コロナ後を考えるⅡ|アベノマスク

2020年5月23日、「アベノマスク」が届きました。

緊急事態宣言も、週明けには解除かというタイミングでです。

「要らない」「遅い」「汚れている」と非難しか浴びなかったアベノマスク。私はこのアベノマスクを、記憶と共に保管しておきます。

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まず、アベノマスクが発表されたのは、2020年4月1日のことでした(遠い目)。

あまりに奇想天外でしたが、エイプリルフールではありませんでした。

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安倍晋三首相が全世帯に布マスク2枚を配布すると表明したことについて、与野党からは2日、疑問の声が相次いだ。発表が1日だったことから、「エイプリルフールの冗談かと思った」などの声も上がった。

次いでその経費が、466億円に上ることが発覚。

「その予算をPCR検査に回せ!」など、日本中がツッコミの嵐と化しました。

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安倍晋三首相が表明した全世帯への布マスク配布の関連経費が466億円に上ることが9日、明らかになった。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ目的だが、多額の国費が投じられることになり、野党などから批判が出ることは必至だ。

4月中旬~GW前には、不良品が明らかに。

回収や検品に追加予算がかかることから、「要らない」という声に拍車がかかりました。

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厚生労働省は19日までに、新型コロナウイルス対策で政府が配布した妊婦用の布マスクについて不良品が見つかったと発表した。汚れの付着などの報告が約1900件寄せられたといい、同省は新品と交換する。健康被害は報告されていない。

「そして」というか「やはり」というか、火のあるところに煙は立ちます。

アベノマスクの製造元を巡り、福島市にある「ユースビオ」という、見るからにマスク作ってなさそうな会社への発注が明らかになりました。

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菅義偉官房長官は27日の記者会見で、新型コロナウイルス対策として配布した妊婦用布マスクに不良品が見つかった問題をめぐり、新たに福島市のユースビオも受注していたことを明らかにした。(中略)政府が既に公表した興和伊藤忠商事、マツオカコーポレーションと合わせ、受注業者は計4社となる。

 

「まさか」というか「やはり」というか、私はこの辺りから、政府に対し「期待」はもちろん「怒り」すら感じなくなっていきました。

と同時にそれは「賢い市民」を目指す、きっかけともなりました。

「黙ってたら殺される」という危機感のようなものから、4月中旬~5月中旬にかけて、そりゃもう、いろいろ勉強したのです。

日本の戦後史、米軍との関係、官僚機構とその弊害、支配層が取りたがる行動、権力とメディアとの関係、自粛警察に現れる日本人の国民性、それを育てたグローバル経済などなど、問題は本当に複雑でした。

そしてそれを解決するには、「賢い市民」が増えなければならない。

………ということを、今はひしひし感じています。

 

私は今後この発信を「賢い市民を目指す」「その仲間を増やす」ために続けようとしています。

そして、それを宣言するに丁度いいタイミングで、アベノマスクが届きました。「コロナ後」が始まる、今がそのタイミングなのです。

そういう意味では感謝しましょう。

ありがとう、アベノマスク!

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最後に、GW前に読んだ本「コロナの時代の僕ら」から、改めて引用しておきます。

 

(復興が始まったら)支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう、自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩はにわかに団結し、チームワークに目覚めるものだ。

一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。

当たり前を守る責任Ⅱ|共犯者たち

昨日「Choose Life Project」を紹介しましたが、メディアの責任、市民の責任という流れで、映画も1本紹介します。

2017年に公開された韓国のドキュメンタリー映画「共犯者たち」です。

やや難易度は高いですが、政権と報道の関係、そして市民生活との関係について、とても考えさせられる1本でした。

Youtubeで見られます。


映画『共犯者たち』予告編

映画は、元KBS社長の述懐から始まります。

「2003年、廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が就任したとき、大統領から電話がかかってきた。『私は二度と、検察とKBSには電話をしない』と。」

KBSとは、日本でいうNHKのような報道局。権力者である大統領の側から、その中立性維持のため「距離を置く」宣言がなされたということです。

 

ところが2008年、後任の李明博(イ・ミョンバク)大統領が就任するや、その状況は一変します。

前政権下では、自由に優れた報道のできていた報道局に、政権の意向が介入することになったのです。

政権に批判的な放送をすれば、トップが辞めさせられる。それに抵抗すれば、局を警察が包囲する。代わりに来るのは政権の回し者。政権による報道局の「占領」が始まったのです。

