ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

転居準備、始まる(妊娠23週/6ヶ月)

妊娠23週(1/29-2/4)のふりかえり。体調は10点満点中7〜8点。体重は妊娠前+5.5kg(◎)

体調マイナスの理由は、お腹が膨らんで疲れやすくなったことと、腰が痛くなってきたこと。膀胱や胃腸は、端に追いやられ容量が減っているようで、食後など恐ろしくお腹パンパンになってしまう。

また、鼻炎が治ったと思ったら、一難去ってまた一難。今度は歯が痛くなってきた。至急治療しなければ。

 

一方、胎動は朝も晩も感じるようになった。最初は「ぽこぽこ」と感じていたのが「ごそごそ」という感じに。範囲も広がり、日々成長しているのが分かる。「今日も大きくなったねー!」などと驚くママ(私)の声が聞こえているかも。

 

暮らしのほうは、連日20時頃までリモートワーク&夜はベビー服製作というところに「転居準備」が加わってきた。ギュッと詰まって良いのだけれど、しみじみ何かを味わったり………ということがない。

というのも、2011年から10年以上、好きで住んでいた地域(文京区)を離れるというのに、感慨らしい感慨がないのだ。

昨日はわけあって、以前住んでいた地域を歩いてみた。いろいろあった10年を少しは感じることができたが、それ以上のことはない。お腹に「大きな未来」が入っているので、「過去」の入るスペースがないのだろう、恐らく。

 

転居といえば、私が転居するということは夫も転居するということであり(今から一緒に住む)、今、夫が面倒見ている義母も、別のところに転居するということだ(同居はしない)。

義母はいわゆる毒親で、「年老いた親の面倒は長男が見るべき!」という時代錯誤な価値観の持ち主でもある。

その呪いを受けてきた夫は、出会った当初、半ば人生を諦めたような人だったが、結婚に向けて進むうち、具体的な行動が取れる人になった。

動き出したのは昨夏だったか。市役所に相談し、ケアマネジャーに相談し、年金で賄える施設を見つけ、休みをやりくりしながら見学し、比較検討するための資料を作り、渋る義母を連れていき、健康診断を受けさせ………そして昨日ついに!最終的な入居契約に漕ぎ着けたらしい。

あとは汚部屋の片付けが残されているようだが、いよいよ山の9合目まで来た彼は昨日、今までに見たことないぐらい干からびていたので、ビールを3杯飲ませ、カチカチに固まった体を、念入りにマッサージしてあげた。

彼に必要だったのは、挫けそうな心を支えながら、時には厳しく尻を叩く人だったんだなぁ。妊娠の衝撃が退路を奪ったことは言うまでもないが。

 

話は全然変わって、ベビー服作りで最初に取り組んだ作品が、3ヶ月以上かけて完成した。5月生まれだから毛糸なんてすぐ要らないし、ただ私が作りたいだけの作品だったが、素敵なので載せとこう。

「22週の壁」を越えて(妊娠22週/6ヶ月)

妊娠22週(1/22-28)のふりかえり。体調は10点満点中8から9点。体重は妊娠前+4.2kg(◎)

日に日にお腹が大きくなるこの頃。妊娠発覚が9月末で出産予定が5月末なので、1月末の今が折り返し地点となるが、まだ折り返し地点なの?お腹ってどこまで大きくなるの?って感じがしている。

今週は10年に1度の寒波が来たので、足元用ホットマットを購入。足裏温めはもちろん、座布団や湯たんぽにもなる。私の血圧問題は冷え問題なので、これで完全解決するはず。

 

さて、妊娠22週といえば「22週の壁」である。いわゆる「生育限界」と呼ばれるもので、万一、正産期(37-41週)前に胎児が出てきてしまっても、22週を越えれば助けられる確率が高くなるため、このように呼ばれているらしい。21週以前のそれを「流産」と呼び、22週以降のそれを「早産」と呼ぶのもこういった理由からだ。

 

