ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

2021年春、沖縄で学んだこと

2021年3月、沖縄へ行きました。

といっても遊びではなく、「沖縄戦」を学びにです。

恥ずかしながら、40代になるまで「ひめゆりの塔」の意味するところも知らなかった私。急に休みができたので、行ってみることにしたのでした。

 

旅の始まりは渡嘉敷島

慶良間諸島の東端に位置し、那覇から日帰りでも行けるこの島は、「ケラマブルー」と呼ばれる海がダイバーたちに人気のスポットです。

原付を借りてぐるりと一周。

沖縄の離島らしく、海に山に民家にと長閑な景色ばかり広がるこの島ですが、実は1945年の3月末、いわゆる「沖縄戦」が幕を開けた土地でもあるそうです。

島の南方にある阿波連ビーチは、米軍上陸の地。

この、「優しさ」しか感じないような砂浜から、大勢の兵隊が押し寄せてきた…なんて、誰が想像できるでしょう。

小さな島は、たった1日で攻め落とされてしまいました。

米軍に追われ、行き場を失った住民たち。日本軍の指示で山の中に集められ、「集団自決」へと追い込まれます。その数、300人以上。

原付でも10分は走っただろう坂道を、恐怖に怯え、雨に濡れながら歩いたとき、一体どんな心境だったのでしょう。

詳しくは右下の写真を見ていただきたいですが、亡くなった住民の多くは「米兵の捕虜になると殺される」という日本軍の嘘を信じ込まされていたそうです。

尚、この島で非業の死を遂げたのは日本人だけではありません。

島の中腹に建つ「アリラン慰霊のモニュメント」には、朝鮮半島などから連れてこられた男女が、軍夫や慰安婦として働かされた後、国に戻ることもできぬまま沖縄の土になったことが記されていました。

…あぁ、書いただけでも汗をかいてしまった。

こうして渡嘉敷島の1日は終わり。ふつふつと煮え始めた想いを抱え、私は島を後にしました。

翌日の午前中は、那覇桜坂劇場で、1本のドキュメンタリー映画を見ました。『生きろ 島田叡〜戦中最後の沖縄県知事〜』です。

1945年1月、県知事として沖縄へ赴任することになった島田氏(今と違って選挙ではなく官僚が務めた)。たまたま来た(?)だけなのに、最後まで住民を守ろうとした島田氏。その職業倫理には胸を打たれましたが、もう一方で描かれるのは、住民を盾に保身を図った日本軍…。

死が目前に迫る中、心ある行動が取れる人ばかりではないでしょうが、渡嘉敷島で見たものがオーバーラップして、想いがぐつぐつ煮えたぎってきました。


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午後には車を走らせ、糸満市にある「平和祈念公園」へ。

沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地でもあるここには、夥しい数の慰霊碑が建てられています。

中でも「平和の礎」と呼ばれる黒い石碑には、沖縄戦などで犠牲になった24万人以上の名前が、国籍問わず、軍人・民間人も問わず、一人ひとり刻まれています。

数字とは恐ろしいもので、あまり大きくなりすぎると、人間の想像力を超えてしまうもの。ですが、こうして一人ひとりの名前を見ながら、一歩一歩を踏みしめてみると、この地で何が行われたのか、どれだけの人生が犠牲になったのか、一体何の意味があったのか、考えないではいられません。

公園内にある「平和祈念資料館」では、涙が溢れて止まりませんでした。

展示室が、

第1室(沖縄戦への道)

第2室(住民の見た沖縄戦『鉄の暴風』)

第3室(住民の見た沖縄戦地獄の戦場』)

第4室(住民の見た沖縄戦『証言』)

第5室(太平洋の要石(かなめいし))

とある中で、第4室。生き残った人たちが後年語った記録です。

資料館HPより

置かれているのは「証言」。それもかなり短い。ですが、その向こうにさまざまなものが見えてしまった。

予期せず戦場とされたこと、その中での地獄のような暮らし、身近な人たちの不条理な最期…。

この数日、煮込んできた想いが、沸騰したかのように溢れてしまったのでした。

私はコロナ禍をきっかけに各種報道を気にするようになった人です。政府のコロナ対策を見ていて、「日本、大丈夫?」と不安になったのでした。

政治家や官僚は保身ばかりで、本当は住民のことなんて守らないのかもしれない。そんな感覚から勉強を始めてみたら、沖縄が見えてきました。

そして、歩いてみた沖縄。

一言でいうなら、全身で悲しみを感じました。

だからこそ、考えるようになりました。こんなことがあって良いのか。良くない。だったらどうすれば良いのか。

悲しみは、考える糧になる。

歴史と向き合い、学ぶ意味はここにあるのかもしれません。

2022年9月、辺野古反対派の玉城氏が県知事に再任されました。

「日本の国土の1%にも満たない沖縄県に、在日米軍施設の7割が置かれている」といわれますが、新しい基地を作るため、今も辺野古では軟弱地盤の埋め立てが行われています。

ノーを突きつけた沖縄の民意。黙殺するのは日本の政府。

主犯は政府かもしれませんが、容認すれば国民も共犯。「沖縄の基地問題は、沖縄以外の本土の問題」といわれる所以です。

沖縄戦のこと、米軍基地のこと、その間にあった占領下での圧政など。

代わりに苦しんであげることはできないけど、想像ぐらいはしてみたら、「自分には関係ない」とか「考えたって分からない」とかでは、済まされなくなってしまいました。

普天間基地に隣接する佐喜眞美術館(左)と慰霊の日に因んだ階段(右)

佐喜眞美術館から見える普天間基地
辺野古新基地反対の幟(左)占領下時代のリーダー・瀬長亀次郎氏

北部訓練場と隣接するやんばるの森