もちろん現場の職員も、黙っていたわけではありません。

2009年、人気の高かった前大統領が自殺。それを機に労組を中心としたストライキが始まり、国民の耳目を集めることになります。

しかし、政権による介入は、あくまで執拗。

2013年、朴槿恵(パク・クネ)大統領が就任してからは、大統領を賞賛しまくる番組を作らされたり、「(政府に有利になるような)偏向報道をしろ」という指示が直接出されるようになったり。

そうこうしていた2014年、セウォル号の沈没事故が起こります。

報道局は「全員救助」などと痛恨の誤報。実際は6割が死亡したというのに、政権に飼いならされていたため、まともな報道すらできなくなっていたのです。

その後、崔順実(チェ・スンシル)事件なども通して、国民の怒りが爆発。朴槿恵大統領は退陣を要求されることになりました。

 

報道が政権の介入を許した、韓国社会9年の経験。今の日本社会にとって、他人事といえるでしょうか。

今週にも強行採決かといわれた「検察庁法改正案」。

先週末のTwitterデモを受けるように、元検事総長たちが意見書を提出。全国の弁護士会や検察OBもこれに続き、大きな「うねり」となりました。

www3.nhk.or.jp

検察官の定年延長を可能にする検察庁法の改正案について、ロッキード事件の捜査を担当した松尾邦弘検事総長ら、検察OBの有志14人が「検察の人事に政治権力が介入することを正当化するものだ」として、反対する意見書を15日、法務省に提出しました。検察トップの検事総長経験者が、法務省が提出する法案を公の場で批判するのは極めて異例です。

こうした動きに内閣支持率の急降下も加わり、「今国会成立を断念」との報道が出てましたが、

www.asahi.com

検察庁法改正案について、安倍晋三首相は18日、今国会での成立を断念した。同日午後、自民党二階俊博幹事長らと首相官邸で会談し、改正案をめぐり「国民の理解なくして前に進むことはできない」との認識で一致した。一般の国家公務員の定年年齢を段階的に引き上げるなど抱き合わせにしたすべての改正案を、次の国会以降に先送りする。

もし市民が黙っていたら、とっくに通っていたでしょう。

「政治を政治屋に」「報道を報道屋に」任せっきりにしていたら。

 

ところで、このドキュメンタリー映画を作ったのは、ときの政権によって不当解雇されたジャーナリストたちです。

この9年間で解雇、解任などの不当処分は300人以上に下りました。結局のところ、政権との直接対決には敗れてしまったのです。

しかし彼らはその後、政権と無縁のネット番組「ニュース打破」を立ち上げ、市民との連帯に成功します。そしてこの映画を製作。真相を白日の下に晒しました。

 

映画で印象的だったのは、介入に抗議する職員が、経営者に放った台詞です。

(あなたたちの不正は)歴史に残るでしょう。

政治的保護を受けるのかもしれませんが、この歴史を恐れてください。

いや、本当に。不正はいつか明らかになるはず。

当たり前を守る責任Ⅰ|Choose Life Project

10日ぶりのブログとなりました。

母からは「死んでない?」と連絡あり。母はこのブログで、娘の生存を確認しているのです。

今週は会社が忙しかった+例の検察庁法改正案です。Twitter民である私は、先週末のデモに参加。その流れで平日も、国会中継を見守っていました。

 

世論が急速に盛り上がる中で、「は?」という方は一度、これを見てみるのがオススメ。

www.youtube.com

この法案が通ったところで、急に市民の暮らしが脅かされはしないだろうけど、この法案が通ってしまうと、戦後の日本を支えてきた重大な「前提」が狂ってしまう。その先に待つものは………。

という、TVや新聞が丁寧には伝えない部分や、政治家たちの本音、中でもこれを阻止したいけど「数」では劣る野党議員たちの、真剣な議論を聞くことができます。

 

「Choose Life Project」とは、

Choose Life Projectは、テレビの報道番組や映画、ドキュメンタリーを制作している有志で始めた映像プロジェクトです。

とあるように、メディア界の有志たちが作っている番組です。

その制作過程を眺めていると(Twitterで分かる)、放映するテーマ決めをした当日または翌日に出演オファー&撮影&放映をしているという突貫工事ぶりで、現在7日連続放映中。「今日にも強行採決か!」と毎日いわれている法案だから、休み返上で頑張っているのでしょう。

