映画「21世紀の資本」を見ました。
経済学者トマ・ピケティ氏の、ベストセラーを映画化したものです。
経済学ってある意味、冷徹なまでの人間学というか、取ったメモはA4で5枚。頭が痛くなるほど勉強になりました。
映画は、18世紀以降の世界で、格差がときに広がり、ときに縮まりしてきたことを紹介する一方で、現在の深刻な状況は、放置すれば18世紀のレベルにまで広がってしまうと警鐘を鳴らしています。
18世紀とは、フランス革命の時代です。
ブルボン朝が権勢を極め、貴族たちが夜な夜な踊り、財力と財力とが「結婚」を繰り返していた時代。
ルイ16世の妃マリー・アントワネットは、貧困と食料難に陥った市民を尻目に、「パンがないならケーキを食べれば」と発言したと習いましたが、何とその時代にまで遡るというのです。
キーワードは「R>G」。
「R」は資本収益率を示し、「G」は経済成長率を示しています。
ピケティ氏が過去200年のデータを分析したところ、Rは年4~5%も成長してきたのに対し、Gは年1~2%しか成長してこなかったそうです。
世界には「資本家」と「労働者」しかいないとすると、資本家は働かなくても豊かになれるのに、労働者は働いても少ししか豊かになれません。
豊かさを決めるのは、努力でも能力でもなく「どこの家に産まれたか」ということ。身も蓋もない話です。
では、「資本」とは何でしょう。
18世紀には「土地」、産業革命後(18-19世紀)には「技術」、植民地時代(19-20世紀)には「労働力(奴隷)」と、それを支配する人に、富の集中を許してきました。
資本家に富が集中すれば、大部分の労働者は不況下に置かれます。
不況は民衆の不満を煽り、分断や国粋主義は戦争へと至る………。
皮肉なことに、それは結果として、経済格差を是正してきました。戦争の後には復興が必要。復興に必要な大量の資金は、富裕層からの税金で賄われてきたからです。
タイトルでもある「21世紀の資本」とは、「グローバル市場」のこと。
インターネットの普及で、市場に国境がなくなりました。GAFA(Google/Apple/Facebook/Amazon)を始めとするグローバル企業は、瞬く間に世界を席巻。世界中から利益を集めていますが、納税は免れています。籍をタックスヘイブンに置いているからです。
グローバル企業や資本家にとって、有利すぎるシステム!
このまま格差が広がれば、「エリジウム」という映画に描かれたように、富裕層だけが快適に暮らし、貧乏人は暑苦しくて不快な土地に暮らすよりなくなるかもしれません。
革命や戦争を起こし、是正するしかないのでしょうか。
「そんなことはない」とピケティ氏はいいます。
格差を是正する方法はあります。グローバル企業や富裕層に「課税」すれば良いのです。
第二次大戦後の欧米がそうだったように、適正な課税システムさえあれば、「豊かな中産階級」の社会が作れます。
モデルにすべきこの時代、公平になったのは経済だけではありませんでした。女性や有色人種といった「弱者」の権利が認められるなど、人類は史上最高に豊かでした。今更、共産主義の幻を見る必要はありません。
ただ重要なのは、それを「システムにする」ということ。
ピケティ氏はこう断言しています。
富裕層の中に「分け与えよう」なんて心のある人はいない。決して性格が悪いのではなく、良家に産まれてさえしまえば、その運を人は能力と勘違いするもの。
それが人間。「人格」に期待するほうが間違い。
だから正しいシステムを作るのです。政治の力で。
ピケティ氏のこの提案、昨日引用した「ロスジェネのすべて」と重なりすぎて驚きましたが、フランス革命の時代に、モンテスキューやルソーといった「啓蒙思想家」が影響を与えたように、厳しい社会をどうにかしたければ、とにかく市民が賢くなって、政治を動かすしかないのでしょう。
今の日本を考えてみると、消費増税の代わりに法人減税。黒川さんの退職金は払われるみたいだし、富裕層への課税なんて「夢のまた夢」という感じ。
市民にとっては、希望より不安の多い社会の中で、
不況は民衆の不満を煽り、分断や国粋主義は戦争へと至る………。
と書いたように、心の荒んだ人たちが、ネトウヨやレイシスト、ミソジニーへと化けていくのが目立ちます。自粛警察もその類でしょう。
ですが、人を傷つけたところで、社会が良くなるわけではありません。
どうしてそんなに荒んでいるのか、本当の原因は何なのか。それを是正する方法はあるのか。それを見つけるために、頭を鍛えたほうが良い。
もはや「右」も「左」もない。あるのは「まとも」かどうかだけ。
資本主義は冷たいけれど、目を向ける方向は、間違わないようにしたいものです。