ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

2021年6月のふりかえり

18才まで育った地元、熱海で大きな土石流災害が起きた。

実家は地区が異なるため大丈夫だったものの、「被災地」として報じられているのは、「あ、あそこだ!」と地元民ならすぐに分かるところ。大きな川もないのにあんなことが。とても信じられる光景ではない。

直接的な原因は、太陽光パネルを設置したことで*1山の貯水力が弱くなっていたところに大雨が降ったこと、らしいが(母情報)、温暖化対策とか、自然との関わりとか、リアルに食うか食われるかってところまで来ているのを感じる。

被災された方々の暮らしが、1日も早く復旧しますように。

(2021年7月4日追記)

2021年上半期のふりかえり

2021年の半分が過ぎた。

「もう半分しかない」なのか「まだ半分もある」なのか、コップ半分の水でも感じることはそれぞれだが、1年となるとどうだろう。

 

6月の最後は、高尾山を歩いてきた。

初夏の緑は目に眩しく、鳥の声はどこまでも清らか。肌に触れる空気は、街のそれよりずっと柔らかで、優しい香りがして、そんな中に身を置くと、「私は私のペースで歩こう」と、地に足の着く感じがするから素敵だ。

日に日にぶっ壊れていく、社会の姿とは裏腹に。

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さて、今から半年前、同じく高尾山を歩いていた私は、

2021年は、引き続き「こつこつ、ゆっくり」と、しかしベクトルの向きは自分の内側から外側(社会)へと、向けていくことにする予定。

大切にしたい言葉は『社会という荒野を仲間と共に生きる』です。

というようなことを書いていて、

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1月にはそれを、

  • 自分の小さな暮らしは守りたい
  • 社会の中で「外部化」された存在や世界のことを学びたい
  • 未来を一緒に学び、考え、助け合える仲間が欲しい

という3点に分解した。 

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時は流れて、3月。

私はコロナ禍をきっかけに、「日本社会が意外とヤバい」ことに気づいた人で、故にここ最近は、社会の構造を学び直し、市民としてできる最善の行動をしたいと考えています。

と、大真面目なことを書き、

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4月には「戦争と基地」というテーマで沖縄を、「震災と原発」というテーマで福島を巡ってきた。

なかなか尖ってはいたけれど、しかし何の因果か、地元も「被災地」になってしまった今、現実の負に対しては、今後も目を向けられる人でいたい。 

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6月の現在地は「整ってきた」

そして6月を終えた今、現在地はどんな風かというと、

自分の暮らしが整ってきた。

 

5月の投稿には、「今後、私の人生にこれ以外要らない」ものとして、

・未来起点で生きる(もう過去に絡め取られない。絶対に!)

・社会という荒野を仲間と共に生きる
 強者には優しさを、弱者には賢さを
 女性の心と体を守る

・自然と調和する暮らしをする

と(まだまだ解像度粗いながらも)書いていたのだが、実際のところ忙しく、ほとんど行動できなかった。

ところが今週になって時間が少しできたので、改めてこれらを軸に行動を整理したら、安定、快適、そして順調。朝はすっきり目覚めるし、精神のざわつきもほとんどない。

整ってきたのだ。いろいろ。

価値観が分かる『コップのワーク』

整うついでに『コップのワーク』について少し。

コップのワークとは、自分自身を「コップ」に例え、そこに水(エネルギー)が満ちるときを考え、絵に描いてみることによって、自身の価値観を可視化するワークなのだが、

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私の答えは、

自分が整ってさえいれば、水(エネルギー)は泉のように湧いてくる。どこからか引いてくる必要などない。

そして自分が整うためには、健康であること。ときどき自然に触れること。人間関係の基礎に信頼があること、自分のペースを乱さずに暮らすことができ、且つ自己肯定もできていることが大切。

ということで、一緒に描いた人からは「分かる分かる」という反応。

実はこのワーク、答えが人によって驚くほど異なるもので、その「違い」を分かり合うことがワークの目的でもあるのだが、私はその比較を通して、自分における「整う」 ことの重要性が分かったのだ。

7月のテーマは「バランスの追求」

そんな「整った」現在地から、今後してみたいこと、下半期のテーマになるかもしれないけど、興味があるのは『暮らしの中での社会運動』だ。

というのも、「ぶっ壊れていく社会」に対して一矢報いたい気はあるものの、私には政権批判とか向いてないし、「整わない」だけで調子狂うし、能力としてありそうなのは、来る日も来る日もちまちまと小さな努力を重ねるぐらいだしって中で、

自分が一番重視していること(=暮らし)と兼ねる形で、社会の改善に関わるしかないのでは、と考えるに至ったのだ。

「暮らし」というのは、ちゃんとするには時間がかかる。そして油断すればすぐ、享楽的にも堕落的にもなれるのが都会暮らし。

そんな中で考えたいのは、自分を整えながら、半径5m以内の幸せも、半径5m以上先の社会も考えるにはどうしたら良いのか。

そのバランスを追求しながら、整った暮らしを続けていきたい。

定量の成績 

農園:じゃがいもを収穫(◯)

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ヨガ:9回/8回(◎)

本:6冊/4冊(◎) 

  

映画:4本/4本(◯)


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*1:現在は「盛り土」説が有力