近くに「白山神社」という、ちょっとした紫陽花の名所がある。
6月ともなると、参道、境内はもちろん、周りの公園やマンションの敷地まで、紫陽花の花でいっぱいになる。「ここは紫陽花の地区です!」といわんばかりに。
紫陽花は、一雨ごとに綺麗になる花だ。
だんだん雨が増えてきたので、花も進んだかもしれない。気になり足を伸ばしてみると、ぼちぼち見頃が始まったよう。
夕刻の神社で、ぱちぱち写真を撮りまくった。
その間、頭にあったのは「どんな構図なら神社に見えるか?」ぐらいで、何ということもない時間だったが、それでも、心は花の彩りに喜び、体は初夏の風に喜んでいた。
ここ最近、「散歩」を日常に取り入れている。
わざわざ辞書を引くまでもないが、
さんぽ【散歩】
気晴らしや健康のために、ただぶらぶらと歩くこと
ということで、私も10分〜30分ぐらい、目標らしい目標を決めず、気の向くままに歩いている。
とはいえ、「気晴らしや健康のため」といわれれば少し違う気もする。私が散歩をするのには、ちょっとだけ切実な理由があるのだ。
私は元来、「目的のない行動」ができない性質である。
どういうことかというと、「〇〇のために△△をする」というような、目的のはっきりした行動は好きだが、逆に目的もないのに「ぶらぶらと歩く」ようなことができない。
運転に例えるなら、ナビに目的地を入れなければ一切走らない車のような感じ。「ちゃんと目的地に着ける」のは利点だが、しかし人間、明確な目的があるときばかりでもないだろう。
何らかの理由で目的がなくなったとき、私は不安に陥ってしまう。焦ってしまう。
そこで、新しい目的を考え出す。ひねり出す。が、焦って考えた目的だから「的外れ」なことが多く(目的なのに!)、努力の割に成果が出ない。
結果として、車は走っているけれど、目的地を目指しているのはナビだけ。エンジンはオイル切れだし、タイヤはパンク寸前、ということになる。
今までの失敗は、多くがこのパターンだった。が、パターンさえ見えれば、半分は克服したようなもの(きっと)。
要は、ナビとエンジンとタイヤのバランスが悪いわけだから、ナビ(頭)だけが頑張ることのないよう、エンジン(心)やタイヤ(体)も喜ばせてあげる必要がある。その一環としての散歩なのだ。
頭と心と体のバランスを取るための散歩。
結局はこれも「目的」だけど、スピードをちょっと落としてみる。頭だけで走るのではなく、心と体の声も聴き、ペースを揃えて歩いてみよう。