自分の好きなものを、自分で作れるのは幸せなことだ。
この3日ほど、アクセサリー作りに没頭しまい、完成したのは15組ものピアス。
1組100円✕3分ぐらいでできるので、大した負担ではないけれど、当初は「着ける」目的で作っていたはずが、次第に「並べる」ことが目的になってしまい、着けそうにない色まで量産してしまった。
が、部屋の片隅にキラキラした世界があると、それだけで気分は良くなるもの。並べてはうっとり、眺めてはうっとり。「女の子の夢」ってことだろうか。
※実は6年前にも作り、ほぼ同じようなことを書いていた。
私は「自分で作る」ことが好きだ。
アクセサリーでも雑貨でも、街で良さげなものを見ると、まず自分で作れそうか考えてみる。そして、作れそうとなれば材料屋さんへ足を運び、寝る間も惜しんで制作に没頭∞
「ハンドメイドなんて面倒臭い。買ったほうが早い。」
普通の人はこっちだろうが、どうして私は作るのか。その原体験となったのは、きっと幼少期のアレだろう。
小1のとき、両親の離婚をきっかけに転校することになった私。新しい学校で、指定の「給食着」を買う必要に迫られた。
が、離婚直後で節約したかった母は、「白い服なら良いだろう」と、家にあった白いYシャツを、給食着代わりにすることに。
恐らくそこで、ゆかこ少女は嫌な顔をしたのだろう。母は少し考え、その白いシャツに、華やかで大きな鳥の刺繍を入れてくれた。表情のないただのシャツが、素敵な1枚になった瞬間だった。
この刺繍は、学校でも(少しは)注目され、私にとって「作れそうなら作る」ことは、「作れば嬉しい」に昇華することになった。きっかけは「買うより安い」だっただろうが。
そんな記憶を遡るたび、指の器用なことも含めて、私は暮らす楽しみを1つ、多く授かって産まれてきたのだと感じる。
ふと、キラキラのピアスに目を落としてはまた感じるのだ。
自分の好きなものを、自分で作れるのは幸せなことだと。