流産といえば、毎日聞いている「ゴールデンラジオ」で、残念ながら流産してしまった方のメッセージが読まれた。

結婚して4年、子どもはもう諦めていたが、この年末に妊娠が発覚。しかし8週を迎えたところで稽留流産してしまい、その後激痛と共に、赤ちゃんが出てきた。

メッセージを読んだ男性パーソナリティは、「稽留流産」など、恐らく聞き慣れぬ言葉をたどたどしく読んでいたが、妊娠する前ならば、きっと私もそうだったろう。

だが8週といえば、私もちょうど切迫流産で寝込んでいた頃。40代の半数は流産するというから、いつそうなっても良いように、鎮痛剤やナプキンを買い集めている時期だった。結局、ことなきを得たとはいえ、自分にもそっち側の道があったのだと思うと、涙が自然に溢れてきた。今、私がこうなっているのは、とても貴重なことなんだと。

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同じくラジオで、とても響く内容があった。歌手・加藤登紀子さんが出演したTBSラジオ「アシタノカレッジ」(1/27)だ。

凄い内容だったのでシェアするけど(29:09〜)、時は1943年、日本が敗戦への道を走り始めた年に満州で生まれた加藤さん。社会はまさに絶望の淵にあったが、そんな中で母から聞かされたのは、「あなたは希望だったのよ」という言葉だったという。


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加藤さん曰く、戦争というのは、始まる時は威勢よく始まるけど、終わりかたというのは、誰も決めていないし教えてもくれない。今のウクライナがそうであるように、国同士が戦っているように見えて、実際に死ぬのは罪のない市民だけだ。

加藤さんが生まれたのはまさにそういう時代で、ただ、満州から引き揚げる中で母が感じたのは「今日を生きる希望」だったという。

説明が難しいので直接聞いてもらいたいですが、希望とは、絶望の中でこそくっきり見えるものだし、産まれる子どもにとってはどんな時代だって未来しかないし、希望しかないのだ、という言葉が心の中に強く残った。

 

私は今、妊婦ライフを9割楽しんでいるけれど、残り1割ぐらいは、こんな明るくもない時代に産み育てることへの不安がある。そういうときは「戦争中だって子どもは生まれた!」と自分を鼓舞していたが、今回、張本人である加藤さんの話を聞き、子ども、それ自体が希望なのだと、運良く与えられたものの大きさに、またしても泣いたのだった。

 

さて、「こんな時代にどう育てる?」ということでいえば、最近読んだ「山びこ学校」がとても勉強になった。

山びこ学校―山形県山元中学校生徒の生活記録

この本は、戦後、山形の農村で、無着成恭という中学校の先生が実践した「生活綴方」という社会科教育の成果をまとめたもの。

本は文字通り、生徒たちが自分の暮らしについて綴った作文集だが、例えば農村の暮らしは貧しく、ろくに学校も行けない生徒が「どうして学校に行けないのか?」という問いを立て、家が貧しいから→農民が貧しいから→税金の高さに対して労働効率が低いからという連鎖に気づき、策として「集落ごとに農業機械を買えば良い」と考えたが、実際には「機械を乱暴に扱う人」がいたり、「自分の機械を貸すことで大きな顔をしたい人」がいたりして進まないため(リアルw)、大人の意識改革を促すそうと村に新聞を貼ったりしたエピソードなどが載っている。

まっすぐな視線とみずみずしい文章に気を取られそうになるが、着目すべきは、「暮らしに根ざした社会科」であること。

当時、文部省の教科書には、戦後導入された民主主義などが高らかに謳われてはいたものの、実際のところ、農村暮らしとは乖離のある「都会」向けの内容でしかなかったらしく、一方、生活綴方という教育には「自分たちの暮らしを自分たちで良くする。そのために考え、学び、行動する!」という姿勢が貫かれていたようだ。「これこそ本当の教育!」と思わされる内容だった。

 

令和の今、子どもの教育にはお金がかかる、といわれている。東京だと私立に入れる人も多く、教育格差はそのまま、将来の経済格差に現れる…などともいわれている。が、だからって、ただ良い学校を目指せば良いのか?競争ばかりが幸せか?こんな未来のない国で?

