ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

2021年11月のふりかえり

12月になった。

…と、書き始めたのは12月1日だったが、仕上げている今は12月16日になってしまった。ふりかえり1本投稿するのに半月もかかってしまうのは、以前に比べて残業と、人に会う時間が増えたからである。脱コロナ禍。

さて、11月1日の私は、衆院選における「日本維新の会」の躍進を受けて暗澹たる心境に陥っていたが、それ以外の個人的暮らしとしては、とても安定した気分で師走を迎えた。

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growly, slowly&steadily

というのも、「10月のふりかえり」にも書いた通り、2021年は「これを継続しよう!」と決めたことを、来る日も来る日も繰り返す1年だったからだ。飽きっぽい私にとっては繰り返せたこと自体が立派な成果なので、残り1ヶ月になったとて、いや、残り1ヶ月だからこそ、ゴールが来るまで繰り返し続ける。来年のことなんかは、来年になったら考えよう。

自分の桜の木を植えた

11月で一番印象に残っているのは、3.11被災地の山に自分の桜を植えたこと。

どういうことかというと、福島県いわき市で開かれている「いわき万本桜」なるプロジェクトに参加してきたのだ。

www.mansaku99.com

これは、いわき市内に宇宙からも見える桜の山を作ろうと地元の有志が始めたプロジェクトで、その目標本数…何と99000本!

「震災からの10年で4000本植えたが、今のペースだと250年かかる」という、まるでガウディさながらの心意気が素敵で、以前から参加したいと思っていたのだ。「しかし、一人で行くのもなぁ〜」と迷っていたところに、「ゆかこさん(私)と旅行に行きたい」という人が現われたので、遠慮なく誘ってみたらあっさり実現したというわけ。

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2021年4月の「いわき万本桜」

私の人生、恐らく最初で最後の植樹体験はというと、想像したより重労働であった。

というのも、桜の苗木が「苗木」と呼ぶには似つかわしくないほど大きくて(高さ2メーターはあった)、穴を掘り、植えるだけでも一苦労。

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が、終わってみれば感動もひとしお。

桜の寿命は50年というけど、これからほぼ私が死ぬまでの毎年、自分の桜が咲き続けるのだ。そしてその間、見る人たちの心を癒やし続けるのだ、と。

主宰の志賀さんによれば、「木は植えたら終わり」ではなく、草刈りなどしながら成長を見守る必要があるらしい。「子供を産んだら産みっぱなしではなくて、ちゃんと育ててください」ということなので、定期的に見に行かなければ!

プロポーズされた

同じくいわきでは、紅葉を見たり、海を見たり、福島の酒を呑んだりする中、プロポーズもされることになった。

予想通りだったので驚きはしなかったが、風来坊のような私でも、進むときは進むもんだ。失速しないように気をつけよう。

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女子力が右肩上がり

いわきのことはこの辺にして、暮らしの中での動きはというと、最近やけに料理をするのが楽しくなった。

きっかけはこの「保存食」の本。

私は「瓶」が好きなので、瓶に詰める=保存食が楽しく、最初はマヨネーズ、グラノーラ、ピクルスなどを作っていたが、今では「積読」状態だったほかのレシピ本も開いて、オイキムチやカキテキまで自作するようになった。

それにしても自分でちゃんと作る料理は、作るのも幸せだが食べるのも幸せだ。「食べる人がいる」ことも大きいのかもしれないが、こんなに簡単に、しかも確実に得られる幸せをみすみす見逃すことはない!!

などと盛り上がっていたところで、最近やけに、スキンケアに目覚めたり、カワイイものにときめいたりしている自分がいることに気づいた。

要は「女子力」が(今更)上がっているように感じるのだが、ひょっとしたらこれは、いよいよ妊娠可能年齢を過ぎつつある自分の、断末魔の叫びなのだろうか。

更年期の入口にいるらしい

11月の地味に確実にもやもやしたできごとは、生理が1週間近く遅れたことだ。

私は32才から今まで、生理不順になどなったことはなかったのだが、11月は久しぶりにそうなった。数年前、1回だけ例外はあったものの、そのときは明らかなストレス過多。今はストレスなど全くない。

と、そんなとき、毎日聴いているTBSラジオ「Session」で、明快な答えが与えられた。

「更年期の入口」だ。

曰く、生理周期が少し短くなったかと思えば、逆に長くなったりしながら(←イマココ)不安定になって、やがて閉経を迎える、と。

anchor.fm

ついさっきまで、桜だのプロポーズだの女子力だのと騒いでいたのに、更年期の入口にも立っていると。やっぱり断末魔の叫びか。ちなみに、12月現在も遅れている。

欲しいのは持続可能な幸せ

このように書き出してみれば、11月は未だかつてなく「女である自分」にふりまわされた月だったように思う。

それでなくても私は、非正規である自分とか、独身である自分とか、あらゆることにふりまわされているというのに、女である自分にも、普段よりふりまわされてしまったのだ。(大部分楽しかったけど)

そんなふりまわされっぱなしの中で、ふと考えることがあった。

本当に最後に、残って欲しいのは何だろう。

それは「持続可能な幸せ」だ、と。

私は子供の頃から、恐らく母子家庭育ちのせいだと思うが、「自分で自分を幸せにする」という意識の強い子供で、いわゆる「私を幸せにしてくれる人と結婚する」というような、通り一遍の、或いは人任せの幸せには興味がなかった。

  • 自分にとってどんな状態が幸せか
  • どうすればその状態になるのか

そんなことを子供なりに考え、加えて30代までは好奇心と承認欲求に突き動かされていたので、海外で働きたいと思えば行き、田舎で暮らしたいと思えば行き、華やかな世界に身を起きたいと思えば行った。

こうした「幸せそうに見えること」は全て面白い体験ではあったものの、私の胆力では続けられず、挫折を繰り返しているうちにこの年になってしまったが、あらゆることを試した今、求めていることは何かといえば、

好きな人といるのは楽しいとか、自分で作る食べ物はおいしいとか、カワイイものを見るのはときめくとか、自分でもびっくりするほど素朴で確かな幸せだった。

要は今日も明日も、努力次第で獲得できる「持続可能な幸せ」だ。

冒頭にも書いたように、2021年は「これを継続しよう!」と決めたことを、来る日も来る日も繰り返す1年だった。

ときどきは飽きたり、もやっとすることもあったけれど、1年前にはなかったものが、朧げながらも見えてきた。そう考えてみれば、私は私らしい幸せを、モノにしたということ、かな???

定量の成績

  • ヨガ 15回/15回
  • 本 4冊/4冊

時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (NewsPicksパブリッシング)スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか三流のすすめ

 

  • 映画 4本/4本


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