その姿勢からは「この法案を通したら日本は終わる」という焦燥感、そしてメディア人としての責任感が垣間見え、一度見てしまったら最後、市民として黙ってはいられなくなるはずです。

 

さて、検察庁法改正案といえば、有名人による「政治的発言」も話題になりました。

キョンキョンはTBSの番組「報道特集」に対し、次のようなコメントを出したそうです。

政治についてツイートしたのは、選挙には行くけれど政治には無関心な私たちが作ってしまった現実を突きつけられたような気がしたからです。ずっと違和感や不信感を抱いていたけれどその問題を後回しにしていた。そういう大人がきっとたくさんいて、ハッシュタグのツイートに繋がり若い人にも広かったと思っています。そしてそれぞれの心の中で自分たちはこの国で生きているのだということを改めて考えるきっかけにはなったのではないかと思います。

検察庁法改正案「だけに」反対というより、無関心であった自分を懺悔するようなコメントです。

きっとこういうことでしょう。

この問題をきっかけに少し深堀りしてみたら、政権の周辺でありとあらゆる腐敗が起きていた。そしてその責任は、放置した自分にもあると感じている。

 

ちなみに、無名人である私が「政治的発言」を始めたのは、今年3月のことです。

個人的なきっかけは、日本のコロナ対応がぐだぐだな中で、①韓国の対応が光っていたこと、そして②森友問題のスクープがあったこと。

私は15年ぐらい前、韓国に住んでいたことがあるので、この間に韓国が驚くべき「成長」を遂げたのと対照的に、日本が「劣化」して見えたのです。

その日からはいろいろ勉強。そして分かりました。

自分のことが忙しい忙しいって、政治に関心を払わないでいた間に、政権による社会の私物化が完成しつつあったらしいと。

 

再び、「Choose Life Project」の説明文に戻ると、

「誰が、こんな世の中にしてしまったの?」と嘆く前に、まず“私”がその責任を取る。映像を通じて、この国の未来を考えます。

と書かれています。

過去が今を作ったように、今が未来を作っている。

放置しても責任、放置しなくても責任なのです。

そもそもTVや新聞とは、政権に不利な情報は流したがらないもの。だけどそれじゃいけない!と、立ち上がってくれた有志たち。

検察庁法案を見守る意味でも、未来への責任を取る意味でも、私はこの取り組みを全面的に応援します。

為政者は選ぼうⅠ|世界でいちばん貧しい大統領

コロナウイルスの影響で、都内の映画館は軒並み閉館の昨今。

旧作ならネットで見られるけど、見たい新作があるんだよ、見たい新作がぁー。と嘆いていたら、オンラインで見せてくれるところが増えてきたではないか。

 

中でも嬉しかったのが、こちらの1本。ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏のドキュメンタリー。


3/27公開「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」予告編

実は私も、配給会社のTwitterにリクエストしたのだ。そして見ちゃいました。公開当日に。

 

ムヒカ大統領といえば、2012年のリオ地球サミットで、「地球の未来と人類の幸福」についてスピーチしたことで有名な人物。


世界でいちばん貧しいムヒカ大統領によるリオ会議(Rio+20)スピーチ

私も感動しすぎて、絵本2冊も買ったけど、

この映画は2020年の今、コロナ禍の今、日本の為政者たちが好き放題している今、間違いなく見たほうが良い映画だと思う。

 

映画の主題は、ムヒカ大統領の「原点」である。

ぬいぐるみみたいに真ん丸な体で、今でこそ「ペペ」と呼ばれ、世界中で親しまれるムヒカ大統領だが、実は、

極貧家庭に育ち、(軍事政権下で)左翼ゲリラとして権力と戦い、愛するパートナーと離ればなれの苛烈な拘留生活を経て、 

政治家になったことが、本人の口から語られている。 

今の彼を作ったのは監獄での暮らし。その期間は13年にも及んだそうで、「喉が渇いたら(水がないから)尿をろ過して…」というエピソードからも、その壮絶さが窺える。

 

映画の中では、古びたトラクターを転がしながら農耕に励む質素な暮らしや、収入の大半を寄付して進める福祉活動について、また政治家として残した数々の名スピーチも見ることができるが、