という問いも長いことあった中で、まずは暮らしを幸せにしよう、そのために学び行動しよう、という生活綴方の教えは、とても納得のいくものだった。

 

そういうわけで、22週のまとめ。

この子は本当に生まれてきそうだ→どんな時代であれ子どもは希望。頑張って育てよう→日々の暮らしから考え、学び、行動できる子に育てたい。

ベビー服を作る(妊娠21週/6ヶ月)

妊娠21週(1/15-1/21)のふりかえり。 体重は妊娠前+3.6kg(◎)。体調は10点満点中9点。膀胱圧迫のためか、トイレが近い。

昨日は耳鼻科に行ってきた。半年ほど前から鼻炎があり、病院嫌いなので放置していたが、最近になって「いびきがうるさい」との苦情が相次ぐようになったため。

診察は5分ぐらい。簡単な治療と、妊婦でも大丈夫な薬をもらったが、その後丸1日、鼻が「新品」に取り替えたみたいに快適。寝起きはまだイマイチだけど、これで分娩中に鼻垂らさないで済みそう。

ちなみに行ったのは近くのクリニック。Webで順番待ち&問診できて負担も少なく、もっと早く行けば良かった。

 

さて、今週から仕事が忙しくなった。入る予定だった人が突然来なくなったらしく、私にお鉢が回ってきたのだ。

残業は遅くて20時ごろまで。私は残業代がもらえる&自分のペースでできるなら作業量が多くても問題ないのだが、現実は理想通り行かないもの。「急ぎの連絡」みたいのがガンガン来るので、ペースは乱されるわ、(急いで進めるから)残業代にはならないわでイライラ。そんなときに胎動があるので、「あ〜、〇〇ちゃん(←赤ちゃんのこと)ごめんね!」などと謝りながら戦っている。

仕事が終わるとミシンに移動し、とっても楽しい時間の始まり。ベビー服の制作にハマっているのだ。前からほそぼそ作っていたが、技術が向上してきたようで、作っている最中も楽しいが、もっと楽しいのは次に何を作るか考えている時間。布など探しているとつい夜ふかしになるため、赤ちゃんにはまた謝る。

 

ところでベビー服といえば、夫に「1着完成した」などと報告すると、なぜか決まって「ありがとう」と返ってくる。「あなたのために何かしたっけ?」と思うのだが、どうやら「僕の子どものためにありがとう」という意味らしい。

なるほどそうか。私が「自分の子のため」にすることは、夫にとって「自分の子のため」にされることなのだ。夫婦というのは子を媒介にして、利益(?)を与え合う関係なのだと気づいた。

気づいたといえばもう一つ、私が子どもの頃の写真には、母とお揃いを着ているものがちらほらある。制作したのは当時の母だが、そのときの母も私のように、赤ちゃん(私)に会えることを楽しみにしてくれていたのだろうか。今となってはその情景や気分まで想像できるようになった。

親の想いは親にならなければ分からないというが、赤ちゃんは本当にいろいろなことを教えてくれる。

43才、初めての妊娠(20週/6ヶ月)

妊娠20週(1/8-1/14)のふりかえり。 体重は妊娠前+3.1kg(◎)。1日に2,3回は胎動があり嬉しい。体調は10点満点中9点。気になりごとは貧血と喉の乾燥。

さてさて、この週はいろいろなことがあった。

胎児スクリーニングで「何もない」幸せ

まずは赤ちゃんのことから。今週は「胎児スクリーニング」なる検査があった。

胎児スクリーニングとは、赤ちゃんの内臓や器官に異常がないか、普段より念入りに見るエコー検査のこと。20分ぐらい寝かされて、何かを真剣に見ている先生…を黙って見ている私…。

私が質問しないせいか、先生もほとんど喋らなかったが、長い沈黙の後、

「うん、何もないですね」

と、嬉しい一言いただきました。

最近、「何もない」ことに慣れてしまっていたけど、ふりかえれば妊娠初期には、流産するかもしれない、異常が見つかるかもしれないと日々怯えていたんだった。ここまで正常に来れたこと、頑張ってきた赤ちゃんと自分を、しっかりとねぎらっていきたい。

 

エコー画面では、今までになく「赤ちゃんらしい」姿を確認することができた。目鼻立ちが何となく分かり、まるでキューピーちゃんみたい。

エコー写真から想像する赤ちゃんの姿

ちなみに性別は、どうやら女の子っぽいとのこと。「男の子のモノ」が見えないだけなので、出てきたら違った!なんてこともあるらしいが、どうか私みたいに生意気な子になりませんように。

新居が決まりつつある

年末に始めた新居探しはいよいよ佳境。当初は普通の賃貸で考えていたが、条件が合わず、UR公団になりそう。

UR公団といえば私は7才まで奈良のURに住んでいたが、今回、内見に行ってみてびっくり。やけに懐かしい感じがすると思ったら、昔住んでいたURとほぼ同じ間取りだったのだ。

