日記帳が終わったので、新しいものに新調した。
使っているのは無印の文庫本ノート(に麻のブックカバーを着けている)。1日1ページで、数ヶ月は書ける。
古い日記帳はどうするかというと、私は大切に残したりせず、あっさりさっぱり捨ててしまうほうだ。その代わり、捨てる前に1回は読む。早速、今回も読み始めてみたら、巻頭にこんなことが買いてあった。
これは幸せになるためのノートです。
私はかつて、幸せ=大きなことを達成することや、それによって多くの人に認められることだと思っていました。
が、少なくとも私の場合、大きな幸せを1、2個得るよりも、身近にある小さな幸せを100万個ぐらい集めることだと分かりました。
そこでこのノートは、小さくても確かな幸せを記録し、更に増やしていくために使うことにします。(2021年11月3日)
ふふふっ。
新しい日記帳に対する、「所信表明演説」のようだ。
文中にある「大きな幸せ」について補足しておくと、私は若い時、海外で日本語を教えたり、田舎でビールを作ったり、興味のあることに対して行動せずにはいられない人だった。が、今考えればそれは「満たされない承認欲求」がそうさせていただけで、自分の本当の幸せはそんなところにはなかった、ということを意味している。
大きな幸せを1、2個得るよりも、身近にある小さな幸せを100万個ぐらい集めること。
blogもそうだけど、過去の自分が書いたものって、今の自分に送られてきた「メッセージ」みたいに感じられる。少なくとも過去の自分が、未来の幸せを祈ってくれていたようで嬉しくなる。
ということは、今の自分が書くものは、未来の自分に対する………ということは前にも書いたが、考えてみればこれって「書く」だけじゃなく、「する」こと全てがそうなんじゃないだろうか。
今日、体に良いものを食べよう、とか。今日、心が喜ぶ映画を見よう、とか。今日、あの人と仲良くしておこう、とか。
「今日の行動」は、一見すれば今日のうちに完結してしまうようだけど、実は小さな決断や小さな行動の全てが、きっと未来に影響している。成果に結びつくことばかりではないだろうけど、きっと、影響だけは、全てが。
そのように考えていくと、今日する行動や努力がもっと楽しめそうな気がしてくる。例えるなら、花が咲くか咲かないか、そんな花かも分からないけど、とにかく土を耕し、せっせと種を植えているような感じ。
「所信表明演説」に戻れば、プロセスを楽しむこと自体が、100万個集めたい「小さな幸せ」になるだろうし、運良く何かが咲いたとしたら、その喜びもまた「小さな幸せ」になるのだろう。