最も心を打たれたのは、この言葉。

国民に選ばれた者は、国民と同じ暮らしをするべきだ。

優雅な暮らしをする某国の為政者に聞かせてやりたいぐらいだが、綺麗ごとでなく貫き通せるのは、本人曰く、

(ゲリラとして投獄された)独房時代の経験があったから。

孤独に耐えたその心で、

(闘争中に)片脚を13ヵ所、腹を12ヵ所撃たれた

その体で、「自由を獲得する痛み」を誰より感じてきたのだろう。

自ら苦しんだ人だから、苦しんでいる人の声に耳を傾けることができるのだ。

全編を流れるBGMは「タンゴ」。そのリズミカルなのに物悲しいメロディは、ムヒカ大統領の波乱万丈な人生と、どこか重なって聞こえた。

ちなみに私は、「豚よりよく食べる」愛犬のために、「大統領はもっと立派な仕事をするべき」とぼやきながらも、餌を料理してあげるシーンが好き。

 

最後に、日本のことを少々。

コロナ対策について、日本の為政者が世界最下位に輝いたらしい。 

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23カ国・地域の人々を対象にそれぞれの指導者の新型コロナウイルス対応の評価を尋ねた国際比較調査で、日本が最下位となった。日本の感染者数、死者数は世界との比較では決して多いわけではないが、安倍晋三首相らの指導力に対する日本国民の厳しい評価が浮き彫りになった。

その為政者はというと、

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検察官の定年を65歳に引き上げ、内閣の判断で検察幹部の「役職定年」を延長できるようにする検察庁法改正案の委員会審議が8日、与党が強行する形で始まった。

(中略)8日の衆院内閣委に出席したのは自民、公明、日本維新の会の議員のみだった。検察庁法改正案への質問はなかった。与党は、来週中の委員会採決をめざす。

(中略)安倍内閣は1月末に政権に近いとされる黒川氏の定年延長を閣議決定。検察トップの検事総長に就ける道を開くことになったため、「検察の私物化」との批判の声が上がった。

国民のことは考えないのに、自分のことだけはしっかり考えているようだ。

同じ「為政者」として、天と地ほどの差を感じる。今も任せられない為政者に、未来はもちろん任せられない。

為政者は、選ぼう。

「きっと、うまくいく」が癖になる

STAY HOMEなGW最終日(5/6)。

朝から見た映画が、とーっても良かったのでシェアします。

痛快&ハートウォーミングで、1度見たら癖になりますよ。


予告編 きっと、うまくいく

舞台は、インド屈指の難関工科大学ICE。

日本と同じく競争社会のインドでは、エンジニア=稼げる職業。

カメラマンという夢がありながら、父に入学させられたファルハーン(右)と、貧困家庭の期待を一身に背負い入学してきたラージュー(左)、そして主人公のランチョー(中)は、学生寮で同部屋になります。

ランチョーは賢いけれど、かなり生意気な学生で、

「大学は学問ではなく"点の取り方"を教えている」と批判したり、金や出世のために媚びへつらう人々をコケにしたりするため(←方法がまた酷い)、学長やその金魚のフンたちに睨まれてしまいます。

一方、貧しいながらも努力する子供や、自由を奪われ傷ついた先輩、そして仲間たちの問題は、"工科大生らしい"知恵と工夫で、次々と解決していきます。

その痛快さと、描かれる人間像だけでも十分面白いのですが、この後、想像を超えるどんでん返しが3回ぐらいあり、インド映画特有の"歌とダンス"含め3時間近くあるのに、決して飽きることなく最後まで見られます。

 

