皆さんはどんなときに、心の底から“リラックス”しますか?
マッサージを受けているとき?温泉に入っているとき?気の置けない仲間と喋っているとき、なんて人もいるかもですが、“自然の中に身を置いているとき”、これがきっと鉄板でしょう。
高知県高知市は、坂本龍馬を始めとする“幕末の志士”たちの街です。
桂浜や高知城など、「竜馬がゆく」を読み、「龍馬伝」を見た私には、確かに見ごたえありましたが、
それより素晴らしかったのが、意外にも仁淀川という川でした。
仁淀川とは、愛媛県から高知県を流れる河川で、四万十川や吉野川と並び“清流”と称される川です。私はその名すら知りませんでしたが、たまたまパンフレットを見つけて、ちょっと行ってみることに。
パッと見は、田舎ならどこにでもありそうな川。
ですが、その透明度は橋の上からでも分かるほどで、近づいてみると無数の稚魚が、元気に泳ぎ回っているのが分かります。私は運転できないので、それほど上流に行ったわけでもないのに、です。
元気に泳ぐ稚魚たち
上空ではとんぼが舞い、鳥のさえずりが聞こえてきます。私はとっても癒されて、頭の中から毒素が抜けていくのを、物理的に感じるほどリラックスしました。
かつて私は、田舎というものが嫌いでした。だから18歳で上京。今に至るまで都会で暮らしているのです。
都会は何が良いって、選択肢に溢れていますよね。ヒトが溢れ、モノが溢れ、選んでも選んでも、まだ選ぶ自由があります。
それは、何を選ぶか“常に考えている”ということでもあり、私はそれが好きだから、都会暮らしが好きなのです。
だけどときどき、頭を休めたくなるときがあります。思考は止まることがない故に、田舎の“選べない”状況に身を置きたくなるのです。
田舎を訪れると、自由に泳ぎ回る魚や、空を舞うとんぼや鳥の姿が見えます。
………あれ?
“自由”っていう、同じ言葉を使っているけど、田舎って不自由なんじゃなかったっけ?
そうです。田舎では魚や虫や鳥が自由である代わりに、人はちょっと不自由なんです。
便利な都会が、ストレス社会である理由はこれです。人間の自由だけを、優先するとこうなるのです。
よっぽど強靭な人は別にして、私クラスの人間は、リラックスするために、田舎に助けてもらっています。
だから、田舎を大切にしないと。不自由であることを大切にしないと。今日会った魚たちのこと、忘れないようにしないと。と、仁淀川の姿に心に刻んだ高知でした。
桂浜
幕末志士社中