ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

自粛、自粛というけれど

今日も世間はコロナ一色。

「自粛」したわけではないでしょうが、ひな祭りの「ひ」の字もありませんでした。

 

報道されている通り、世界は空前の株安で、私の資産も凄い勢いで減っております。

これによる消費意欲減退に加え、

日曜日に「フィナンシャルアカデミー」で習った通り(※)、「収入の2割を貯蓄、2割を自己投資」に回すように予算立てたら、自由になる資金がほとんどなくなってしまいました。

そんな暮らしの中で、最も油断ならないのが食費と交通費。

「この1食」「この1回」がダイレクトに響くので、今日から弁当、水筒、自転車通勤。今のところコーヒー代80円しか払っていません。

さすがに不自由を感じますが、しかし不幸は感じないもので、ヘタに余裕なんかあるほうが「遊びたい…。けど友達がいない」みたいに、自分の欠点が目についちゃうからかな?とも考えましたが、ちょっと違います(なんのこっちゃ)。

不自由だからこそ自由になる工夫を考えるのであり、考えた末に得る自由だからこそ謳歌する喜びを感じられるのです。

というわけで、投資で利益が出るまで、当分遊びは「自粛」します。

※フィナンシャルアカデミーでは、「収入の2割を貯蓄、2割を自己投資に回せ」「月に1回、自分の損益計算書(PL)を書け」「3ヶ月に1回、自分の貸借対照表(BS)を書け」ということを習いました。

 

さて、「自粛」といえば、各種イベント開催を巡って、賛否両論分かれています。

私が気になったのはこのニュースです。

www.j-cast.com

文脈が五輪に寄りすぎ(笑)

演者もファンも、こういう批判が出ることや、責任が伴うことは分かっていただろうに、「感染拡大防止のために自粛しろ」ならまだしも、「五輪開催のために自粛しろ(林檎は五輪スタッフなんだから)」って文脈は、自粛の強要を通り越して、忖度の強要すら感じてしまいました。

 

そもそも「自粛」というのは、強要されてすることではありません。

辞書を引けば、

じしゅく【自粛】
《名・ス自》自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。

とありますが、「ネットで猛批判」した人たちは、ストレスでも溜まってるんでしょうか。

前半で「不自由だけど不幸ではない」と書いたように、不自由の原因に自分が納得できていれば、それほど不幸は感じないものです。

しかし、不自由が過ぎたり、コントロールできないことが増えすぎたとき、誰かを批判したり敵視したりしたくなってしまうのは、決してウィルスのせいではないはず。

戦わなければならないのはウイルスだけでなく、こういう「分断」も、あるような気がします。