4/7
テレワーク2日目にして、体が痛くなってしまった。
床にずっと座っている(ローテーブルしかない)のと、運動不足が原因だ。
取り急ぎ、筋トレとジョギングをしたら治ったが、テレワークは早くても5/6まで。床では足腰を痛めるので、前から買おうと狙っていた食卓3点セットを注文した。
仕事は、テレワークになったために発生した、さまざまな手続きに追われた。
4/8
テレワーク3日目も、痛みを胡麻化しながら業務。
半分ぐらい終わったところで、ジョギングと買い物へ。トイレットペーパーが残り2個になったので供給。ネピア12ロールが500円以上もした。
それにしても、3食自炊だと財布の中身が減らない。
ジョギング中に救急車を見た。といっても、最近は1日5台ぐらい見るが、中の人を見てみたら例の白い防護服だった。
コロナの影響で失業してしまう人から連絡が来た。
4/9
テレワーク4日目。体はまだ痛いが、これが「坐骨神経痛」というものだと分かり、対処法を調べることができた。1時間に1回ストレッチしたら、ほぼ問題なくなった。自分でタダで治せるなんて、革命。
会社からの宿題で「キックオフ」の映像を見た。年度始まりに開催される景気づけみたいな全社ミーティングだが、内容が頭に入らない。
若いころは一生懸命見たものだけど、そして会社とともに成長する自分が嬉しかったものだけど、もうその心はなくなった。不要不急の産業だからか、その売上が増えようと減ろうと、本質的には興味がないのだ(雇用の安定という意味では興味あるけど)。
コロナの影響で、有休を取らされている人から連絡が来た。私も有休取らされることになったら、ネットで映画見まくろうかな。
社会を眺める
さて、東京など大都市では緊急事態宣言が発令されたが、その後の暮らしはこんな感じだ。買い物や運動はできるし、出社してる人だって未だにいるはず。
一方、ナイトクラブなど盛り場には、警察が出向いて「注意」できるようになったらしい。要は「夜遊びを押さえたい」んだろうが、このグラフを見ればある程度納得。
東京都の新型コロナウイルス感染症患者の全数プロットと人口ピラミッドを重ねてみました。 pic.twitter.com/r0mycIgK2z
— SUGIMOTO Tatsuo 杉本達應 (@sugi2000) 2020年4月5日
全体的に男性の感染が多い。この原因を「夜遊び」と見るか「満員電車」と見るか意見の分かれるところだが、夜遊び及びそれを提供する業態に対する冷たさから、少なくとも政府による「職業差別」的なものは垣間見えた。
日本には守られる人と、守られない人がいるのだ。
私自身はというと、「非正規」として「大企業」の脛をかじっている身分。非正規は守られないだろうが、大企業は守られる。安全なようなそうでもないような感じ。
そんな私に対して、母は毎日、投資に関する連絡ばかりしてくる。うん、蓄えだけは蓄えなければ。
こんな社会は欲しくなかった
蓄えといえば、もはや日本国民の3人に1人は貯蓄ないとか、いやいや3人に1人じゃなくて2人に1人だとかいう情報をよく聞く。
率直に湧くのは「え、日本ってそんなに貧しくなったの!」という驚きだが、それで甦ってくるのは、25才のとき(15年前)に行ったアトランタの記憶である。
この都市に興味はなかったが、フライトの都合で2泊した。この後、シカゴ、ボストン、ニューヨークなど歩くことになる、スタート地点はアトランタだった。
アトランタの感想は、
「怖かった」。
予約した宿を探すのに夜道を歩いていたら、「道を教えてあげる」と声をかけられた。地図を見ながら逃げ切ったが、実は違うところに連れて行かれそうになった。
ある観光スポットへ行ったら、「街の歴史を教えてあげる」と声をかけられた。間一髪でタクシーに逃げ込んだが、辺りはスラム街。その人は「授業料」としてパン代を取るホームレスだった。
ほか、接点こそなかったが地下鉄の駅で、いかにもラリってる若者が奇声を発しながら踊っていたり、すれ違う人の顔色がとても健康そうには見えなかったり。
私にとって、初めて見た「格差社会」だった。そして漠然とながらも感じたことを、今でもはっきり覚えている。「日本がこんなになったらイヤだ」。
格差社会にできること
格差社会といえば、こんな記憶も甦ってきた。
私が大学生のころ。今から20年以上前のことだ。
私は「国際法研究会」というサークルに入っていた。その名前から分かるように、「国際」に興味のあるメンバーが多く、長期の休みともなると、競うようにしてアジアの途上国を旅していた。
その中でちょくちょく話題になったのは、「貧しい人にどう対応するか」ということ。
日本=金持ちの国である。
アトランタでもそうだったように、日本人がコインをせびらたり、市場でぼったくられたりすることはよくある。
そんなときにお金を恵んであげることは、「可哀想な人に優しくする行為だ」という意見に対し、「いや、この格差社会を憎み、下剋上しようとする意欲を奪う行為だ」という意見があったのだ。
今考えれば、親の金で大学通ってる連中の悠長な議論ではあるが、今になって正しいと感じるのは、断然「可哀想な人に優しくする行為」のほうである。
コロナ禍が起きて、というより、もう何年も前から始まっていたんだろうけど、日本が格差社会になってしまって、今、それに対応する政府の、血も涙もない姿勢に何を求めるかといったら、ただただ「可哀想な人に優しく」して欲しいからだ。
格差社会は、金持ちの国の金持ちな人が作ったもの。
「下剋上」なんて、できないようにできている。
であれば、作った人たちに優しさがなければ、あのときアトランタで見た景色は、日本のものになってしまう。私はそれが、悲しい。
格差社会。
今まで私は、これを是正するためになんて生きてはこなかったし、 結婚せず子供も産まず、本当に自分のことしか考えてこなかった。
だけど、この「構造」との闘いについて、市民として何ができるのか、今は毎日考えている。
まずは自分の身を守る。
そして考え、行動する。
少なくとも「可哀想な人に優しい」人ではいたいから。