古い物件で漏水に苦しめられたの巻

ぽたぽたぽたぽた・・・。

聞き慣れない音で目が覚めた。

 

ぽたぽたぽたぽた・・・。

「雨かな?」なんて、布団の中で聞いていたが、次第に音が重なり始めた。

 

ぽたぽたぽたぽた(ぼたぼたぼたぼた)・・・。

ぼた!?

こんな音、聞いたことないぞ。何より距離が近すぎる。

 

漏水だ!!!

 

布団から抜け出し天井を見ると、台所3ヶ所、部屋1ヶ所から水滴が!戸棚から鍋釜を取り出し、急ぎ、落下点に並べる。

 

しかし・・・、上の階は人が住んでいないはず。

直接見に行ってみると、台所が水浸しになっていた。どの程度かというと、強い雨の日に道路が川になる感じ。

おいおいおいおいー!

すぐに大家さんを呼び開けてもらったら、原因は更に上の階。行くと、「あ、お風呂ですね。今止めますー」とのこと。

結局、原因は未だはっきりしていないのだが、酷いのはここからだった。

 

部屋に戻ってみると、上の階ほどではないけれど、部屋が水たまりになっている。

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もはや「どこで何ヶ所」という次元ではない。戸棚から器という器を取り出し、タオルというタオルを投げ、最後はベッドに「吸わせた」。

格闘したのは1時間ちょっと。拭いても拭いても漏れてくる水。もはや拭く気も失せて朝食を食べ、それも終わったころに管理会社が来た。

「物損があったら写真撮って、買い替えの領収書は控えといてください。」

「は、はい・・・。」

幸か不幸か、私の部屋には高価なものがない。壊れるような家電もないし、補償してもらうとしたら、タオル代わりにしたベッド回りか。

そんなことより疲れた。本当にして欲しいのは、復旧作業の代行だ。

 

・・・と、被害者意識に見舞われていたら、ふと、20代のころを思い出した。

実は私、過去に2度も「加害者」になったことがあるのだ。1度目は火。2度目は水。

大きな被害はなかったし、補償ももちろん済んでいるが、それは物損に対してであって、私が今日、体験したような苦労(心労?)については、聞きもしなかったし、想像すらもしなかった。

被害者のことは、被害者でなければ分からない。

同じ立場になってみて初めて、ちゃんと反省できた気がする。

 

ここから学べることは、自分がまた加害することのないよう、管理会社に修繕を頼むってこと。

・・・の前に、帰って床を拭かなければ!←まだ漏れてるのに出社した

ヨガに66回通って分かったこと

7月から『ホットヨガ』に通っています。

コロナ太りが止まらなかったため、一念発起したのです。

 

 

通う頻度は「週5回」。

平日は働き、勉強もしている中なので、忙しい。イメージ的には「雨が降ろうと槍が降ろうと」通う感じ。そして肝心の成果はというと、

 

1ヶ月目…2kg減(-2kg)

2ヶ月目…2kg増(±0kg)

3ヶ月目…1kg減(-1kg)

 

イマイチです。

恐らく、食べる量のせいでしょう。今月こそは食をテコ入れしなければ…!

https://www.instagram.com/p/CFEZTuPgTA8/

さて、そんな中ではありますが、重要な気づきも得られました。

私の太い脚=人生そのものだった、ということです。

 

私は昔から、脚がしっかり太いのです。

10代のころ、168cm48kgだったこともありましたが、それでも脚は太かった。

そしてヨガで分かりました。原因は、股関節が硬く、且つインナーマッスルが育っていなかったからだと。

 

どういうことかというと、

・股関節が硬い⇒可動域の狭さによる動きの悪さを筋肉量でカバーしている

インナーマッスルがない⇒外側の筋肉ばかり動かしている

 

私はある時期、ハーフマラソンを走るほどジョギングをしていましたが、全く細くならないどころか、太くなる一方で困っていました。

そして今になって分かったのは、可動域が狭いまま走り、外側の筋肉ばかり育てていたということ。

細くしたいのに、太くなる。

そうです、努力の中身が間違っていたということです。

 

そして、それは人生も同じ。

そのときそのとき頑張って、働いたり学んだりしてきた割に、未だ何者にもなれていないのは、努力の中身が間違っていたからではないかと。

 

…と、書いている今でも、正しい努力の中身など分かっちゃいませんが、体のほうは少しだけ柔らかくなり、インナーマッスルも育ってきました。

 

