『日本沈没2020』から考えるコミュニティと共助

7月12日(日)。晴れ。

Netflixで『日本沈没2020』を見ました。 


『日本沈没2020』予告編 - Netflixオリジナルアニメシリーズ

見ることにした理由はもちろん、九州地方の豪雨です。

東京では「自分ファースト」な首長が再選されましたが、その翌日からの災害。

「もし東京でも起きたら・・・」的不安に陥ることも多く、心づもりのつもりで見てみたのです。

 

内容を簡単に紹介すると、

五輪が幕を閉じた2020年の東京で、巨大地震が起きる。震源の沖縄がまず沈み、関東地方も沈もうとする中、主人公の一家(都民)は歩いて避難を開始。その道中、予期せぬトラブルや悲劇に見舞われながらも、数々の出会いや奇跡を通し生き抜こうとする・・・!

30分のアニメが全10エピソード。半分で止めるつもりが、全部見てしまいました。やや情報過多な気もしたけど、前半はスリリングで面白かったです。

 

印象に残ったのは、「今っぽい」リアリティー

原作は1973年刊行ですが、コロナ禍を経験した今見ると、良い意味で気になるところが多い。

例えば、日本が「沈没」していく中で、政府は船をチャーターする。国民を国外に逃がすためだが、乗船順位はマイナンバーカードのある人がない人よりも早かったり、オリンピック候補など「未来が有望な若者」はもっと早かったり。

また、ある団体はメガフロート(海上に浮かべる浮体式の構造物)の上にコミュニティを作るが、これがいわゆる「極右」団体で、生粋の日本人しか乗船を許してくれない。

コロナでも、定額給付金マイナンバー騒ぎがあったり、留学生の支援策に「成績が良い子だけ」との条件が付され波紋を呼んだりしたように、災害でより露わになるのが、人権の不平等、そして分断です。

 

また、それに対する人物像の違いも描かれていて、それがタイトルに書いた「コミュニティと共助」に当たります。

全編を通して描かれているのは、「共助」しながら前へ進む主人公一家の姿です。中でも主人公の弟はハーフで完全に外国かぶれしているのですが、「日本のマスコミは本当の情報を流さない」といって、日頃ネットで交流している外国人から日本の災害情報を収集します。

一方、ストーリーの中盤に登場する「山奥の宗教っぽい村」には、「沈まない」という理由から多くの避難民が押し寄せてきますが、そこで人々は夜な夜な大麻を吸い幻想の中で踊っています。

雑で分かりづらいかもしれませんが、私にはこの対比が、国境を越えて人と繋がり、現実に立ち向かっていく前者と、閉鎖的なコミュニティに籠もり「見たいものだけを見て」暮らしていく後者に見えたのです。

 

こういう姿勢っていうのは、災害のときだけ出るものではなくて、「日頃の暮らしかた」で考えれば、常に社会に目を向け、自分のいるコミュニティで共助している人と、自分の見たいものにしか目を向けず享楽的に暮らし、困ったときには分断や差別に身を投じる人に分けられる・・・かなぁと。

こんな解釈になったのは、同じような対比を別の映画でも見たせいかもしれませんが、自分が目指したいのは前者。間違いなく前者だという考えに至りました。