注目して欲しいのは、ランチョーの行動の根底にあるもの。

それは「学問がしたい」という純粋な想いであり、それができることに対する感謝でもあります。

彼のモノサシで見れば、競争社会だからといって、貧富の差や思想の違いで、それを妨げられる人がいてはいけないのです。

みんなが"なりたい自分"になる。その方法を考える。 

上映後は、劇中に出てくる「All is well」(きっと、うまくいく)を、ついつい口にしたくなるはず。

Amazon Primeで見られるので、是非見てみてください。

頑張りたいけど頑張れないに効く本|あやうく一生懸命生きるところだった

STAY HOMEなGWも、残り3日(5/4)。

今日は「政府パトロール」(=ニュースを見ながらその体たらくぶりを見張ること)を休んで、好きなことだけに取り組んだ。

トロールする→危機感高まる→勉強する→社会の仕組みが分かる→自分の行動指針が決まる

という一定の効果は見られたものの、感情的には「くさくさ」してしまったのだ。

GWも残り3日なので、自分のことを満たしたく、そういうわけで今日は、こんな本を読んでみた。

冒頭の一部分を紹介しよう。

あと10分我慢して登れば山頂だと言われて

ひぃひぃ登ったのに

10分たっても頂上は現れなかった。

もう少しだよ、本当にここからあと10分だから……。

その言葉にダマされながら

40年も山を登り続けてきた。

ここまで登ってきたついでに

もう少し登ってみることもできる。

必死に登り続ければ

何か見えてくるかもしれない。

でも、もう疲れた。

気力も体力も底をついた。

チクショウ、もう限界だ。

今よりまだ打ちひしがれていた2ヶ月ぐらい前、丸の内の丸善で、心を打ち抜かれた一説だ。

著者であるハ・ワン氏は、

イラストレーター、作家。1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。こうしてフリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。

ちなみにこのブログの著者(私)は、

八重洲で働く派遣社員。40歳を迎えた2019年、クラフトビールを立ち上げるために地方移住するも、1年で挫折して帰京。都会に疲れたから田舎に憧れたのに、田舎に行ったらもっと疲れてしまったという結果から、「自分は、自分の"働き方"に疲れていたのだ」と悟る。現在は志高く頑張ることを休んで、日々、読書と映画のモラトリアム期間中。

著者との共通点は「40歳という節目に、頑張るのを止めた」ことだが、私は油断すれば頑張ろうとしてしまう性格である。

頑張りたい→頑張りすぎる→気づけば「くさくさ」しているため、こういう本が必要になるのだ。

 

書かれているのは数々の挫折と、立ち止まっては聞こえてくる心の声。

共感する点は多すぎて挙げきれないけど、

  • 現代社会は「頑張る」ことを賞賛しすぎている
  • 自分の幸福度を測るのは、周囲ではなく自分の目だ
  • 人生の目的は、結果ではなく過程である

辺りが、今日の自分には響いた。

「頑張らない人」の言葉だから良いのだろう。読み進める間にどんどん癒されるのが分かる。

これでいいのだ。byバカボンのパパ

 

さて、上にも書いた通り、私は現在「モラトリアム期間中」。

「頑張る」ことを休んでいるのは、頑張りたがるエネルギーを正しいことに注ぎたいから。 

というのも、今、コロナが到来して、社会を作り直す機会も到来している中で、どこへ向かうか、何を目指すか、という問いの答えは、「今までとは違う」ような気がしている。

例えば今までの社会は、経済や発展のために「人間」を犠牲にしてきたような気がするし、経済や開発のために「自然」を犠牲にしてきたような気がする。

真偽は分からなくても、「ような気がする」レベルでも、「和解」する方法を考える意味はあるような気がする。

そしてその方法は、「今までとは違う」ような気がする。

 

自分はそれを頑張りたいけど、頑張り方が分からない。←イマココ

「頑張りたい→頑張り方が分からない→くさくさ」というループの中で、この本に出会ったのだ。

「ま、そんなに焦りなさんな」って囁いてくれるような、まずは自分に優しくしよう」「それから次の頑張りに向かおう」って、歩みを強制的に遅らせてくれるような本だった。

読後感は、肩の荷がするすると下りて、体までがぽかぽかと温かくなるような感じ。

うーん。

思考がまだ足りないけど、「今までとは違う」って、こういう感じなのかな。

ガンガンいこうぜ」じゃなくて、「いのちだいじに」みたいな。

 

お題「#おうち時間

不要不急を考える|365日のシンプルライフ

「不要不急」な外出をしなくなって、4月の「出費」が劇的に減った(前月比)。

食費 ¥42618→21763(-20855)

交際費 ¥14864→5088(-9776)

交通費 ¥9520→1000(-8520)

衣服・美容 ¥25521→18630(-6891)

趣味・娯楽 ¥6410→2209(-4201)

3食自炊で外食しない。着替えないから服を買わない。出かけないから交通費も激減。などなど。

一方、増えた出費はというと、

教養・教育 ¥1950→7541(+5591)

日用品 ¥1595→2579(+984)

図書館が閉まったせいで書籍代が増えたけど、交通費のマイナスで十分カバーできている。もっと買えるのか…!

