「移住を決めた」と人にいったら、「えぇー!」の次に多かったのが、「何で決められたの?」という反応だった。
移住に憧れてはいる。が、期限があることでもないから、なかなか決断に至らないのだろう。
そこで今日は私がしてきたことの体系化も兼ねて、経緯のふりかえりをしてみたい。
始まりは1年半前
そもそものきっかけは、多くの人がそうであるように、「今の会社を辞めたい、違う暮らしがしたい」だった。まだ「移住」という文字はなかったが、とにかく「ここではないどこかへ」だけを夢見る毎日だった。
まずは心技体を整える
紆余曲折あって、会社は辞めないことを決めた私。
とにかく勉強と運動ばっかりしていた(らしい)。今考えれば「国が信用」じゃなくて「会社が信用」できなかったんだが。
取り敢えず直感で動く
転職できないならせめてと、シェアハウスへの転居を決めたのもちょうどこの頃。今考えれば、動く前は勇気の要る決断でも、動いてしまえば大したことなかった。tokyo100k.hatenablog.jp
ちなみに、転居の日に書いたのはこれ。感覚的に書いたものだが、自分にとっての「晴れがましい気分」がしっかり言語化されている。
修正しながら動き続ける
転居を機に始めたのが、畑と移住ツアーとナリワイ探しである。
始めたときは直感だったが、行動しまくるうちに「農的暮らし」「地域おこし」「なりわい」と、キーワードが集約されることになる。
集約されるために大切なのは、動いた後に「面白かった/面白くなかった」「それは何故?」ぐらいで良いので、言語化しておくこと。そうするとアンテナの精度が高まってくる。
ある日自分のコンセプトが降りてくる(はず)
その後、体調不良が発覚して、健康的な暮らしに意識が向き始める。
そして淡路島への移住ツアーを機に、真理が分かり始めるのである。
「健康=自然」とか、
「健康=食」とか、
「健康=発酵」とか。
一方、会社はこんなんだったから、辞めるよ、そりゃー辞めるでしょうよ。健康でも自然でも発酵でもないどころか、腐敗だ、腐敗!
そして4月に入って、ワークショップをすることになった。「ないものねだりではなくあるものさがしを」という、(その頃提唱していた)テーマに反応する人が現れたのだ。
結局、福祉色が強くなると自分には楽しめないことに気づいたが、
同じ頃、シェアハウスの立ち退き騒動が起きたことで、自分は「創発」のある場に身を置きたかったのだと分かる。
最終的に、健康、自然、食、発酵、創発と、バラバラだったものが1つにまとまったのは、下北山村移住ツアーの帰り道だった。
私はこの「しぜんとはたらく」というキーワードをパソコンのログインPWにした(笑)
更なる情報収集のためにSNSで公言してみる
更にその翌月、西粟倉村でのWSを通して、ビール醸造のアイディアが降りてきた。
健康、自然、食、発酵、創発と全てを満たしそうなテーマ。何より心が「しぜんとはたらく」から、自分としては強く納得。
そこでFacebookに公開したところ、今回の求人を教えてくれる人が現れたというわけだ。
最終的には移住候補地を並べて◯△×で比較検討。1位だったところに決めた。
大切な心構え
経緯はこんなところだけど(最後が粗い?)、その間意識していたことは2つ。
①自分の方向性についてYESをいってくれる人と意識的に付き合うこと
もちろんNOをいう人を捨てろというのではない。心配してくれる人も大切だ。
但し重要なのは、自分の道を歩くのはあくまでも自分だということ。その人が代わりに歩いてくれるわけではない。
反対されようが賛成されようが、どっちみち自分で歩くんだから、向かい風より追い風を選べということ。心配してくれる人には、誠意ある説明をすれば良いのだ。
②素晴らしい感覚を得たら、それを言語化しておくこと
私の場合、せっかく田舎で素晴らしい感覚を得ても、都会で1週間も暮らせば忘れてしまう。だから、どんなに短い文章でも、意味が多少伝わらなくても忘れる前に言語化して、ブログには書くようにしてきた。
要は自分の中に、自分が残したいものを残すための「環境作り」だ。
小さな点でも見えるようにしておけば、似たような点と集めて面にできるし、後からこうして線にもできる。
経緯はともかく、心構えのほうは今日からできるので、迷う人はやってみてください。