ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

生後5ヶ月になりました

10月17日で、子が5ヶ月になりました。

体重、身長共に測っていませんが、大きくなったのは明らか。片腕で抱えられた子が、今じゃお姫さま抱っこです。

5ヶ月、といえば離乳食を始める時期。始める目安として「大人が食べるものに興味を示す」があるそうですが、示す示す。毎晩、彼女の寝た後で大人が食べていることに気づいたか、寝ないで同席したがることが増えました。

増えたといえば、奇声や喃語も増え、キャーキャーウーウーよく叫ぶ、よく喋る。

これは「泣く」以外の発声練習だそうですが、気づけば「泣く」よりも「笑う」のほうがうんと増え、割合3:7ぐらいか。今まで「頑張って」育児していたのが、「楽しく」育児できるようになってきました。

もう一つ嬉しかったのは、胎児の頃から読み聞かせ続けた絵本に、ついに反応を示したこと。

私は子どもと遊ぶのが得意ではないので、いざ「育児」を始めるというときに、散歩と絵本ぐらいしか、できそうなことがなかったのです。それで、いわば長過ぎる1日を埋めるために、意味も通じない絵本を読み聞かせ続けてきたのでした。

毎日毎日読んだ本は、今やお気に入りの玩具TOP5にも匹敵するレベルに。継続は力なり、なのだな。

今月のできごと

今月最大のできごとは、母が車をくれたこと。

買ってくれたわけではなく、自分の乗っていた車をです。高齢になったのでそろそろ運転を止めるか考えていたところに、娘(私)が郊外で育児を始めた。それなら…という経緯。

子どもを乗せるとなるとチャイルドシートが要りますが、それも20年来の友人に貰い(ベビーカーなども貰った)、かくして私のカーライフが始まりました。

実は私は、車の運転が大好き。子どもがいるのでやたらなことはできないものの、ちょっとした買い物はもちろん、今まで行きたくても行きづらかった大きな公園やショッピングモール、ロードサイドの外食など、行動範囲が劇的に広がり、多摩地域で暮らすのが10倍楽しくなりました。

高齢ママの身体

車を貰って良かったことがもう一つ。それは身体が楽になったこと。

車が来る前の日記を見てみると、9月は夫のコロナ騒動もあったし、それでなくても猛暑の中、散歩に買い物に園見学に、徒歩、バス、電車で出かけまくっていたのです。

食料品なんて買いに行った日にゃ、エレベーターもない古い団地の階段を、荷物と7キロの子ども抱えて上がるという、ランドセル両面背負いじゃないんだから…。あまりに具合が悪いので、更年期のせいにしては「命の母」を飲んでいましたが、車を得た今は週に1回飲むかどうか。私にとっては、車をくれた母こそが、本当の命の母なのかも…←?

今月の一冊

そんな今月の1冊は、キム・ジョン・ペイン著『ミニマル子育て』です。

ミニマル子育てーー少ないは多いにまさる 子どもと親が育ち合う

シュタイナー教育の先生が書いた本で、サブタイトルは「少ないは多いにまさる」。

500ページ以上を強引に要約すると、多くのモノを与えすぎるな、多くのコトをさせすぎるな。それでこそ大切なもの/ことに集中できる、というような内容で、子どもを取り巻く環境や暮らしのリズム、スケジュールの整えかた、その効能が書かれています。

私はモノの断捨離はできるものの、スケジュールを詰め込みすぎ(て疲れ果て)る傾向があり、それこそ車なんて貰った日にゃ、暇さえあれば出かけたくなってしまうのですが、モノだけでなくコトも減らす、という考えは目から鱗でありました。

 

子育ては長い。整え整え、継続していきましょう。

生後4ヶ月になりました

9月17日で、子が4ヶ月になりました(書いているのは10月9日)。

体重は真ん中より少し重い7キロ。身長は65センチと6ヶ月児並みで、私に似たのか「のっぽ」傾向です。

3ヶ月半では寝返りを覚え、ところ構わずころりんころりん。夜通し寝るようにはなったものの、ベッドの上でもころりんするため、親の負担は減ったかどうか。

今月のできごと

今月最大のできごとは、パパがコロナにかかったことです。

あれは忘れもしない金曜の夜。週末にかけパパが育児に参戦するため、(私の心が)開放感に包まれていたときでした。

ところがパパは帰ってくるなり、ガラガラに枯れた声で「具合が悪い…」と一言。コロナ陽性を確信していたようで、自ら隔離部屋を作り、引っ込んでしまいました。

ガラガラと音を立てて崩れた週末の予定。私はそこから1週間、完全なるワンオペ育児を強いられることになったのです。

ちなみに「コロナ明け」とも聞く昨今ですが、発熱外来はきっちり混み合っていました。診てくれるところを見つけるのに、10軒ほど電話。最後は、私がキレ気味に拝み倒した(得意技)ということだけ、付け加えておきましょう。