週5ヨガは残9ヶ月。

その間に、人生の努力も分かれば良いけど。

9月までのことと10月からのこと

2020年も、残すところあと3ヶ月。

コロナ、コロナの1年でしたが、私は元気に過ごしています。

9月までを簡単に復習すると、 

https://www.instagram.com/p/CFWwJI5AnP3/

1〜3月…マイナス収支から脱却するため、新しい仕事のキャッチアップに必死

4〜6月…コロナきっかけで日本社会が意外と崩壊していたことに気づき、主に政治の勉強に必死

7〜9月…ヨガとキャリコン(とバーの手伝い)の両立に必死

という感じでしたが、自分としてはマイナスに潜っていたものが、ようやく水面に顔を出してきた感じでもあります。

 

直近の目標は、キャリアカウンセラーの資格を取ること。早ければ年明けには転職を目指し、

一方、趣味的な世界では、

・農と食
・着物と古民家
・サードプレイスとしてのBar
・文章と写真とパステル画
・弱者にも優しい社会

に興味あり。

 

引き続き、筋の通らない、まとまりのない人生が続きそうですが、焦らず自分のペースで、まずは各分野における先生探しから始めます。

素敵な情報ありましたら、教えてもらえると嬉しいですm(_ _)m

『みんな一緒』から『一人ひとり』の答えへ

来たる11月に『キャリアコンサルタント』の国家試験を受けることにした。

実は私、2018年に養成講座を受けたまま、資格を取っていなかったのだ。

 

 

地方移住したため延期していたのだが、結局、東京に戻ってきて8ヶ月が経つし、そろそろ次のことを考えよう!

ってことで、4万近い受検料を払い、せっせと勉強している毎日である。

 

勉強のモチベーションUPには、「初心」を忘れないことが有効。

しかし私は、自慢じゃないけど忘れっぽい。

そこで今回は、キャリアコンサルタント(以下、CC)を目指す「動機」を書き残しておくことにした。

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私がCCを目指すことにしたのは、今から2年以上前のこと。

当時の私は『リクルートキャリア』という会社で、大学生向けのキャリア指導に関わる仕事をしていて、「働く」ということについて、朝から晩まで考えていた。

 

『働く』とは、

・自分の能力や才能を生かして、社会の役に立つこと?

・社会の役に立つ代わりに、対価を得ること?

 

働いたことのない「大学生向け」だから割と青臭かったが、しかし、自分の現実はどうかというと、

・毎日会社に8時間ぐらいいて、歯車として働く代わりに給料をもらうこと

だった。

周りの人も、多かれ少なかれそうだった。

会社員とは、ある程度そういうものだし、更に残念だったのは、「大学生向け」に教える内容も、面接のマナーとかエントリーシートの作法とか、結局のところ「会社員のなり方」に過ぎなかったことだ。

 

その一方、私は当時、ローカルとかソーシャルに人脈があり、会社の歯車としてではなく、「自分らしく」働いている人を目にする機会も多かった。

ローカルとかソーシャル界隈の人っていうのは、今考えれば「光」の部分しか見てなかった気もするけどそれは置いといて、少なくとも「歯車」感はなかったし、「自分らしく」磨かれていた。

会社で疲弊する歯車よりも、100倍ぐらい格好良かったのだ。

その後、憧れすぎた勢いで、地方移住して挫折したのだがそれも置いといて、改めて、勢い余る前の自分に引き返せば、「歯車」を量産する仕事より、「自分らしく」働く人を増やす仕事がしたい!と、考えるようになった。

 

前置きが長くなったが、ここからが本題。

勢い余って地方移住までして、紆余曲折あった今、私はどんなCCを目指しているか。

それは、

『幸せになるために暮らし、暮らしを維持するために働く人をサポートするCC』

である。

 

どういうことかというと、最近ずっと(?)書いている通り、私は「仕事」を暮らしの中心には置いていない。

暮らしの中心は暮らしであり、暮らしの目的は暮らしである。暮らしを犠牲にしてまで働いて、幸せになれることはないと考えている。

だから職業を考えるときに、職業だけを考えるのではなく、「暮らしありき」で考える。そのサポートができる人材になりたいのである。

 

イメージとしては、西村佳哲さんのワークショップが近い。

決まりきった就職指導ではなく、その人の価値観や、それを満たせる環境を全体像として捉え、その人の中にしかない答えを、見つけ出せるようなサポート。

それはそれは、深い井戸から細い糸を手繰り寄せるような作業で、ハードルはとても高いけれど、それが実現できるんだったら、辛い勉強も苦にならないような気がするのである。

tokyo100k.hatenablog.jp

 

