2日目は、ちょっとしたハプニングから始まった。移住したA子ちゃんと会う予定が、直前にTELがあったのだ。
A子:あっ…!す、すみません!今日なんですが………もしかしたら行けないかもしれません………!
ん?どう考えても慌てふためいている。
私:どどど、どうしたの?
A子:じじ、実は………出かけた矢先に車がパンクしてしまいまして、今、修理の人に来てもらってるんですが………。
そ、そうなのか…。
A子ちゃんの住まいは八幡の市街地から車で15〜20分ぐらいの山奥。車がパンクしたとなると、とても歩いて来れる距離ではない。
私:だ、大丈夫?だったら私が車で行こうか?
A子:くっ…車?そうか、レンタカーなんですね…!えーとえーと………あーっ!バスが来たので乗ってみます!(バタバタバタバタ)
私:???
よく分からない状況だったが、とにかく来るっぽい雰囲気だ。また連絡するというので大人しく待つこと2、30分。
A子:ゆ、ゆかこさーん!!!
とっても見たことのある人が、こっちを見ているではないか。本当に来たぁ!!!
ということで、3年ぶりの再会となる今回。近くの喫茶店に入り1時間ほど喋ったか。3年前から今までのこと、コロナのこと、東京にいた頃のことなどなど。
よりによって今朝、車がパンクするとは驚きだったが、更に驚いたのは、田舎の1日にたった3便しかないバスが、よりによって通りかかったこと。A子ちゃんは停留所でも何でもないところでバスを停め、それに乗ってきたらしい。
よりによってをよりによってで克服する辺り、強烈な運を感じるが、ともあれ、久しぶりに会ったのに「あの頃」のように、肩肘張らず喋れる人がいるのはありがたいことだった。A子ちゃんに幸あれ!
A子ちゃんと別れ、この日の目的地である「白川郷」へ。
距離にすると80キロちょっと。東京から小田原ぐらいあるので、格安レンタカー(恐らく40年近く前の車種で、窓をぐるぐる回して開けるタイプ)の具合はやや不安だったが、慎重に走ること1時間半。到着したのはまさに「日本の原風景」だった。
合掌造りの集落を歩くと、(頭の中で)流れてきたのは、「日本昔ばなし」ではなく「菊次郎の夏」のほうだった。
TVなどで有名なあの景色は、車で10分ほど行ったところにある「城山展望台」から。
また、この集落を全国区にした地元の名士・和田さんの家は「和田家」として有料公開されている。
外から見ても大きいが、中に入るととにかく広い!
雪深い地域で、今みたいに便利な道具もない中で、昔の人がどう賢く暮らしてきたかがよく分かる。


私は田舎が好きだ。
が、本気で暮らす根性はなく、3年前に失敗した。
田舎にいれば違うと感じ、都心にいても違うと感じる。自分にとって「居心地が良い」とはどういうことか。しばらく考えていたのだが、岐阜で少し分かってきた。
例えば、暮らしの道具を自然素材にしてみるとか。


例えば、家電頼りの暮らしを見直してみるとか。
私が感じる自然の良さは、「このぐらいで充分」というラインを自然自身が決めてくれることだ。多少の不便はあるにせよ、人間の欲が野放図に大きくならなくて済む。
「もっともっと」と欲しがるより、自然が与えくれる範囲で楽しむ。そのほうが幸せだし、環境にも人にも優しいような気がする。