高齢ママの身体

さて、コロナ罹患の原因を考えてみると、始まりは前週の金曜。その晩、急用ができたため、私がひとり実家に帰ることになったのです。子どもが生まれて以来、泊まりでいなくなったのは初めて。パパが丸1日ワンオペ育児をしてくれました。

土曜の晩には帰京し、日曜は3人で小金井公園へ。夏の終わりののんびり散歩…のはずがゲリラ豪雨に打たれ、身震いしながら帰る羽目に。

そこにトドメを刺したのが、生理前だった私の体調不良。生理が復活して以来、更年期症状も復活したのか、生理前に必ず1度は、恐ろしいほどの悪寒を感じるようになりました。それにより、夜中の育児(主に寝返り返し)ができないこと数日。パパに負担をかけてしまい、遂にはコロナ発症となりました。

何と…。

「コロナで1週間、ワンオペ育児を強いられた」と書きましたが、そもそもムリを強いたのは私のほうではないですか。

このように、高齢の子育てはムリが利かない。ひとりが倒れればもうひとりが倒れる、ということでもあります。

幸い、私と子どもはコロナにかかりませんでしたが、自分が「最後の砦」となったとき、普段は薬なんぞ頼らないのに、「葛根湯」や「命の母」を摂取しながら、頑張りすぎないこと、きちんと休むことの意味を噛み締めたのでした。

ほか、今月は保育園見学にもよく行きましたが、それについてはまた追って。

生後3ヶ月になりました

8月17日で、子が3ヶ月になりました。

出生時3キロだった体重は倍の6キロに。身長は10センチぐらい伸び、首もぐらつかなくなりました。

表情はますます豊かに。泣きの種類も笑いの種類も増え、最初はただ泣いて寝るだけの人形だったのが、人格ある子どもになってきました。

今月のできごと

初めての予防接種

泣きのバリエーションといえば、今月は初めての予防接種。

注射4種と経口1種を接種するのに、後ろから支えるのはママ(私)の仕事です。

「ジタバタ暴れたらどうしよう…」などと憂うヒマもなく、そのふわふわでぷよぷよの腕に、先生は刺す!刺す!刺す!刺す!容赦なく!

そのとき、

「うぎゃあああああぁぁぁぁぁ!」

と泣き叫び、荒れ狂う赤ちゃんと、それを必死で押さえる私。痛い、痛いよね!母の心も痛い!!

その声は待合室にまで響いたそうですが、幸い、接種後の副反応はなし。但し夜中に何度か、悲鳴のような寝言が…。よく頑張って我慢したので、この日ばかりは求めるだけ抱っこし、求めるだけミルクをあげました。

初めての帰省

初めてといえば、今月は初めての帰省にも挑戦。

初めての新幹線、初めての海、初めての花火…などなど、初めてづくしの中で印象に残ったのは、世のおばあちゃんたちの赤ちゃんに対する視線です。

これは都内(多摩地域)でもそうですが、世のおばあちゃんたちの、赤ちゃんに優しいことといったら!連れて歩けば「かわいいねぇ」「何ヶ月?」などと声をかけてくれるのです。

で、私の実家マンション。そんなおばあちゃんが多数暮らしているだけでなく、住民共有の大浴場(温泉)があるため、赤ちゃんが脱ぐともなれば野次馬たちがわんさか。「〇〇さん家の赤ちゃんだ!」と、おばあちゃんたちの間ですっかり有名人になったのでした。

高齢ママの頑張り

そんな帰省を機に、バスや電車に乗れるようになった赤ちゃん。外の世界は刺激的で面白いらしく、ベビーカーの上できょろきょろと首を左右に目を輝かせています。

といっても、今夏は史上最高の猛暑。出かけるのが憚られる日も多く、最初は躊躇したのです。ところが、家にいると怒る!「外に連れて行け!」と泣いているように聞こえる!外に出しさえすれば、機嫌は直ってしまうのです。