ところで西村さんといえば、9月に『箱根山学校』が。今年も参加しようかしら?

note.com

 

映画『ソワレ』と、共にいるということ

映画『ソワレ』を見てきた。

終演後、拍手しそうになったけど、「あ、映画は拍手しないんだっけ」と手を引っ込めた。

ソワレ」で製作に徹した豊原功補&小泉今日子、日本映画への熱情 : 映画ニュース - 映画.com

ある事情から、逃亡することになった男と女。

未来のない、いわゆる「負け組」側にいる、孤独な若い男と女だ。

頼りない二人が支え合ったところで所詮は頼りなく、「人」という字が支え合わない。すぐにでも共倒れしてしまいそうな、危なっかしい道中。

一歩でも踏み外せば堕ちる。

それでも「共にいる」ということ………。

 

人が発する温度だとか音だとか、言葉のように頭で発し処理される以外の「存在」的なものに身を委ねたくなる作品。

思考でぐちゃーっとなった頭に、効く。

 

印象に残ったのはマニキュアのシーン。女の子「だから」辛い目にあってきた主人公が、女の子「だから」大切にされる喜びを知ったシーン。

気になったのはホースのシーン。まだあるはずだと信じていた母子の愛が、そこに残った水のように「切れた」瞬間だったのか。

それから神社のシーンで見せた険しい表情は………。

 

などなど、気になるシーンの応酬からは片時も目が離せず、製作者、演者と観客との間に一種の緊張関係がある気がする。

ところがその背景には、和歌山のゆったりとした海の姿や波の音。混線する思考を、それが優しく良い具合にかき消してくれた。

 

二本立てにするなら、同じく逃亡劇である『八日目の蝉』一択で。

安倍首相辞任と、「忘れない」ということ

2020年8月28日、安倍首相が辞めることになった。

Twitterで見かけたのは「#辞任と逮捕はセットだろ」というハッシュタグ

権力を盾にやりたい放題。確かに、逮捕されて然るべきだ。

 

が、レガシーなどなくとも、歴代最長の首相(とその周辺)。逮捕、逮捕と期待すれば、裏切られたときのショックは大きいだろう。

そこで私は、「忘れない」ことにした。逮捕はされないかもしれないけど、自分の意志で忘れないことはできるのだ。

 

そんなことを考えていたら、『26年』という韓国映画を思い出した。

これは、かつて民衆の蜂起を制圧し、独裁者として君臨した元大統領(実存)を、その犠牲になった市民の遺族が、暗殺しようとするフィクション。

印象に残ったのは、命を狙われる元大統領が、市民を死なせた責任をろくに感じることもなく「のうのうと」生き永らえているシーン。

安倍氏も逮捕されなければきっと、「のうのうと」生き永らえていくのだろう。

映画とはいえ実存する人物を殺そうとする韓国映画界も凄いが、しかし、ここまでしなければ、市民として「許しません」というポーズにはならないような気がした。

 

さて、安倍政権終焉に際し、日本映画で見ておきたいのは『新聞記者』。


安倍政権が「身内の優遇」と「巧みなメディアコントロール」を通じて、「やってる感」だけで生き永らえてきたことは有名だが、その細かい手口が生々しいぐらい詳しく描かれている。

フィクションではあるが元ネタは分かりすぎるほど分かるし、「こんな連中に命預けてたのかよ………」とショックも受けるかもしれないが、2020年を生きる日本の社会人として、ほとぼりが冷めないうちに見ておきたい作品だ。

 

米倉涼子キョンキョンの共演でドラマ制作の噂もあるし、「忘れない」ってことを、忘れないようにしなければ。

www.news-postseven.com

『丁寧な暮らし』がくれるもの

年下の女子たちと喋っていたら、口を揃えて『丁寧な暮らしがしたい』という。

頑張って働いてきた女子たちが、ステイホームを機に、家時間の価値を見直すことになったようだ。

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『丁寧な暮らし』は、今も昔も女の憧れ。

食卓に花を飾ったり、体が喜ぶとびっきりのごはんを作ったり。

 

私は何度も挑戦しては、何度も何度も挫折してきた。

SNSで素敵に演出された写真を見るたび、「あんなもの、旦那が稼いできてくれる女にだけ許された特権!」などと悪態ついたこともあった。

『丁寧な暮らし』には、時間がかかるからだ。

 

