高級ホテルで、1人2万円のフレンチを食べた。
珍しくワンピースなんぞ着て、向かうは日本橋のマンダリン・オリエンタル37階。
そこはスタイリッシュな空間で、日本じゃないぐらいガイジンがいっぱいいて、大きな窓から見える夜景は、普段見る東京とは、まるで違って見えるほどだった。
料理はもちろん素敵。ワインも口当たりがよく、ひょっとしたら今までで最高の味だったかもしれない。いやぁ、貴重な経験ができた!
さて、こんな贅沢ができたのは、昨年関わったプロジェクトが、会社で大きな表彰を受けたからだ。
私が受けたものではないけど、「関係者」として奢ってもらったってわけ。
「こんな景色が見れるんだから、苦労して成果出せてよかったよね!」と、表彰受けた人は恍惚の表情。
まぁね。どうせ同じ苦労なら、成果(賞金)出ないより出るほうがいいよね。と、一歩引き気味の私。奢ってもらった分際でこういうこと書くなよ、なのは分かってるけどね。
違和感の正体は
どこに違和感があるかっていうと、この成果の裏側に数々の犠牲があったってこと。それが、「なかったこと」にされているように感じられたこと。
例えばこのプロジェクトを苦にこの会社を去った人、このプロジェクトがきっかけで壊れてしまった人間関係。このプロジェクトで業務が複雑化しすぎて、困っている人は今もたくさんいる。
過ぎたことの暗い面にわざわざ光を当てる必要はないのだろうが、私はこの違和感を得たことで、この(高級ホテルで見る)景色が、私にとって「見たい景色」ではないことがはっきり分かった。※奢ってもらってこういうこと書くなよ、なのは分かってますよ
本当に見たい景色とは
賞金より夜景よりフレンチより、私はもっと本質的なことがしたいのだ。
頭のいい人が複雑なゲームを作って、それについていけない人が脱落するようなのではなくて、
シンプルに且つ広く世の中がよくなる作戦を立て、それに共感してくれる人と付き合っていきたいのだ。成果なんかは運よくついてくれば◎。
とまぁ、39年間成果を求めなさすぎて、今こういう負け惜しみに近いことを書いているんだから(写真を撮っていないのも負け惜しみ)、もう少しぐらいは「戦略」が、あってもいいのかもはしれない。