そのため、外出先をひねり出してはせっせと出かけている私。エレベーターなしの3階を、6キロ抱えて2往復、3往復。おかげで脚力はつき、腕は焼け焦げ、あちこち虫刺されの痕だらけに。

パワーアップした今となっては、あれこれ怖がっていた自分が嘘みたいですが、私の勇気や体力がないせいで、子どもの機会ロスになるのは避けたいところ。したいことはさせてあげられる親になりたいものです。

今月の一冊

さて、今月読んで感動したのは、おーなり由子・著『だんだんおかあさんになっていく』。

だんだんおかあさんになっていく

冒頭、赤ちゃんが「だんだん子どもになってきた」と書きましたが、私のほうも同じくだんだん「お母さんになってきた」ように感じるのです。

例えば帰省の荷物を準備したとき、子どもの荷物を準備して「あ〜終わった」と思ったのに、自分の荷物はすっかり忘れていたとか。例えばお風呂に入れたとき、赤ちゃんを拭いて服を着せ、ミルクまであげて寝かしつけたのに、私はずーっと裸だったり。

自分をそっちのけにすることが増えてきた中で、「まさに!」なこの本を見つけたのです。収められているのは、妊娠中〜2才ぐらいまでを綴った50篇ほどの詩。

どのページにも心当たりがありまくるけど、中でも響いたのは、

だっこ
だっこ

いっぱいさわってると
いっぱいかわいくなってくる

だっこ
だっこ

だっこしてるとおもっていたら
だっこされていた

ちいさいゆびが
わたしのせなかを
ぎゅっとつかんで

こどものうでのなかは
わたしで
いっぱい

『だっこ』

正直、抱っこなんて重いし暑いし、しないで済むならしたくないときもあるのです。

それでも現実として私は、1年前には影も形もなかった人と毎日抱っこし合う暮らしをしていて、その子はまるで神社とかにある巨木にでも抱きつくように私に全てを委ねてくる。そんな風に思ったら、改めて大切な宝物を授かったのだと、初心に帰ることができたのでした。

 

今週のお題「苦手だったもの」

生後2ヶ月になりました

5月17日に生まれた赤ちゃんが、生後2ヶ月を迎えました。

6月18日には早速、お宮参り&撮影へ。赤ちゃんにとっては退院以来初の外出でしたが、少し泣いたぐらいで、全体的に大きな問題はなし。

あったとすれば、撮影スタジオで頼んでもないのに3時間ぐらい撮られたことでしょうか。フラッシュの光を浴びまくり、大きな音であやされ(?)まくり、赤ちゃんだけでなく大人までもがヘトヘトに。

正直、もう二度と行きたくないですが、それでも感動したのは、この前までお腹にいた我が子が、外の世界に出て、私の作った衣装に身を包み、大人のスタッフさんたちと互角に渡りあっていたこと。最後には「寝る」という切り札で、長すぎる撮影を強制終了させ、「この子はきっとたくましく生きていける!」と何の根拠もなく感じたのでした。

その後、母子それぞれの1ヶ月検診を経て、24日にはばーば(私の母)が撤退。いよいよワンオペ育児の始まりです。

気合を入れて臨んだものの、初日の夕方には既にヘトヘト。考えてみたら、それまで2人でしていたことを全て1人でするのです。進めたい家事が全く進まず、何に泣いているのか全く分からず、思わず怒鳴ってしまうこと2回。しばらくすると後悔の波に襲われましたが、イライラするのは止められない。

そこで考えた対処法①は、「私も一緒に泣く」こと。

👶「わーんわーんわーん!」

👩「えーんえーんえーん!」

と、大人まで泣くのは異様でしょうが、怒鳴るよりよっぽど精神衛生上良いのです。泣けば思考がクリアになり、対処法が考えられる。「よし、ムリをするのは止めよう!」と、24日に帰った母を再び7月12日に呼び戻したのでした(結局)。

 

対処法②にして、効果てきめんだったのはこちらの本。

赤ちゃんもママもぐっすり眠れる魔法の時間割

イライラの中身を内省してみると、最大の原因は「時間に追われている」ことにありました。

時間は、追われるのではなく追うぐらいでなければ。スケジュールの主導権を赤ちゃんではなく、私が握らなければなりません。

この本の要点は、「寝る時間と飲む時間を赤ちゃんの体内時計に合わせてあげる」こと。そうすれば、夜中のギャン泣きや寝かしつけに苦労することが減るというのです。

実際に試してみると、た、た、確かに、夜にすっと寝てくれる!!!スケジュール通りできる日ばかりではないけど、育児のストレスが大幅に減少しました!!