が、それでも挑戦してしまうのが『丁寧な暮らし』。

それは何故かというと、丁寧な暮らし=素敵に見られるためのもの、だけではなく、暮らしを整えること=自分を癒すことでもあるから。

 

例えば気分が優れないとき、ゆっくり家事をしてみよう。

ポイントは「ゆっくり」であること。

時間に追われればそれは苦行でしかないが、自分のペースで取り組めばちょっと楽しいばかりか、「自分を大切にしている」感覚と似てきて、癒されていくのが分かるはず。そして快適になった空間が、更に自分を癒してくれる。

ポイントは「ゆっくり」。とにかく「ゆっくり」。

 

ちなみに私が「暮らし」に目覚めたのは、今からちょうど1年前のこと。働き過ぎてボロボロになって、その立場から降りたとき。

tokyo100k.hatenablog.jp

時間に追われることから「降り」、久しぶりに自分で作った食事は、噛めば噛むほどおいしかった。

「LIFE」は「暮らし」とも「人生」とも訳するが、「暮らしの積み重ね=人生」だと、腹の底から納得した瞬間だった。

 

『丁寧な暮らし』とは、何もSNS上で素敵に見える暮らしだけを指すのではない。

自分が自分のペースで家のことを楽しみ、それによって心が豊かになる暮らしのことを指すのではないだろうか。

ポイントは「自分のペースで」。ただでさえ仕事が忙しいのに、間に「丁寧な家事」までねじ込めば、そりゃ誰だって辛い。できない自分に腹まで立って悪循環だ。

ではどうするかというと、仕事でも家事でも、自分のペースを分かり、決め、それを守ることだろう。

 

人と比べてどうこうじゃなく、自分のペースを分かっている人。

そういう人が周りにも良いオーラを発せられるのだとしたら、そういう人を作るのが、その人なりの『丁寧な暮らし』なのかもしれない。

映画『この世界の片隅に』と、それでも暮らしていくということ

原爆の日」に因んで、映画『この世界の片隅に』を見てみた。

あらすじは、広島育ちの主人公「すず」が、軍港のある街・呉に嫁ぎ、戦争を真隣に感じながらも、日々の暮らしを紡いでいくというもの。

戦争×アニメといえば、『火垂るの墓』や『はだしのゲン』が有名だが、その悲惨さを直接描いたこれらに対して、『この世界の片隅に』は、間接的に描くことで、逆にリアルに伝えている。そんな感想を得た。

 

「間接的。だからリアル」とは、どういうことか。

それは、今ある暮らしが失われる、ということだ。

 

主人公のすずは、絵を描くのが得意。

それは技能として得意なだけでなく、世界を美しく切り取るのが得意という意味で、日々、戦況が悪化する中においても、暮らしの中のキラキラ光る部分に目を向け、描こうとする姿が何度となく映し出されている。

現代でいえばちょうど、instagramが得意な人、みたいなものだろうか。美しい絵を描いていたすずの心が、戦況の悪化とともに歪んでいくのが、その絵を通して伝わってくる。

 

「間接的。だからリアル」とは、そういうこと。

原爆は誰にでも落ちないが、「暮らし」そのものは誰にでもあり、それを奪われるということも、誰にでもあり得る。

身近という意味で、リアルなのだ。

 

私は今年の夏、帰省ができなかった。

戦争に比べれば何でもないが、コロナとそれに対する行政の無策のせいで、当たり前だった暮らしが、一つ奪われたのだ。

 

社会にろくな政治がなければ、暮らしは少しずつ悪くなる。

すずの暮らしだって、突然奪われたわけじゃない。少しずつ少しずつ奪われて、気づいたら焼け野原になっていた。

そして初めて、為政者の責任を問うたのだ。

 

 

敗戦を告げる玉音放送の後も、しばらくの間映画は続く。

そこに映し出されたのは、暮らしを続ける人々の姿だ。

とにかく、今日を食べる。負けても、暮らしは続いていく。幸せかどうかなんて、考える余裕はなかっただろう。 

 

そうやって、脈々と続けられた暮らしの先に現在があるのであって、そうやって積み上げられたものを失うってことに、例えば私一人が、私一人の暮らしを奪われるだけではないものを感じた。

映画『はちどり』で、自分をいたわり抱きしめたくなる

『琴線に触れる』という言葉がある。

 心の奥に秘められた感じやすい心情を刺激して、感動や共鳴を与えること

とあるが、

考えるともなく心が共鳴してしまう、気づけばそこに迫ってきている、静かで繊細な感動のことだ。

 

