昨日「Choose Life Project」を紹介しましたが、メディアの責任、市民の責任という流れで、映画も1本紹介します。
2017年に公開された韓国のドキュメンタリー映画「共犯者たち」です。
やや難易度は高いですが、政権と報道の関係、そして市民生活との関係について、とても考えさせられる1本でした。
※Youtubeで見られます。
映画は、元KBS社長の述懐から始まります。
「2003年、廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が就任したとき、大統領から電話がかかってきた。『私は二度と、検察とKBSには電話をしない』と。」
KBSとは、日本でいうNHKのような報道局。権力者である大統領の側から、その中立性維持のため「距離を置く」宣言がなされたということです。
ところが2008年、後任の李明博(イ・ミョンバク)大統領が就任するや、その状況は一変します。
前政権下では、自由に優れた報道のできていた報道局に、政権の意向が介入することになったのです。
政権に批判的な放送をすれば、トップが辞めさせられる。それに抵抗すれば、局を警察が包囲する。代わりに来るのは政権の回し者。政権による報道局の「占領」が始まったのです。
もちろん現場の職員も、黙っていたわけではありません。
2009年、人気の高かった前大統領が自殺。それを機に労組を中心としたストライキが始まり、国民の耳目を集めることになります。
しかし、政権による介入は、あくまで執拗。
2013年、朴槿恵(パク・クネ)大統領が就任してからは、大統領を賞賛しまくる番組を作らされたり、「(政府に有利になるような)偏向報道をしろ」という指示が直接出されるようになったり。
そうこうしていた2014年、セウォル号の沈没事故が起こります。
報道局は「全員救助」などと痛恨の誤報。実際は6割が死亡したというのに、政権に飼いならされていたため、まともな報道すらできなくなっていたのです。
その後、崔順実(チェ・スンシル)事件なども通して、国民の怒りが爆発。朴槿恵大統領は退陣を要求されることになりました。
報道が政権の介入を許した、韓国社会9年の経験。今の日本社会にとって、他人事といえるでしょうか。
先週末のTwitterデモを受けるように、元検事総長たちが意見書を提出。全国の弁護士会や検察OBもこれに続き、大きな「うねり」となりました。
検察官の定年延長を可能にする検察庁法の改正案について、ロッキード事件の捜査を担当した松尾邦弘元検事総長ら、検察OBの有志14人が「検察の人事に政治権力が介入することを正当化するものだ」として、反対する意見書を15日、法務省に提出しました。検察トップの検事総長経験者が、法務省が提出する法案を公の場で批判するのは極めて異例です。
こうした動きに内閣支持率の急降下も加わり、「今国会成立を断念」との報道が出てましたが、
検察庁法改正案について、安倍晋三首相は18日、今国会での成立を断念した。同日午後、自民党の二階俊博幹事長らと首相官邸で会談し、改正案をめぐり「国民の理解なくして前に進むことはできない」との認識で一致した。一般の国家公務員の定年年齢を段階的に引き上げるなど抱き合わせにしたすべての改正案を、次の国会以降に先送りする。
もし市民が黙っていたら、とっくに通っていたでしょう。
「政治を政治屋に」「報道を報道屋に」任せっきりにしていたら。
ところで、このドキュメンタリー映画を作ったのは、ときの政権によって不当解雇されたジャーナリストたちです。
この9年間で解雇、解任などの不当処分は300人以上に下りました。結局のところ、政権との直接対決には敗れてしまったのです。
しかし彼らはその後、政権と無縁のネット番組「ニュース打破」を立ち上げ、市民との連帯に成功します。そしてこの映画を製作。真相を白日の下に晒しました。
映画で印象的だったのは、介入に抗議する職員が、経営者に放った台詞です。
(あなたたちの不正は)歴史に残るでしょう。
政治的保護を受けるのかもしれませんが、この歴史を恐れてください。
いや、本当に。不正はいつか明らかになるはず。