そしてそれまで、「寝る前にぐずって困る」だの「空腹のとき死にそうなほど泣く」だのと、ぼやいていたのを恥じたのです。何のことはない。適切な時間に寝かせず、適切な時間にミルクを飲ませなかったのは私のほう。私の育てかたが間違っていたのでした。

 

ほか、新生児期に見られなかった新たな生態としては、

・笑顔が増えた

・自分の拳を口に入れるようになった

・自分で移動できるようになった(そしてベッドの柵にはまる)

など。

母の側も進化してきて、例えば機嫌が悪いにしても、退屈だったら外へ散歩、眠いのに眠れないだったら抱っこ紐に入れるなど、当たりがつけられるようになってきました。

進化といえば、たとえ夜中の授乳で起こされても、終わり次第3秒で寝られるようになり、寝不足とも無縁に。

赤ちゃんは日々当たり前のように成長するけれど、母の側も「母は強し」ならぬ、「母は強くなる」の途中なのです。

生後1ヶ月になりました

2023年6月17日。

5月17日に生まれた赤ちゃんが、「新生児」を卒業しました。

3kgだった体重は既に4kgを超え、ミルクの量もとっくに、新生児水準ではなくなりました。

助産師さんによると「成長が早い」そうで、確かに育児書を見ると、1ヶ月や2ヶ月で見られる生態が、もっと早くから確認できています。「両親が高齢だから早く成長してほしい」という願いが、通じたわけではないでしょうが。

母体はというと、産後うつ的なメソメソが2回はあったものの、連日の寝不足には何となく慣れたし、帝王切開の傷も、気づけば鎮痛剤なしで良くなりました。妊婦の名残を感じるのは、ぼてっと出たままの下腹部ぐらい。

兎にも角にも、落としたり飢えさせたりすることなく、1ヶ月は育てきった。一番の功労者は実家の母でしょうが、このご恩はきっと、子が「かわいさ」で返すはずです。

さて、新生児を育ててみて感じたのは、その成長がまさに日進月歩だということ。最初は「泣く、飲む、寝る、出す」しかできなかった子が、日々人間らしく成長し、さまざまな生態を見せてくれました。

その生態の多くは、忘れたくない、覚えておきたい、将来本人に聞かせたいもの。ということで今回は、特に印象的だった生態を書き残しておくことにします。

・真夜中の変顔大会

入院生活が辛かったことは前にも書きましたが、唯一心から笑ったのは、退院前夜のことでした。

それは深夜1時か2時。生まれたての赤ちゃんは夜行性だから寝ない…どころか、その目は、昼間にはなかった輝きを放っています。「どうせ明日退院だし、せっかくだから見届けてやろう。」そう思い眠い目をこすっていたら、突然の「変顔大会」が始まったのでした。

「あっかんべー」をしたり、「にやり」と口角を上げたり、舌を謎の形に動かしてみたり、生後4日間のどこで覚えたんだ?というぐらい、さまざまな表情を見せ、しかもそれが面白い。

私の子は、「せんとくん」または「ビリケンさん」に似ているのですが(関西の童子像系?)、そのクールな顔立ちからは想像のできない百面相ぶりに、寝不足のママはもう肩の震えが止まりません。

この生態はその後1回しか見られなかったので、見たのは恐らく私だけなのでしょうが、今後この子と生きていくことが楽しみになった瞬間でもありました。

おちょぼ口と乳首の戦い

変顔大会と同率1位に輝いたのは、おっぱいを吸うときの攻防です。何と戦っているかというと、赤ちゃんの小さな口と私の大きな乳首です。

私の乳首は、実家の母曰く「エアーズ・ロック」型。陥没こそしていないものの扁平で固くて、授乳に適した形ではありません。ところがそれを吸おうとするのだから、赤ちゃんはもう必死なのです。

まず、これ以上開けられない!というぐらいに大きな口を開ける。次に、顔を左右に素早く振って乳首の進入角度を調整する。仕上げに舌を巻きつければセット完了!

