両替できる人が見つかり良かったのですが、とにかく私は、断れるなら断りたいという運転手さんの弱気を、自力で突破したわけです。
しかし運転手さんにしてみれば、既に40分も遅れているのに、更に面倒な女の登場。「こいつ、ドSだ」と、思わなかったはずがありません。
そこで私は、何が自分をドSにしたのか、その原因を考えてみました。
それはできない理由ではなく、できる方法を考えるという思想です。
実はこれ、体に染みついた習慣のようなもの。私は10年ほどハードな会社に勤めていて、そこではこのマインドがなければ、到底生きてなどいけません。
バスに乗りたい客がいる。にもかかわらず、物理的にどうとでもなりそうな理由で、断ろうとする運転手がいる。私はそんな状況を、認めるわけにはいかなかった!(予約しなかった自分は棚に上げています。)
普通の女子なら、涙目で訴えでもするところを、“できない理由”を潰し、“できる方法”に変換する。これをドSというなら、私はそれを受け容れましょう。
だってこれは、生きる力なんですから!!!
「できない」よりも「できる」ほうが、100倍良いじゃありませんか!
ということで、晴れてドSになりました。