『はちどり』という映画を見た。

内容自体は地味なのに、考えるより先に泣いていた。一夜経った今でも、心に何か残っているが、それを表現することはできない。

今考えれば、琴線に触れられていたのだ。

14歳だったことのある女性なら、見てみるのが良いだそう。女性監督ならではの繊細で優しい視点。今まで大切に育ててきた自分を、自分でぎゅっと抱きしめたくなるはず。


6/20(土) 公開!『はちどり』予告編

あらすじは、

1994 年、ソウル。家族と集合団地で暮らす14歳のウニは、学校に馴染めず、 別の学校に通う親友と遊んだり、男子学生や後輩女子とデートをしたりして過ごしていた。 両親は小さな店を必死に切り盛りし、 子供達の心の動きと向き合う余裕がない。ウニは、自分に無関心な大人に囲まれ、孤独な思いを抱えていた。

ということで、これだけ読んでも「見よう!」とはならないかもしれないが、まず秀逸なのは「思春期の日常」のリアルさだ。

授業中に友達と先生の悪口を書き殴ったり、ノートの中身は勉強よりも漫画だらけだったり、家では自分の声を録音してオリジナルのカセット(!)を作ったり、14歳だったことのある女性なら、あの頃の自分を重ね、「あったあった」と頷いてしまうのが其の一。

 

続く其の二は、そんな日常に潜む「思春期の悲哀」だ。

ドーーーン!と悲しいことが起きるわけではないが、思春期は、毎日が、少しずつ、悲しい。

例えば、昨日まで仲の良かった子が急に口を利いてくれなくなったり、両親は「男の子」である長男にしか期待していなかったり、その影響で姉が家に帰らなかったり、それ自体はちょっとしたことなのだが、思春期の心は「裸」だ。いちいち傷つき、しかし自ら立ち直る術を知らない。

心の傷は雪のように積もり、やがて主人公を蝕んでいく。見ているこっちは、辛いのか可哀想なのか分からないけれど、胸の奥を針で突かれたような気分になる。

 

そして、其の三にして最大の見どころが、『ヨンジ先生』との出会い。

再び「あらすじ」に戻ると、

ある日、通っていた漢文塾に女性教師のヨンジがやってくる。ウニは、 自分の話に耳を傾けてくれるヨンジに次第に心を開いていく。ヨンジは、 ウニにとって初めて自分の人生を気にかけてくれる大人だった。 

のだが、ほんっっっとうにこの人が、最高なのだ。

ただ優しいとも違うし、強いとも違う。

予告編を見れば分かる通り、先生の言葉はときに抽象的で、14歳にとって直接の答えになるものでもない。

だが、ただただ横にいて、2.3歩前から導いてくれる、ような。

そんな先生との出会いを通して、刹那的な日常に埋没していただけの主人公は、自我に芽生え、自らの足で立ち上がり、自分の意志で歩きだすことになる。

その過程を見ていると、勇気づけられるのか癒されるのか分からないけど、見ているこっちまで「うん、そうだ、大丈夫なんだ」という気分になってくる。

そして上映後にはどういうわけか、自分で自分を、抱きしめたくなってしまったのだ。

 

その心は多分、こう。

自分も14歳のときはこんなだった

それでも立ち上がり、歩いて来られた

自分にもヨンジ先生みたいな人がいたはずだし、この先もきっといるはずだ

この先もきっと、大丈夫だ

 

100人見れば100通りの感想がありそうな作品。私はこんなだったけど、あなたは何を感じるだろう?

 

animoproduce.co.jp

 

劇中歌『愛とはガラスのようなもの』


원준희 - 사랑은 유리같은 것 (1989)

 

さて、ここからはだいぶ私的な感想になりますが、主人公の母親について少々。

舞台は1994年のソウルということで、主人公を苦しめる「理不尽」の一つに、当時の韓国社会に色濃く残っていた「家父長制」が描かれている。

家に居場所がないために、ある事件を起こしてしまった主人公。それを父親が罵るシーンがあるのだが、ここで母親は何をしたかっていうと、主人公の味方につかず、いや、味方にはつかないまでも言い分すら聞かず、一緒になって罵ったんだよねぇ。。。