…のはずが、大体途中で挫折して、泣く。泣くとますます入りにくくなるので、もっと泣く。この世の終わりかってぐらい泣く。

最終的には顔を真っ赤にして「ふんぎゃー!」と叫びながら乳首に吸いつくわけですが、このいじらしさが、「NO CHIKUBI, NO LIFE」とでもいわんばかりの形相が、もう可哀想を通り越し、面白くて仕方ないのです。

最近は口が大きくなり、ぱくっと咥えれば済んでしまうため、こんな攻防劇も貴重な記憶となりそうです。

・リアルタイムうんち

赤ちゃんがいれば毎日目にすることになるもの。その一つが「肛門」ですが、私はその形が「*」であることを、育児して初めて知りました。

初めてといえば、初めて目にしたのが「うんちの出てくる瞬間」です。ある日、おむつを替えようとしたとき、黄色いかぼちゃサラダのようなうんちが、*からもりもりと溢れてきたのです。

それはシュークリームから漏れだすクリームなようであり、ソーセージの機械から出る挽肉のようでもあり、思わず「おおお…」と眺めてしまうほどの躍動感。「排泄」は大人でも毎日するものですが、といこんなにダイナミックなものだったとは、今の今まで知りませんでした。

 

というわけで、「育児」というより「飼育」に近かった気もする1ヶ月。

夜中に泣き声が聞こえれば、痛むお腹を押し押し、覗きこんだベットの中。手も足も出ずあたふたするときは、まるで野球のマウンドのように、大人全員がわらわら集まってくる。

そんなチームワークにも支えられた1ヶ月は、「しんどさ」よりも「面白さ」のほうが少しだけ優る1ヶ月でした。

この子に関わるのが今後云十年だとして、この1ヶ月は序章も序章。箱根駅伝に例えればまだ大手町でしょうが、ときに手を抜き息を抜き、長丁場をできるだけ楽しみたいものです。

ありがとう、赤ちゃん。

私の子から、私たちの子へ

2023年5月22日。

やっと退院できた日のことは、きっと忘れられません。

この日は、朝10時まで普通に療養。11時にベッドを引き払い、赤ちゃんは退院前最後の検査へ。12時過ぎに再度受け取ることになっていました。

午前中には夫が来て、実家の母は昼過ぎに合流。毎日面会していた夫と違い、母は初めての対面です。

「Oさーん(私)、赤ちゃん戻ってきましたよ」

助産師さんに呼ばれ、新生児室へ。最後に授乳と着替えをさせてもらいます。

この日の退院は3人。ほかの2人はさくさく支度を終えるのに対し、私の子は肝心なときに寝るわ、うんちするわで、20分ぐらい待たせて家族の元へ。

「わぁ…!」

と、待ちに待った赤ちゃんを、くしゃくしゃの顔で抱き寄せた母。

(やっと赤ちゃんを見せられた!)

と安堵すると同時に、孤独な育児から解放され、「私の子」が「私たちの子」になったのを感じました。

産院での育児は3日半。たかが3日半に聞こえるでしょうが、そもそも帝王切開の術後で、注射だの投薬だのとひっきりなしに人が来る。そんな中、おっかなびっくり抱っこして、おむつ替えにも四苦八苦。3時間に1回は、やれ母乳だ、やれミルクだと追い立てられる日々でした。

同室中はいつギャン泣きされるかと緊張して眠れず、かといって新生児室に預ければ、空いたスペースがもの淋しくて眠れない。

疲れがピークに達したのは同室2日目の夜。私が見るからに疲れていたため、助産師さんが赤ちゃんを預かってくれたときのことです。

1時間ほどして授乳の時間になり、深夜の新生児室へ迎えに行くと、私の子が聞いたこともないような大声で泣き喚いています。思わず強く抱き抱え、「ごめんね!ごめんね!」と泣きながら謝りました。

後から考えれば、ただ空腹で泣いているだけだったのですが(日常茶飯事)、あのときの私は「子どもを捨てた母親!」と責められたような気になって、ほかのママたちもそこにいたのに、涙を自制することができなかったのです。

睡眠がほとんどできないため、実質的に3日より長い3日間は、「死闘」としか表現できない3日間でもありました。

 

さて、そんな長く暗いトンネルのようだった入院暮らしを終え、今、私の家にはこの子を見守る眼差しが1人から3人になりました。それは新米ママである私を見守ってくれる目でもあり、支えてくれる手足でもあります。

