7年ぶりに、ちょっと釜山へ行ってきた。
まず書きたいのは、釜山の街の変化について。
キムさんによると、ここ5年ぐらいで大きく発展したそうで、
例えば「海雲台」には、まるで未来都市みたいに、50階以上あろうかというタワーマンション(韓国ではアパートと呼ぶ)が建ち並び、私が知る素朴な浜辺の面影はなくなっていた。
初めに働いた「西面」も同じく、地下鉄を降りて地上に出たはいいが、建物が大きくなったため、どこがどこだか本当に分からず、不安になるほどの変貌ぶりだった。
そのとき住んでいた「田浦洞」は、住んだ建物こそあったものの、すぐ下までアパートの建設が始まっていて、高台から見えた景色は既に過去のものとなっていた。
釜山といったら、港町特有のがちゃがちゃした感じが面白かったんだけど、やはり「経済合理性」というものは、国を問わず人の暮らしに影響を与えてしまうのか。
と、がっかりすることも多かった反面、「釜山らしさを敢えて残す」取り組みも逆に始まっているらしい。
その取り組みというのは、釜山の下町「南浦洞」の西側にできた「甘川文化村」。
釜の形をした山の斜面に、箱のように小さな家が建ち並んでいる。そんな、いかにも釜山!という景色を残すため、芸術家と共に作ったそうだ。日本でいう直島みたいな感じか。
山の景色ともう1つ、絶対に変わって欲しくない景色といえば「チャガルチ」である。あれがなくなったら釜山は半分死ぬだろうけど、やはりチャガルチはチャガルチだった。
というわけで、変わってしまったものもあれば、敢えて残されたものもあった。それが、7年ぶりの釜山に対する感想だ。
「変わる」といえば、以前こんな投稿をしたこともあるけど、変わる=必ずしも捨てるものばかりではない。残したいものを選ぶことでもあるのだ。
〈続く〉