ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

44才の初産(妊娠38週3日)

2023年5月17日に、元気な女の子を出産しました。身長49.5cm、体重3052のgの標準的なサイズ。帝王切開での出産でした。

分娩入院したのは5月15日早朝。ベッドから出ようとしたときに少量の破水があり、最初は「おしるし」かと思ったがどうも違う。出勤間際だった夫と共に産院へ連絡。そのまま入院することになりました。

ところが、陣痛待機すること丸1日。「破水した人の8-9割は24時間以内に(陣痛が)来る」というのに、待てど暮らせど来る気配がありません。

そこで入院2日目は「陣痛誘発剤」で陣痛を起こすことに。しかし、「陣痛風のもの」に悶絶するばかりで、翌日の早朝には、それも収まってしまいました。

今回初めて学びましたが、出産の準備が整う(子宮口が開くなど)には、薬による「陣痛風のもの」ではなく「自分の陣痛」が来なければなりません。

そこで入院3日目も「陣痛促進剤」で陣痛を…(以下同文)。

丸1日の待機+丸2日の悶絶を終え、産院側は「しょうがないのでまた明日…」という雰囲気でしたが、こちらは破水している身。更に薬の副作用か血圧は上がるし発熱するし、これ以上、母子ともに保たない!ということで、最後は帝王切開するかしないかということに。

急転直下の展開で、15:00に施術が決まり15:20にはオペ室へ。「初めての手術…!」と緊張する暇もなく、剃毛され、ストレッチャーで運ばれ、てきぱきと麻酔をかけられた私。

まるで2日間の悶絶などなかったかのように、赤ちゃんはものの15分で取り出されました。ふぎゃあふぎゃあ!とよく泣いています。

麻酔のため、動くことすらできなかったけれど、横目に垣間見たその子は、小さくてまん丸でふわふわで、ひとりでに涙が流れてきました。「この子が私の中にいたんだ…!」と。

にしても、あれだけ陣痛が来なかったということは、ひょっとしたらまだ外に出たくなかったのかもしれない。にも関わらず突然出してしまった上に、まだ面会もできていないけれど(私は寝たきり)、今日か明日には迎えに行くから、こんなママでも待っててね!!

さて、今回の妊娠&出産。母である私は44才です。統計*1によれば、初産の平均年齢は30.9才。また35才以上は「高齢出産」と呼ばれることからも、この年齢での初産がいかに珍しいことか分かります。

妊娠検査薬で「陽性」が出た日のこと、今でもはっきり覚えています。その夜は夫(となった人)が来てくれました。その姿が見え、隣に立ち、その指に触れた瞬間、言葉よりも先に涙がどっと溢れてきました。突然のことに対する驚き、高齢出産に対する恐怖です。

そんな感情に2、3日は支配されたでしょうか。夫(となった人)も不安がるばかりで、全く頼りになりません。そこで私が行ったのはまず、「闇雲に不安がらないこと」でした。

涙の中身は「驚き」と「恐怖」だけだったのか。いや、違う。きちんと感情を整理すれば、赤ちゃんを授かったことに対する「喜び」もあったはずだ。であれば、恐怖は潰せるだけ潰し、喜びだけを残したい。

「高齢出産はリスク」というが、果たして本当にそうなのか。調べられることは調べ、計画できることは計画し、絡まりあった毛糸をほどくように、不安を消していきました。

いよいよ産むことを決断できたのは、妊娠発覚から2ヶ月後、出生前診断の結果を受けてのことでしたが、そんなことは意に介さず、赤ちゃんはすくすく育っていました。

 

今、十月十日の妊娠期間を終えた私。

幸い、最初の1ヶ月(つわり)と最後の1ヶ月(臨月)以外は体調が良く、ほぼ安定期のように過ごすことができました。

さすがに、出産まで安産に、とはいきませんでしたが(悶絶からの寝たきり)、もしも今、あの日の自分に伝えるとすれば、高齢出産=さまざまなリスクとの闘い。だけどリスクはリスクであって、決して回避できないものでもないということ。

そして今、母となり子育てを始める私。

この年で、貴重すぎる機会を与えられたこと。私がこの子を幸せにすると同時に、きっとこの子が私を幸せにしてくれるだろうということ。間もなく更年期という中で、リスクがなくなることは今後もないだろうけど、それを克服するだけの運と能力が私にはあるはずだ!ということ。

出産直後の「万能感」かもしれないけど、今はそれが、未来の自分に伝えたいことです。

*1:2021年、厚生労働省の人口動態調査