夜中にギャン泣きされては「やれやれ…」と共に頭を抱え、くるくる変わる表情を見ては「かわいいね」と顔を見合わせる。

育児の苦しみは分け合うと軽くなり、育児の楽しみは分け合えば増えるのでしょうか。そんなことを考えるとまた、涙がこぼれてくるのでした。

長い育児はまだまだ、始まったばかりです。

44才の初産(妊娠38週3日)

2023年5月17日に、元気な女の子を出産しました。身長49.5cm、体重3052のgの標準的なサイズ。帝王切開での出産でした。

分娩入院したのは5月15日早朝。ベッドから出ようとしたときに少量の破水があり、最初は「おしるし」かと思ったがどうも違う。出勤間際だった夫と共に産院へ連絡。そのまま入院することになりました。

ところが、陣痛待機すること丸1日。「破水した人の8-9割は24時間以内に(陣痛が)来る」というのに、待てど暮らせど来る気配がありません。

そこで入院2日目は「陣痛誘発剤」で陣痛を起こすことに。しかし、「陣痛風のもの」に悶絶するばかりで、翌日の早朝には、それも収まってしまいました。

今回初めて学びましたが、出産の準備が整う(子宮口が開くなど)には、薬による「陣痛風のもの」ではなく「自分の陣痛」が来なければなりません。

そこで入院3日目も「陣痛促進剤」で陣痛を…(以下同文)。

丸1日の待機+丸2日の悶絶を終え、産院側は「しょうがないのでまた明日…」という雰囲気でしたが、こちらは破水している身。更に薬の副作用か血圧は上がるし発熱するし、これ以上、母子ともに保たない!ということで、最後は帝王切開するかしないかということに。

急転直下の展開で、15:00に施術が決まり15:20にはオペ室へ。「初めての手術…!」と緊張する暇もなく、剃毛され、ストレッチャーで運ばれ、てきぱきと麻酔をかけられた私。

まるで2日間の悶絶などなかったかのように、赤ちゃんはものの15分で取り出されました。ふぎゃあふぎゃあ!とよく泣いています。

麻酔のため、動くことすらできなかったけれど、横目に垣間見たその子は、小さくてまん丸でふわふわで、ひとりでに涙が流れてきました。「この子が私の中にいたんだ…!」と。

にしても、あれだけ陣痛が来なかったということは、ひょっとしたらまだ外に出たくなかったのかもしれない。にも関わらず突然出してしまった上に、まだ面会もできていないけれど(私は寝たきり)、今日か明日には迎えに行くから、こんなママでも待っててね!!

さて、今回の妊娠&出産。母である私は44才です。統計*1によれば、初産の平均年齢は30.9才。また35才以上は「高齢出産」と呼ばれることからも、この年齢での初産がいかに珍しいことか分かります。

妊娠検査薬で「陽性」が出た日のこと、今でもはっきり覚えています。その夜は夫(となった人)が来てくれました。その姿が見え、隣に立ち、その指に触れた瞬間、言葉よりも先に涙がどっと溢れてきました。突然のことに対する驚き、高齢出産に対する恐怖です。

そんな感情に2、3日は支配されたでしょうか。夫(となった人)も不安がるばかりで、全く頼りになりません。そこで私が行ったのはまず、「闇雲に不安がらないこと」でした。

涙の中身は「驚き」と「恐怖」だけだったのか。いや、違う。きちんと感情を整理すれば、赤ちゃんを授かったことに対する「喜び」もあったはずだ。であれば、恐怖は潰せるだけ潰し、喜びだけを残したい。

「高齢出産はリスク」というが、果たして本当にそうなのか。調べられることは調べ、計画できることは計画し、絡まりあった毛糸をほどくように、不安を消していきました。

いよいよ産むことを決断できたのは、妊娠発覚から2ヶ月後、出生前診断の結果を受けてのことでしたが、そんなことは意に介さず、赤ちゃんはすくすく育っていました。

 

今、十月十日の妊娠期間を終えた私。

幸い、最初の1ヶ月(つわり)と最後の1ヶ月(臨月)以外は体調が良く、ほぼ安定期のように過ごすことができました。

さすがに、出産まで安産に、とはいきませんでしたが(悶絶からの寝たきり)、もしも今、あの日の自分に伝えるとすれば、高齢出産=さまざまなリスクとの闘い。だけどリスクはリスクであって、決して回避できないものでもないということ。

