このところ忙しくて疲れたのと、今、人生の転機にあるらしいので、一旦俗世と距離を置いてみようと。
-----
土曜日、高速バスがちょうど安曇野に着く頃、母から1通のLINEが来た。
韓国に行ったときと同じように突っ走っているようで心配
さすがは母。なかなか鋭い。
「韓国」というのは、私が25才のとき、新卒で入った会社を辞め、日本語教師になるために韓国へ渡った話である。入った学院が実は倒産寸前で、1年契約のところを半年でおめおめと帰国。その後ちゃんとした学院に入り直しはしたが、そんな娘が40才を前に、また移住(転職)しようといている。勢いあまって、似たようなことにならないか、ということであろう。
母からのLINEは、「寂しがり屋なのに大丈夫か」「転職先に利用されるのでは」「手垢のついた人を日本人は好まない」(←?)など不安が膨らみすぎている感もあったが、実は安曇野に来たのは、私自身も不安だからだ。
移住(転職)が決まったのはいいが、トントン拍子過ぎて、自分がスピードに追いついていない。「本当に移住するんだっけ?」を改めて考えようと、まずは寝てみたのが土曜日だった。
明けて日曜日は、晴れ。
心も体も復活したので、朝食前に、周辺の森を散策。
結論が「降りてきた」のは、中房川の清流を目にしたときだった。
この川。
清い水の流れ。
全ては自然の「仕事」であり、人間の「仕事」なんてせいぜい、橋を架けたとかそんなものだ。
私が移住したいのは、この「バランス」の中で暮らす人になりたいから。
大きな自然の中で、小さな人間として暮らす。
人間だらけの都会で、どっちが大きい、どっちが小さいという争いをするのではなく、 田舎で出会った多くの人たちがそうであるように、自然の力を借りて暮らし、故に謙虚でありながら、本質を突く言葉を発する。そういう人になりたいのだ。
そんな中において、「篠山の古民家でビール醸造」は、「いつか移住する」の「いつか」を「来年」に決めたきっかけに過ぎない。ダイレクトに農業や地域おこしがしたいわけじゃないけど、ビール醸造ぐらい好きなことなら、と移住したい背中が押された。
ところが母には、こういう前段を抜きに「リクルート辞めてビール醸造」に聞こえてしまった。そりゃ、韓国並みの唐突さを感じさせても当然である。
ということで改めて、移住の動機を確認することができた。
慣れないコミュニティに入れば、寂しく感じることはある。人と一緒に働けば、利用されてると感じることだってあるだろう。
だけど、迷うときは立ち返る原点さえあれば、挑戦を続けることができるってこと。障壁となるものを取り除くために、コミュニケーションという方策が与えられてるってこと。
今の私は、それをもう知っている。
だから、大丈夫です。お母さん。
(ちゃんとした真面目な回答は、調査&計画の上で報告します)