11月17日で、子が生後6ヶ月を迎えた。
身長69センチ、体重7.7キロ。頭は6ヶ月にしては最大級の大きさで、編んだ帽子がすぐに合わなくなった。
今月のトピックスは、何といっても離乳食だ。作るのも面倒だが、食べさせるのはもっと面倒。そこら中汚れるし、食べカスのせいで肌荒れまでするとは。
ところが、「あー…もうミルクだけで大きくなってくんねぇかな」などと心折れかけていた頃、6ヶ月の祝いも兼ねて母(以下、ばーば)が上京。早速離乳食を担当してもらうと、
「あ〜ん…はい、じょうずじょうず〜!」
などと声を掛けながら、楽しそうに食べさせているではないか!
子のほうも子のほうで、私への態度とはまるで違う。じたばたせず泣きもせず、気づいたら完食している。
「こ…コツは何なんですか?」
と聞いてみるも、ばーばは「肌が綺麗ですね」といわれて「え、何にもしてないよぉ〜?」と答えるタイプの人かは分からないが、とにかく教えを乞うには不適切なので、その一部始終をじっくり観察してみることにした。
それで分かったのは、私が私のタイミングで離乳食をあげ、酷いときには開いてもいない口にグイグイ突っ込んでいるのに対し、ばーばは子を見て、子のタイミングであげているということ。そうすることで、だんだん息が合ってくるようにも見える。離乳食は二人三脚なのか…。
ばーばが帰った後、なるべく子を見て、息を合わせるようにしてみたら、お、食べる食べる。それも、とっても嬉しそうに!
私がもたもたするせいか、完食にまで至ることは多くないけど、苦手意識は克服して離乳食は進んでいる。
今月のできごと
さて、もう一つ大きかったのは「保育園の申込」である。
「少子化なのに保育園が足りない」という現象は、もちろん私の住む自治体でも起きている。1才になると入れにくいので、4月から入れるつもりで、園見学などしていたのだが………、
結論:育休延長することにした
それは、提出書類を全て揃え、市役所に向かっていたときのこと。次の信号を左折で、市役所に到着する。信号が赤になったため、ふと歩道に目をやると、よちよち歩きの子どもと若いお母さんが見えた。
まだ1才ぐらいかな。平日ぶらぶらできるってことは、保育園には入れなかったんだ。私は保育園に入れるから、ああいうことはできないんだな…。
と、突然悲しくなってしまったのだ。
市役所に着き後ろのドアを開けると、チャイルドシートの上でにこにこしている我が子。その何も分かっていない表情が、逆に後ろ髪を引きまくる。私はこんな子を置いて働きになんか行けるだろうか。
頭から湯気が出るほどのもやもやに襲われ、とはいえ、頑張って準備した書類だ。提出するだけはして、1週間ほど再考。結局以下の理由から、育休延長することに決めた。
・最初で最後の子どもだから、預けずそばに置いておきたい
・金銭的にも体力的にも、0才クラスに入れてまで働くメリットがない
・1才でも入れそうな園を見学してみたが、意外と悪くなかった
高齢ママの心身
保育園問題にカタが付き、カレンダーを見ていたら、12月12日は祖母の命日とあった。そうだ、あれから1年だ。
tokyo100k.hatenablog.jp
昨年の今頃は、高齢妊娠したばかりで不安のほうが大きく、NIPT検査を受けその結果を待っていた。
それ次第では産めないかも…。祖母が倒れたのはちょうどそんなタイミングで、その後、息を引き取るのと引き換えに、胎児はどんどん大きくなった。
その胎児だった子は今、私の膝の上で私の作業を妨害している(汗)。今や日常と化したこんな光景だが、あの頃は奇跡とすら思えたことだ。
高齢妊娠は高齢出産を経て、今、高齢育児中の私だが、1年前と比較して思うことは、さまざまな困難を前に不安になることも多かった。けれど、それを放置することも立ち往生することもなく、糧にして具体的努力ができるようになった、ということ。「自分ひとりの人生じゃない」ということの意味かもしれない。
親として成長させてくれた子に感謝すると共に、自分自身も褒めてやりたい。
今月の一冊
先月に引き続き、「ミニマル子育て」について。500ページ以上を読み終わったので、今回はその実践編。
本の内容は、モノやスケジュールの「断捨離」に近いが、それを推奨する理由として、《子どもにあれもこれも与え、詰め込みたくなるのは親自身が「不安」だからだ。親は子の「環境」である。不安な親に育てられたら、子はもっと不安だろう》と指摘しているのが、刺さった。その自覚あったから。
で、実践してみた感想は………良い!
一言でいうと、その日その日のタスクに集中できるため、雑念(不安?)が消えるのだ。
具体的には、モノの断捨離は文字通りとして、スケジュールの断捨離は、何曜日に何をするとかいうことを予め決め、その日以外にはしないようにしてしまうこと。
例えば以前であれば、朝起きてから「今日は何しよう?ごはんはどうしよう?」と考えていた。洗濯とか掃除とか片付けながら、その後のスケジュールを考えていたのだ。そのせいで「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」と、常に心があくせくしていたが、現在は「〇曜日は子ども服を買いに行く。〇曜日はカレーを作る」というように予め決めてあるので、ただそれをすれば良いだけ。
子に対しても、「天気が良いから散歩に連れて行くべきか?行くとすればどこへ?」などいちいち考えるのではなく、予め決め、日中はただ実行する。
そうすると暮らしに余白が生まれる。その余白をどうするか。その答えはこうだ。
「あーかわいい」とか「あー幸せだ」とか、味わうことに充てる、と。体の中が温かいもので満たされる。