そして今、母となり子育てを始める私。

この年で、貴重すぎる機会を与えられたこと。私がこの子を幸せにすると同時に、きっとこの子が私を幸せにしてくれるだろうということ。間もなく更年期という中で、リスクがなくなることは今後もないだろうけど、それを克服するだけの運と能力が私にはあるはずだ!ということ。

出産直後の「万能感」かもしれないけど、今はそれが、未来の自分に伝えたいことです。

*1:2021年、厚生労働省の人口動態調査

正産期に入りました(妊娠37週/10ヶ月)

妊娠37週(5/7-5/13)のふりかえり。

体調は10点満点中5点。子宮が下がり血管の圧迫がなくなったのか、突然むくみがなくなったけど、お腹の張りや重みは一段と大きくなった(±0)。

37週からは正産期(37週から41週を指す俗語らしい)ということで、妊婦健診が「隔週」から「毎週」になった。中でも今週はNSTノンストレステスト)なるモニタリングや血液検査があり、また妊婦の間では痛いと噂の「内診ぐりぐり」が始まった。

まずNSTについて。これは赤ちゃんの成長とともに子宮が狭くなってくるため、赤ちゃんの健康に問題がないかを調べるものらしい。結果、赤ちゃん元気です。

続いて血液検査。やや貧血の傾向があるものの、問題になるほどではないです。

いつものエコーは、推定体重2900gぐらいで標準の範囲内です*1

そして気になる内診はというと、先生から「痛いですよ!」と何度も念押しされたがそんなに痛くなかった。思うに、緊張するとかえって痛くなるので、まな板の上の鯉のように、リラックスして見せたのが良かったのだろう。出産もこの調子で頑張りたい。ちなみに、生まれる気配はまだなし。

 

 

今週は吉祥寺で、同僚だったSさん、Kさんと会う。それぞれ11才〜14才、2才〜6才の男の子を育てているママさんで、立場は違えど同じ時代を生きる者として考えていることが近く、「あ~分かる分かる!」の連発。

育児に関していえば、教育費にどれだけ注ぎ込むかとか、学歴より大切なことがあるのでは、みたいなことを既に通過している人たちなので、今、育児書で猛烈にインプットしている私としては、仮説の検証を見ているような感じ。

私たちの共通点は、①TVを見ない、②本を読む、③社会で起きるいろんなことを「自分ごと」として捉えるほうである(多分)。

私は正直10代の頃から、「女の群れ」というものが好きではなく、その意味で「ママ友」とにもポジティブなイメージがなかったけど、この日の再会から「こういうママ友に出会えば良いんだ!」と感じられたのが大きな収穫だった。

 

【速報】

これを清書している5/15、破水して入院したため次回は出産レポートとなります。

*1:37週の標準は2059g~3294g

いよいよ臨月(妊娠35-36週/9ヶ月-10ヶ月)

妊娠35-36週(4/23-5/6)のふりかえり。

体重は妊娠前+9.2kg(◎)体調は10点満点中5点ぐらい。足のむくみがいよいよ酷く、昼でも夜でもパンみたいに膨れている。

体はすっかり重くなり、15分も歩けば、脚の付け根の関節や、子宮を支える靭帯が痛む。そんなこんなで、気づけば昼寝の毎日。フットワーク軽かった私はどこへ…。

 

今週は36週検診だった。

前回(34週)の検診で推定体重が2600gもあり、

「大きすぎる!」と騒いでいたが、今回は2700〜2800gとのこと。やや成長が鈍化したか*1。ただ、どう見てもエコーに不慣れな先生だったため(研修医?)、誤差の可能性もありそう。

ちなみに今回は、上京中の母が同伴してくれた。どうやら私が退院する際には迎えに来るつもりらしく、ちょうど良く病院へのアクセスや、入院する病棟などを案内できる形になった。

考えてみれば、「その日」はもう、1ヶ月以内に迫っているのだ。母や夫がどんな表情で迎えに来るのか、想像すると泣けて…は来ないが、とにかく安全に迎えたい。

GWに唯一遠出した「相模湖」

この2週間でしたことは主に2つ。

1つは「赤ちゃんのいる暮らしのイメージトレーニング」だ。妊娠・出産・育児に関するエッセイ本を読んだり、3月に出産したMさん宅へ遊びに行ったり、逆に助産師さんが家に来たり。