 

世の中的には「倒産」が相次いでいる。

www.tsr-net.co.jp

「宿泊業が突出」「次いで飲食業」ということだが、それは財布を見ていても分かる。

インバウンド頼みもあったにせよ、今、潰れかかってる業界は「不要不急」だったのか。

 

何が不要で、何が不急か。

ステイホームが推奨される中で、「断捨離」する人も増えているらしい。

不要なら買うな、という気もするが、それでも買ってしまうのだ。「捨てる」「残す」の作業を通して初めて、自分の「不要不急」が分かった、という人も多いだろう。


映画『365日のシンプルライフ』予告編

 

最近では、「withコロナ」という言葉を聞くようになった。

長い戦いをどう暮らすか、考え方の変革を求められているのだ。

「外出できない」という中で、選択肢が絞られる中で、自分にとって、大切なものは何か。

私の場合は、本と映画の時間が増えた。

一方、失って良かったものの1つは、「GWは旅行に行くもの」というような、常識。同調圧力のようなもの。私には「皆が行けば行きたくなる」習性があるけど、本来なら行きたいときに行けば良いのだ。

 

選択肢が「最適化」されただけだと、考えられなくもない。

自分にとっての「要」「急」は何か、なくなって困るものは何か。浮いた予算で、買い支えたい業界はどこか。などなど。 

憂うだけでなく、考える。

そういう機会と考えれられれば。 

改憲について考えてみた|帰ってきたヒトラー

STAY HOMEなGW5日目(5/3)。

今日も私は、運動して、映画見て、本を読んでのルーティンです。

 

ニュースを見れば、「緊急事態宣言」の延長が濃厚。

「より強力な権限」を欲しがる首相もいるようですが、

headlines.yahoo.co.jp

そもそもの原因は「検査しない、隔離しない、経済的な補償もしない」政府の対応。それもできなかったくせに、権限だけ欲しがるなんて。

世論調査も伝えています。このタイミングでの改憲議論は「不要不急」だと。

www.asahi.com

 

コロナ禍の渦中で、現政権の是非を考える人は少なくないでしょうが、そんな人に見て欲しい1本の映画を紹介します。


映画『帰ってきたヒトラー』予告編

2015年公開のドイツ映画。

あの、アドルフ・ヒトラーが、1945年から現代にタイムスリップするというコメディです。

まず面白いのが、「街を歩いても人が敬礼しない」と嘆いたり、「軍服が臭い」と云われてクリーニング屋に行ったりする、現代に慣れるまでの描写。ヒトラーである前に「昔の人」なので、インターネットも初めてです。

しかし、さすがは稀代の指導者。ひょんなことから「モノマネ芸人」デビューして以後は、現代のドイツが抱える問題を次々と「演説」して、人気を博していきます。

初めこそ面白がっていたドイツ国民でしたが、その圧倒的な指導力に、少しずつ不安と反発が広がっていき………。

 

あのヒトラーを、あのナチスを、ここまで茶化してしまうとは。

日本では「桜を見る会」を茶化した番組が、再放送直前に差し替えになりましたが、茶化すかどうかは表現の自由。見るかどうかは見る側が決める。ということをまず、考えさせられます。

www.tokyo-np.co.jp

そして映画はクライマックスへ。

ひょんなことから国民の敵となり、「怪物」とまで呼ばれるようになったヒトラーは、ドキリとすることを口にします。

私が怪物なら、選んだ者を責めるんだな。

選んだ者たちは、普通の人間だ。優れた人物を選んで、国の命運を託した。

なぜ人々が私に従うのか、考えたことはあるか?