それに比べて私の家は、父親がいなかったので「家父長制」自体が存在せず、たまに理不尽なことがあるにせよ、両親が塊になって攻めてくることは(物理的に)なかった。その分、母親は強大だったが、子供なりに反撃の余地があった。

なので劇中、主人公が家族中から頭ごなしに否定されたのは、驚きというか衝撃というか、絶望的な気分になったのだ。

そして、主人公の母親にも兄がいて、「そのせいで大学へ行けなかった」なんて描写もあっただけに、「娘を同じ目に合わせてどうする!」と最初は憤ったのだが、しかし考えてみれば、母親自身もまた被害者。悪いのはそうさせてしまった「社会の理不尽」だった。

だとすれば、(理不尽に屈しない)強い母親のもとに産まれ、(理不尽に屈しない)生意気な女に育った私は、ある意味、幸せだったのかもしれない 。

うん、そういうことにしておこう。 

近況報告|わざわざ会うこと、受け容れること

7月13日。雨。

週に1冊は本を読むようにしていて、今週はこれを読むことになった。

 

「まえがき」の1行目からド共感。

近代社会は知識中心に動いてきた。「知識は力なり」は、それを予告することばである。知識尊重の思想が近代教育をおこした。学校は、知識の伝授に多忙で、生活が大切であることを忘れたか、それを考えようとはしなかった。

そうそうそう。

私も最近、一番大切なのは生活。そのために良い社会が要るのであり、そのために良い教育が要るのだ。

ということを感じていたので、良い本を選べたことに朝から気分が良くなった。

 

最初のテーマは、「日記」。

日記などあってもなくてもいい多くのことのひとつ

といいながら、6、70年も日記を書いているという筆者。結局、日記は「1日の決算」であり、「忘れるために」書くものだという結論に至ったらしい。

 

これを読んで数時間後、たまたま目にした壇蜜のインタビューにも、同じことが書いてあった。

私の場合、日記は物事を忘れるために書くんです。嬉しいことも、そうじゃないことも、書いてしまえば次の日まで持ち越さずに済みますから。たとえ嬉しかったことでも、その感情をずっと抱えたままだと、生きていくうえで足かせになってしまうことがある。だから、1回リセットして自分をまっさらな状態に戻したい。

fujinkoron.jp

 

なるほど。「忘れるために、書く」のか。

ところが、私は自慢できるほど忘れっぽいので、書こうが書くまいがすぐに忘れてしまう。したがって、忘れるために書く必要などない。どちらかといえば、「後から思い出す」ために書いているような気がする。

 

「後から思い出したいこと」といえば、先日、こんなことがあった。

言語化するのが難しい。けれど、とても温かくて、何度でもこんな夜を過ごしたいと思った夜だ。

それは7月9日。先日書いたバーのオープン準備をしていたときのこと。 

tokyo100k.hatenablog.jp

その場にいたのは、新店長のNさん(50代)、オーナーのRちゃん(40代)、元シェアメイトのTちゃん(20代)と、私(40代)の4名。

準備をしていたのはNさんとRちゃんで、Tちゃんと私はただ喋っていただけだけど、何だろう、誰かが頑張っている姿を、ほかの誰かが見るともなく見ていたり、誰かが真剣に喋っているのと、ほかの誰かが聞くともなく聞いていたり、大したことがあったわけではないけど、とても温かい時間に感じた。そんなことがあった。

それぞれの存在をそれぞれが味わっているというのか、真面目な瞬間もあればそうでない瞬間もあったけど、誰かが何かを仕切るするでもなく、ただそれぞれが何かをしている。そしてそれを、とにかく誰かが受け容れている。


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私はこの「受け容れる」というのを、「容」で表記するのが好きだ。それは「容器」に入るようにすっぽりと、包まれるような守られるような感覚があるから。 

私たちは、れっきとした他人なのに、たまたま同じ時期に同じ地域に住んでいただけの他人なのに、それだけ温かい時間を共にできることが嬉しかったし、これこそ私の目指す「共助」の形だと思った。

 

久しぶりに会ったので、話はやはりコロナに及ぶ。 

コロナによって、「こういう時間」が奪われたのだと。

こういう時間とはどういう時間か。オンラインでも話はできるじゃないか。なのに何故、わざわざ会わなきゃいけないのか。

未だに言語化できないけど、オンラインは目的ありきというか、テーマありきというか、五感でいえば視覚と聴覚は満たされるかもしれないが、それ以外の伝えるものを伝えることは難しい。

「ただそこにいる」ということを、伝え、受け容れるのは難しいのかもしれない。