エッセイ本というのは、伊藤比呂美さんの『良いおっぱい 悪いおっぱい』。

1985年に書かれた本で、自由な時代らしく(?)表現が直截的というか、引用するのはやや憚られるけれども、読んでいて「くすくす」が止まらない。産んだり育てたりすることへの不安がかなり軽減された。

良いおっぱい悪いおっぱい 完全版 (中公文庫)

Mさん宅では生後1ヶ月半の赤ちゃんに会う。

上の本にある通り、この時期の赤ちゃんは「飲んで、寝て、出す」だけ。それ以外は何もないけど、しかしこの子が、Mさんのお腹にいたんだとすると、そして私のお腹の中にも、こんな赤ちゃんがいるんだとすると、「(高齢出産である)自分の体にまだ、赤ちゃんを育て、産む能力があったなんて!」というMさんの台詞には大きく共感するところがあった。

そう、そうなのだ。

間もなく妊娠期間を終えようとする今、妊娠して一番面白かったのは、この体の変化を、ダイナミズムを感じられたこと。

TVでしか見たことのなかった「つわり」に始まり、信じられないぐらいお腹が大きくなったり、足腰の関節が外れそうになったり、今までになかったことが次々と起きた。赤ちゃんを育て産むために、実は予め設定されていたプログラムが、私の意識の覚え知らぬところでONになり、どんどんプロジェクトを進めていくのだ。

妊娠期間だから感じる「万能感」かもしれないけど、これだけ変化できるんだったら、これからの人生も何とかなる。そんな気すらしたのだった。

さて、この2週間でしたことのもう1つは、「近い、または遠い将来、赤ちゃんに贈りたいものの準備」。

写真は、お宮参りのときに着せたい「ドレスセット」。レシピ本通りには作れなかったけど(難しかった)、さまざまな妥協を経てこの形に。シンプルな中に少しの華やかさがあって◎◎◎

もう1つは、子どもが20才ぐらいになったら贈りたい、私の「自伝」。

これは家に遊びに来たMちゃんがくれたアイディアだが、せっかく高齢出産で、よそのママより長生きしているのだから、今までに学んだことを文章にまとめておこうと。

ほかにも、「連れて行きたいところ」リストとか「読んであげたい絵本」リストとか、暇に任せて計画を立てまくっている。高齢母には、試行錯誤なんかしてるヒマはないのだ。

*1:36週の標準体重は1927g~3086g

赤ちゃんが大きい!(妊娠34週/9ヶ月)

妊娠34週(4/16-22)のふりかえり。

体重は妊娠前+8.7kg(◎) 体調は10点満点中6点。足のむくみが酷いのと、出産に向け骨盤が緩くなる時期だそうで、足の付け根が少々痛い。

今週は、定期検診のため産院へ。

前回(2週間前)2100gだった赤ちゃんは、2600gにまで成長!!!34週の標準は1650g〜2663gなので、ギリッギリ入ってるけど、500g増えるなんて、ちょっと増えすぎじゃない?

先生曰く「妊娠糖尿病でもないし、お母さん(私)の体重も問題ない。『個性』と呼べる範囲です」とのことだけど、2600gって…私が生まれたときと(37週4日)ほぼ同じじゃないですか!まさか、自ら帝王切開になろうとしている??

あくまで素人考えですが、大きくなった理由について心当たりが少し。

2月下旬に夫(甘党)と同居開始して、3月中旬には妊娠糖尿病の検査に合格(陰性)。そこから「甘い物」に対するハードルが下がってしまい、夫の買ってくるドーナツやらケーキやらアイスやらをぱくぱく食べてしまっていたのだ。

もちろん体重管理はしてたけど、食べる割に体重増えない…というのは勘違いで、赤ちゃんが太ってしまったのかも!!!

そういうわけで、今更感ありありだけど、生産期(37週)までは甘いものを控える!

 

ほか、家づくりや赤ちゃん準備が落ち着いてきたので、数少ない友人に連絡してみたら、遊ぶ予定がちらほらできた。

先輩ママさん曰く「今後十数年は忙しくなるから、今のうちにヒマを楽しんだほうが良い!」とのこと。だ、だろうな…。

出産予定日は5/28。生産期となる5/7以降は動きづらくなるので、今のうちにラストスパート!!