彼らの本質は私と同じだ。価値観も同じ。私は人々の一部なのだ。

指導者の質は、国民の質、というわけです。

即ち、指導者の失敗は、国民の失敗。ヒトラーを嫌悪するなら、自ら優れた社会を作れ、というメッセージでしょう。

 

今の日本にも、当てはまるのではないでしょうか。

コロナ対応の失敗は、政府に託した国民の失敗。であれば、再び考え直すしかない。 

 

さて、今日は憲法記念日です。

冒頭にも書いたように、日本の安倍首相は改憲をしたがっていて、それを東京新聞ではこのように解説しています。 

www.tokyo-np.co.jp

 緊急事態条項とは何でしょう。一般的には戦争や大災害などの非常時に内閣に権限を集中する手段とされます。暫定的に議会の承認が省かれたり、国民の権利も大幅に制限されると予想されます。

「不安をあおって妙な改憲をしようとするのは、暴政国家がよくやることです」

確かに「非常時」に乗じるのが暴政国家です。ナチス・ドイツの歴史もそうです。緊急事態の大統領令を乱発し、悪名高い全権委任法を手に入れ、ヒトラーは独裁を完成させたのですから…。

つまりコロナ禍を利用した改憲論はナンセンスと考えます。不安な国民心理に付け込み、改憲まで持っていこうとするのは不見識です。 

コロナ禍という「国難」に際しては、民心はパニック状態に陥りがちになり、つい強い権力に頼りたがります。そんな人間心理に呼応するのが、緊急事態条項です。

しかし、それは国会を飛ばして内閣限りで事実上の“立法”ができる、あまりに危険な権限です。

私も、考えるだけ考えてみました。

この改憲は本当に必要か。そしてこの政権に「今後」も託して良いものか。

働くべき人が働くということ|1987、ある闘いの真実

STAY HOMEなGW3日目(5/1)。

昼夜(ちゅうや)は順調に逆転して、今夜だけで実に4本もの映画を見てしまいました。

最後の1本が終わったのは、午前3時頃だったでしょうか。寝ようとしたら救急車のサイレンが聞こえ、更に4時半にも同じ音が聞こえました。 

こんな夜中だというのに、働いている人がいるのです。

 

5月6日までとされていた「緊急事態宣言」は延長へ。

政府が一貫して「検査しない、隔離しない、経済的な補償もしない」のだから当たり前でしょうが、一方、自治体レベルでは、立ち上がる首長さんも増えているようです。 

hbol.jp

有名なのは、兵庫県明石市

1.個人商店に、すぐに100万円
2.ひとり親家庭に、さらに5万円
3.生活にお困りの方に、さらに10万円

など、「国でしないなら市でしよう」とばかりに、痒いところに手の届く施策が次々と発表されています。

「○○市 コロナ対策」で検索すれば出てくるので、自分の自治体を調べてみるのも良いかもです。

 

さて、この流れで紹介するべきか少々迷いますが、本日も1本の映画を紹介します。

内容が重いゆえ、自分なんぞが扱うのは憚られる、という意味ですが、しかし私はこの作品を見て「働くべき立場にある人がちゃんと働かなければならない。国難とは、それほど克服し難いものだ」という感想を、強く抱いたのでした。 


映画『1987、ある闘いの真実』予告編

舞台は1987年のソウル。

独裁政権下にあった韓国では、全国で大学生を中心とする民主化運動(デモ)が起きていました。1987年のそれは、翌年にソウル五輪を控える中で、正に最後の民主化運動となったものです。

冒頭に描かれるのは、ある大学生の拷問死。しかしそれを実行した警察そして政府は、この事実を隠蔽します。

それに対するは、権力に怯むことなく隠蔽を固辞する検事と、身を挺して政治犯を助ける刑務所の職員。また取材に苦戦していた新聞記者も、真相を世に伝え、民衆の扇動を担います。

そして同年6月、韓国は晴れて民主国家となったのです。

 

一人ひとりの職業倫理が、汚れた世界を正していく。

………というテーマの作品ではないのですが(恐らく)、2020年の日本を生きる私には、そのようにしか見えませんでした。

今、日本の検察はどうか。刑務所…はよく分からないけど、新聞記者はどうか。

一部の首長と医療関係者、スーパーと宅配だけが、頑張っていれば良いのでしょうか。果たして政府は、専門家会議は。

 

かくいう私は、一介の派遣社員に過ぎません。今は家で映画見るぐらいしか能がないけど、近い将来もう少し、社会の役に立てる人になりたいものです。

 