原点から始めよ、ということなのか。転居は2月25日の予定。

ありがたき人との関わり

今週は人にもよく会った。年末までヒマだったのでありがたい限りだ。

日曜日に会ったのは元同僚のKさんとSさん。2人とも先輩ママなので、出産のこと、子育てのことなどいろいろ聞いたが、一番驚いたのはSさんも宮台先生信奉者になっていたこと!「ビデオニュース」って言葉、リアルで初めて聞いた気がする。

木曜日は、元同僚(?)のKさんに会った。年末にこのblogを見て「私も高齢妊娠なんです!」と連絡をくれたのだ。よくよく聞いてみると、何と同じ病院で出産予定とのこと。2ヶ月半先輩なので、妊娠後期の体調や診察、子育ての計画について参考になった。

土曜日に会ったのは友人のWちゃん。私が転居する某市の出身なので連絡してみたら、「相談がある」というので会うことに。副業で培った傾聴の技術を駆使…はしなかったが、迷いが整理されたらしく、喜んでくれて嬉しかった。健闘を祈りたい。

 

というわけで、バタバタと忙しい週だったけど、未来に向かう計画は順調に進行。また過去の出会いから得られるものも多くあり、充実した1週間だったように感じる。

今週も赤ちゃんと励まし合いながら頑張ろう。

43才、初めての妊娠(18-19週/5ヶ月)

妊娠18-19週(12/25-1/7)のふりかえり。

体重は妊娠前+3.3kg(◎)。体調は10点満点中8点。2週間前に痛めた喉は、「唾液腺マッサージ」なるものをしていたら治った。最近の気になりごとは貧血。

高齢妊婦は不具合が出やすいらしいが、体重、血圧(冷え)、喉(乾燥)、貧血など、昔からちょっと問題あった(がケアもしてこなかった)ところに確かに不具合が出ている。前向きに考えれば、今、対策的な習慣を身につければそのまま更年期対策になるのかも。

年末年始は、新居探しや帰省などでバタバタ。胎内では赤ちゃんがポコポコ(胎動)。周りはどう感じているかはともかく、私自身は幸せな時間が多かった。

全く中身がないけど、今週は以上。

43才、初めての妊娠(17週/5ヶ月)

妊娠17週(12/18-12/24)のふりかえり。 体重は妊娠前+2.2kg(◎)。体調は10点満点中7点。後で書くように血圧は下がったし、腸の調子も全盛期に戻ったが(玄米万歳!)、乾燥&寒さのためか、喉が痛い…!

仕事納めの今週だったが、仕事以外で忙しかった。

 

12月20日、祖母の葬儀で横浜へ(泣いた)

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12月21日、病院のため多摩地域(遠い)

12月23日、旧友と会い出産&子育てのリアルを聞く(怖い)

12月24日、新居を決めに多摩地域(遠い)

 

と忙しくしたせいか、風邪など滅多に引かないのに喉が痛い!加湿したり、のど飴を舐めたり、唾液腺マッサージをしたりして治療中。

 

一方、2週間ほど懸案だった血圧問題は一旦解決を見ることになった。

というのも、私の血圧は「最高血圧:正常、最低血圧:高い」という状態で、調べによるとこれは「心臓のポンプには問題ないが、末端の血管が細いか硬いかの理由で血行が悪くなっている」状態を指すらしい。

「末端」といえば、私は末端冷え性。寒くなると膝から下が冷蔵庫でも入れたみたいに冷たくなっていることがよくある。ここに血液を送ろうというのだから、そりゃ血圧も上がるだろうということで、生姜スープを飲む、強力なレッグウォーマーを履く、足湯をする、カイロを貼るなど、考えうる限りの冷え性対策を講じて、血圧検査に臨んだのだ。

その結果、その日の血圧は109/73mmHg(○)

ということで、ハイリスク予備軍から、普通の高齢妊婦(?)に戻ることができた。ぱちぱちぱち。

 

血圧が下がって喜んだのも束の間。この後、私は衝撃的な事実を知ることになった。それは、「無痛分娩が予約できていなかった!」ということ。

予約をしたのは確か10月後半だったか。私としては確定しているつもりだったのだが、念の為聞いてみたら「できていません」とのこと。

な、なんだとーーー!!!

思い当たることとしては、この病院、分娩予約の方法がやや複雑で、私は高齢出産なので自分で予約することができなかったのだ。それで文京区のクリニックからしてもらったのだが、そこでの伝え方が甘かったか、初診の予約しか取れていなかった…。くっそー!自分で電話の一本も入れときゃ良かった!!!麻酔ぐらい自由に打たせろ!!!!!

30分は立ち直れなかったが、そもそも日本はジェンダー後進国。無痛分娩など贅沢品で、民間の病院で受ければ100万近くかかるのだ。ここは公立だから少し安いが、受けられる枠はごく僅か。その権利獲得は熾烈な争いになるらしい。ゴネたところで水掛け論にしかならないだろうし、最初から縁がなかったと考えるしかない…。

 

翌々日、久しぶりの友人に会い、分娩についても聞いてみると、その人は3.9キロ、3.7キロ、4.2キロの男児を全て自然分娩で産んだという。それでも元気に生きているから私も何とかはなるんだろうと…信じよう。

 

辛いことで書き終わるのも何なので、喜ばしいことも書いておこう。23日か24日から「胎動」らしきものが始まった…ような気がする。

胎動というと「今、赤ちゃんが蹴った!」というアレを連想するが、最初から激しいわけではないらしい。私の場合、ぽこっと指で突かれる感じというか、へその下辺りが痒い感じというか、もっと正確にいえば1.5センチぐらいの気泡がぷちっと潰れるような感じなので、最初は腸でガスが生産されているのかと思ったが、「でも、腸ってこんなところにないよな?」ということから胎動を疑い始めた。

来週にはもっと盛り上がってくるはずなので、無痛分娩はともかく、これを楽しみに生きていこう。

初めて作ったベビー服

おばあちゃんのこと

12月13日

今年最初の寒い朝。目は覚めていたが布団の中でぬくぬくしていた8時過ぎ、台所のほうから、

バタッ!

と、重いものが落ちるような音が聞こえた。

(はて、落ちるようなものなんてあったっけ?)

しばらくして行ってみると、壁かけの鏡(姿見)が倒れている。私は寝ていたのだから、力が加わることなどない。勝手に、倒れたのだ。

 

10時過ぎ、母に連絡してみると、

「昨夜、遅くに亡くなりました。」

と返事が来た。

11月に転倒して頭を打ち、意識不明に陥っていたおばあちゃんのことだ。夜遅かったので連絡しなかったらしい。それで本人から、報せが来たのか。

 

2022年12月12日。享年96才。

聞けば、頭蓋骨の骨折に加え、発症こそしなかったもののコロナ陽性であり、肺がんでもあったらしい。文字通り、肉体の限界まで、生きた。

 

12月20日

あれから1週間。旅立ちにふさわしい晴天の中、おばあちゃんの葬儀が営まれた。

集まった親族の中で、一番泣いていたのは私。母からは「あんまり悲しむとお腹の子に障るよ」といわれたが、私は悲しくて泣いていたのではない。だったら何かといえば、妊娠中だからこそ感じる「ありがたさ」の類いだったかと思う。

 

おばあちゃんで思い出すことはいろいろあるが、

一番忘れられないのは、私が小1か小2の頃、親が離婚したばかりだったので子守に来てくれていたおばあちゃんが、私と兄の遊んでいる部屋に入ってきて、2人で飲んでいた「コーラ」を見るなり、凄い剣幕で一言、

「醤油を飲んじゃいけん!!!」

と怒ったこと。

昔は出征を回避するために醤油を飲む人がいて(わざと体を壊す)、それを連想したというのは後で聞いたが、このように、田舎の人で、昔の人で、優しいというよりはやや厳しかったおばあちゃん。

母が忙しかったため、小6までの長期休暇はほぼ全期間預けられていたが、ごはんを作ってくれたり、セーターを編んでくれたり、パンの耳を揚げてくれたり、今考えれば母よりも、母っぽいことをしてくれた。

 

現在妊娠中の私は、頭の中の8割ぐらいが「母になること」で埋め尽くされている。

その中身は当初、「私に産めるか、育てられるか」が10割だったが、今回、おばあちゃんが倒れ、亡くなったことによって、「命のバトン」というよく聞く言葉が、にわかに自分ごとになってきた。

何しろ、私の43年でたった一度の妊娠と、祖母の96年でたった一度の死が、同じ時期に重なったのだ。「数奇なもの」を感じないほうがおかしいだろう。

 

「命のバトン」とは、産んでくれた人、育ててくれた人があって今の私があり、そんな私が今、産む人になり、育てる人になろうとしていること、だとする。

私の母は母に違いないが、その母として祖母がいて、母がピンチのときには常に来て母代わりをしてくれた。この1ヶ月間、おばあちゃんを想ってはしょっちゅう泣いてたが、その涙の正体は、「育ててもらった」という、その実感に違いない。

 

午後12:30ごろ、火葬されたおばあちゃんが、骨になって出てきた。

おばあちゃんの肉体が消えた。それは悲しかったけれど、と同時に「してもらったこと」は消えないということにも気づいた。

してもらったことの中には、私が幼すぎて覚えていないこともあるだろう。口に出す人ではなかったが、娘である母を助けると同時に、孫である私を大切に想い、関わってくれたに違いない。

「命のバトン」とは、産み、育てるという行為だけでなく、その根底にある「想い」を繋いでいくことなのだろうか。おばあちゃんは命を懸けて、それを教えてくれたのだろうか。

真偽のほどは分からないけど、きっとそうだと信じて、私も繋いでいきたいと思った。

43才、初めての妊娠(16週/5ヶ月)

妊娠16週(12/11-12/17)のふりかえり。 体重は妊娠前+1.4kg(◎)。体調は10点満点中9点。血圧下げに難航中。

今週から妊娠5ヶ月。いわゆる「安定期」に入ったため、「戌の日参り」に行ってきた。ここまで育ったことを祝いつつ、安産を祈るものらしい。

向かったのは「水天宮」。さすが有名な神社で混み合っていたので、絵馬(1000円)だけ買って人形町散策。最近デートらしいことをしていなかったけど、とっても楽しく過ごせた。

 

そんな祝賀ムードから2日後のこと。

祖母が、96才で亡くなった。

11月に倒れたタイミングと良い、亡くなってしまったタイミングと良い、赤ちゃんとのシンクロが凄すぎた。

私が「へその緒」で栄養を送るように、祖母はこの子に、「神通力」で命を送ってくれたのだろうか。

そんな風にも感じるほどに。

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話は変わって、傾聴の副業で初めて担当した方のプロジェクトが終わった。

隔週で30分×6回傾聴してきたが、毎回話題に上ったのは、「毎日は少しずつの努力である」ということ。

何か大きな問題を抱えたとき、大きなままでは対峙できない。小さめに分解して、毎日少しずつ努力していく。

傾聴が手伝うのは「分解」の部分ぐらいだが、それで成果が出たそうで、聴いている私も嬉しく感じると共に、「毎日少しずつ」という部分は、自分に響くようだった。

 

「幸せに生きる」ことを目標にしたとき、毎日自分にできることは、元気に食べて寝て働いて学び、好きな人と仲良くすること、ぐらい、なのだ。

それ以上望むことはないし、望むべくもない。人生は、一歩一歩でできている。

そんなことをぼんやりと、感じてしまう週だった。

43才、初めての妊娠(15週/4ヶ月)

妊娠15週(12/4-12/10)のふりかえり。 体調は10点満点中10点!

体調が良いせいか、ヨガや勉強など、毎日のルーティーンも安定してできるようになってきた。体重は妊娠前+1.4kg(◎)。

今週のできごとといえば、分娩予定のT病院(多摩地域にある大病院)で初診を受けたこと。

今は文京区在住だが来年には転居するので、遠いけどちょっと見せておかねば…ということで行ってきたのだ。ちなみにNIPT(出生前診断)を受けた病院でもある。

正午前に家を出て、13:30ごろ病院着(遠い…)。早速受付をするも、文京区のK医院から紹介状が来てないとかで、いきなり1時間以上待たされた。大病院って面倒くさ…。この時点で既にげっそり。

紹介状が何とかなって再び受付へ行くと、問診票やら大量の同意書やらを書かされたり、分娩時の注意事項をまとめた映像を見せられたり。ってか、今見せられても忘れる(><)

その後、待つこと2時間。私より後に来た人が次々と呼ばれていく中、さすがに次呼ばれないとおかしいというタイミングでやっと呼ばれて、診察室に入った…。

〜〜〜

結局、全てが終わった頃にはすっかり日が落ちていた。気づけば「はー…」とため息つきまくりの私。やっとの思いで会計窓口へ行くと、診察料、何と1万円弱!!!「高っ!」と声に出してしまった気がする。K医院はいつも2000円台なのだ。

遠い、長い、そして高い、大病院。

 

と、ぶーこら文句しかない私だったが、よくよく考えてみると、「さすが大病院!」と思わされる場面もあった。それは、「妊娠高血圧」について。

妊娠高血圧とは、かつて「妊娠中毒症」と呼ばれたもので、妊婦の中でも高齢になるほどそのリスクが上がるものらしい。

この日の血圧は113/83mmHg。高血圧認定されるのは140/90mmHg以上なので一見問題なさそうに見えるが、ハイリスク妊婦を多く抱えるこの病院では、130/80mmHg以上で注意喚起をするんだとか。

むむむ、この私が血圧を注意される日が来るとは…。ちなみに妊娠してから今までの血圧を見てみると、

・10月:127/75mmHg
・11月:130/83mmHg
・12月:115/83mmHg

と、今回が一番低いじゃないか。K先生(文京区)、スルーしていたのか…。

「自宅でも血圧管理してほしい」とのことなので、早速血圧計を購入(夫が)。それにしてもだけど、高血圧ってどうやって治すんだろう???

〜〜〜

というわけで、久しぶりに疲れる1日だったが、帰りは気晴らしにユザワヤ(吉祥寺)へ寄って、赤ちゃん服の材料を爆買いした(3000円程度)。そして高校時代に使っていたミシンを押し入れの奥から引っ張り出した。

いろいろあるけど楽しく行こう(まだ余裕)。

43才、初めての妊娠(14週/4ヶ月)

妊娠14週(11/27-12/3)のふりかえり。

体調は10点満点中9点。−1は引き続きすぐ眠くなること。体重は妊娠前+1.3kg(◎)。

最近、仰向けで寝ていたら、「ここに赤ちゃんがいる」という場所が分かるようになってきた(起きていると贅肉でよく分からない)。ある日寝ぼけて「胎動」を感じたが、あり得ないぐらい蹴られるので、夢だと気づいて目が覚めた(W杯の見過ぎ?)。

激動の先週が明け、今週はかなり平和だった。

まず最大のニュースは、入籍したこと。本当は一緒に住むタイミングでするつもりだったが、子どもが婚外子に見えてしまうので前倒すことにした。

入籍日は11月30日。ちょうど1年前の11月28日に「桜」を植えたので、それに近い大安にした。

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その日の夜は、近くの和食屋さんへ。鯛や河豚(ふく)などでささやかに祝う。

何というか、私たちの幸せは大体ささやかというか、一緒にいて波乱が起きることなどまずなく、よって刺激も面白みも少ないけれど、とにかく静かで平穏で良い。

半年後には「子育て」という大刺激が来るので、今はこんな感じを楽しみたい。

 

ところで、今回の結婚で大きな障壁となっていた「向こうの毒親」問題は、早ければ年明けにも片付きそうな気配。

向こうの親は赤ちゃんができたことについて激怒とのこと。私の親とは対象的だけど、息子を自分の「ATM」としか考えていないため、これ以上引き出せなくなる!と焦ったのだろう。真面目な性格ゆえ長年縛られてきた彼だったが、本当に目が覚めたらしく、いちいち動じなくなった(成長…)。

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「今週は平和だった」と書いたが、今週唯一ショックだったのは、社会学者の宮台真司先生が何者かに殴られ刺されたというニュース。1週間近く経つのに、まだ捕まらないということも…。

宮台先生といえば、3年ほど前、コロナ禍を機にいろいろ勉強するようになった私が、「一番学べる!」と思った先生の一人だが、学べば学ぶほど逆説的に「この社会の未来は暗い」ということがありありと分かるようになってしまった。

今回赤ちゃんができたとき、「この年齢で産むの!?」と思うのと同時に「こんな時代に産むの!?」とも正直思ったが、この事件を受け、この社会は今もますます進行形で、暗くなっていることを感じてしまった。

とはいえ、幸い一命は取り留めたそうだから、学ぶ機会が奪われたわけではない。先生のますますの活躍に期待しつつ、自分も学び、実践を増やさなければと思った。