お題「#おうち時間

コロナ後を考えるⅠ|コロナの時代の僕ら

馴染みの居酒屋が閉店するので、最後に遊びに行ってきた。

店内は、常連さんがちらほら。雰囲気が寂しかったのは、壁中に貼られていた「お品書き」が剝がされてしまったせいだろうか。

賑わいに満ちていた空間が、なくなる。

こういうことは今後、日本中で起きるのだろう。

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「居酒屋が閉店」といえば、北九州の繁華街で、ねずみが大量発生しているらしい。

www3.nhk.or.jp

ねずみが増えているわけではなく、飲食店の休業で餌が少なくなったことから人前に現れ、活発に活動している

のだそうだ。

 

「食べるのに困っている。」

それは「ねずみ」だけではないようで、

神奈川では強盗が増え、仙台ではホームレスが増えた。ナイナイの岡村によれば、風俗嬢も増えるらしい。

【新型コロナ】外出自粛で目届かず…強盗事件急増 神奈川、前年同期比2.6倍 | 神奈川新聞社

仙台でホームレス増加 若年層の相談が相次ぐ | 河北新報オンラインニュース

岡村隆史さん「コロナ明けたら可愛い人が風俗嬢やります」発言に批判 - 毎日新聞

 

普通に働いて、普通に食べられない人が増えている。

一部の自治体や民間で、独自のサポートを始めるところも増えてきたが、このトンネルの出口が、見えている人はまずいないだろう。

 

「コロナの時代の僕ら」という本が、ベストセラーになっている。 

 

世界一のホットスポットになったイタリアで、3月上旬に書かれたエッセイ集だ。

帯にはこうある。

何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか。 

「コロナ後」を考えているのだ。

著者は「素粒子物理学」を専攻した小説家、パオロ・ジョルダーノ氏。つまり、理系の頭脳と文系の感性で書かれた本なのだが、その中でジョルダーノ氏は、「ウイルスから見た人類」を、このように表現している。 

(ウイルスにとっては)僕らの年齢も、性別も、国籍も、好みも無意味だ。ウイルスの前では人類全体がたった3つのグループに分類される。まずは感受性人口、つまりウイルスがまだこれから感染させることのできる人々。次が感染人口、ウイルスにすでに感染した感染者たち。そして最後に隔離人口、ウイルスにはもう感染させることのできない人々だ。 

日本では、「暑くなればウイルスは消える」ぐらいの噂もあったが、そんな迷信めいたことは一切ない。

収束させる唯一の方法は、ウイルスが「感受性人口」と接するチャンスを完全に奪ってしまうこと。感染した人と感染していない人を隔離すること。そのために検査と外出禁止が要るのだ。

 

ロイター通信によれば、韓国では「生活の正常化に向けた2年間のガイドライン」が発表されたらしい。

jp.reuters.com

その内容は、マスクや消毒、ソーシャルディスタンス、テレワークの推奨など、日本で今行われている規制と近いものがあるが、驚くのはその期間である、に、2年って!!!

長い「付き合い」になることは、ジョルダーノ氏も書いている。もし油断してしまえば、ウイルスが新たな「感受性人口」を見つけてしまえば、それまでの努力は水の泡になるのだ。

その上で、本書はこのように提案している。

苦痛な休憩時間としか思えないこんな日々も含めて、僕らは人生のすべての日々を価値あるものにする数え方を学ぶべきなのではないだろうか。

(中略)

COVID-19の流行はあくまでも特殊な事故だ、ただの不運な出来事か災難だと言うことも僕たちにはできるし、何もかもあいつらのせいだと叫ぶこともできる。それは自由だ。

でも、今度の流行に意義を与えるべく、努力してみることだってできる。この時間を有効活用して、いつもは日常に邪魔されてなかなか考えられない、次のような問いかけを自分にしてみてはどうだろうか。

僕らはどうしてこんな状況におちいってしまったのか。このあとどんな風にやり直したいのか。

帯に書かれている、

何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか。 

と、繋がる部分である。

 

日本では今後、普通に働いて、普通に食べられない人が増えていく。

未来は暗い。

だけど、だからこそ、考えようということ。目の前で起きることに一喜一憂するのではなく、その結果から原因を考え、悪いことならばそれを断絶、良いことならばそれを継続しようということ。

何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか。 

実は、あのときも考えたのだ。東北で震災が起きたときも。だけど、忘れてしまっていた。今は、その反省を生かすときだ。

ジョルダーノ氏はこう結んでいる。

(復興が始まったら)支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう、自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩はにわかに団結し、チームワークに目覚めるものだ。

一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。

家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう。でも、今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために。