ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

ふわふわの思考を整理する|韓国 現地からの報告

ふわふわとした日曜日。

朝食を食べた後、勉強したり散歩したり。ナポリタンが上出来だったこと以外は、可もなく不可もない1日だった。

https://www.instagram.com/p/B_cShRogSKs/

東京の感染者数は72人。

www.nikkei.com

「13日ぶりに2桁」とあるが、ただでさえ少ない検査数だ。週末はもっと少なくなるから、こんな数字を見せられたところで、「ふぅーん」って感じではある。

 

私的なニュースとしては、4/10から始まった空前の韓国ブームが落ち着いた。

この本を読み終わったのだ。

 

ブームの背景はコロナウイルス

早期に封じ込めた韓国と、だらだら感染を続ける日本。両政府の対応の違いを見ていたら、「え、韓国ってこんな立派な国になったの?」っていう、まるで「昔は冴えなかった同級生が、大人になって再会したらめっちゃ綺麗になっていた」みたいな感覚に陥ってしまい、気になって気になって仕方がなかったのだ。

というのも、私は2004年~2007年にかけ、韓国・釜山に住んでいた。

その頃のイメージとして、前を走っていたのは日本だったのに、2020年になった今、まるで「ウサギとカメ」みたいなことが起きてしまった。

その背景に何があったか、今の日本に足りないのは何か、というのを、考えるための1冊だったのだ。

 

本書が取り扱っているのは、2014年~2019年。テーマ立てとしては、セウォル号の沈没に始まり、朴槿恵の弾劾、国民の政治への関心、教育制度、日韓関係、などを経由して、コロナウイルスで結ばれている。

一貫して感じるのは、「政治を政治屋に任せない」市民の姿が見えること。

政府は政府で、セウォル号などの反省から「情報を公開しなければ国民が黙っちゃいない」ことをよく分かっているようだ。

さすがは、80年代後半まで民主化運動を続けた社会である。シンプルだけど今の日本じゃどっちもできない!構造にあることがよく分かった。

ちなみに、日本では韓国=反日という目で見る人も多いけど、本書によると「韓国人は忙しいから、反日どころではない」そうです。

 

改めて「あの頃」に戻って、私の目には韓国人=よく食べ、よく学び、よく働く民族という印象があった。

現に当時、日本に「朝活」という言葉はなかったが、私は夜明けに出社して、朝7時から授業(仕事)をしていたし、朝っぱらから遅刻すらせず集まる生徒を見ていたら、「日本は近いうち、きっと韓国に追い越される」という感覚があった。

そして少なくともコロナにおいて、その日は確かにやってきた。

日本人として、頑張らないわけには行くまい。

 

さてさて、韓国ブームが去った今、次は何を目指そうか。

まだふわふわとはしているが、ヒントにしたいのは次のツイートだ。

「よりよい日本」って、何だろう。

そのために、できることって何だろう。 

報道について考えてみた|タクシー運転手

今日は土曜日。

朝から好きなナポリタンを食べ、部屋と衣類を綺麗にしたら、そろそろ昼下がりが終わりそうな頃合い。

「さ、文章書こう!」とパソコンの前に座り、妙な心の落ち着きを覚える。

健康な心身と衣食住があれば、8-9割は満足できるんじゃないか。「不要不急」と離れることで、寧ろ好きなことに集中できるようになったんじゃないか。

外は晴れ。風は少し強いが春らしい陽気で、「こんな日は救急車も少ない」と書こうとした矢先、遠くからサイレン音が聞こえてきた。今も都内は、コロナ禍の渦中だ。

 

昨日のニュースで、コロナ対応に追われる現場の「リアル」を伝えるものがあった(動画)。

www.bbc.com

私が今パソコンの傍らで、紅茶淹れたりコーヒー淹れたりしている間にも、現場では感染に苦しむ人、それを助けるために働く人がいるのだ。

冒頭にも書いた通り、私には健康な心身と衣食住がある。リスクを冒してまで働く人に比べれば、何が我慢だ、何がストレスだ。

最後に先生が訴えている通り、今は家にいること、多くの人と接触しないこと。それが自分にできることなら、全力でそれを頑張らなければ。

 

ところで、前出の映像は見ての通り、イギリスの公共放送BBCが取材したものである。

オリンピック延期やPCR検査の遅れなど、国内のニュースを外国メディアに伝えてもらうことは珍しくなくなったが、こういう映像が日本のTVで日常的に流れているわけではない、ということは、少し考えたほうが良いかもしれない。

報道というものが、意外にあやふやなものだ、という意味だ。

「本当のこと」は、黙っていても当たり前に伝え聞けるものではない。「伝えよう」という人がいて初めて、自分の耳目に触れるのだ。

 

昨夜は、それを実感する映画を見た。2017年に韓国で大ヒットした「タクシー運転手」という作品だ。


【映画 予告編】 タクシー運転手 〜約束は海を越えて~

舞台は1980年の光州という地方都市。韓国現代史の中で一番の悲劇とも呼ばれる「光州事件」がモチーフだ。

この頃、韓国はまだ軍事政権下にあり、その政争に対する抗議として、光州の市民たちが蜂起した。これを政府は軍隊で制圧。傷ついている市民を容赦なく撃ったり、血で血を洗うようなことが繰り広げられるが、国内のメディアは正しくそれを伝えない(伝えられない)。

そこへ取材に訪れたのが、ドイツ公共放送の記者であるユルゲン・ヒンツペーターという人物(実在)。主人公のタクシー運転手は当初、「遠距離客は金になる」という理由だけで彼を乗せるが、現地で戦う市民たちと出会い、その姿を目にしたことで、これを世界に伝えるために、自分自身も命を懸ける………。

報道というものが、「伝えよう」とする人の意志、そして行動によって成り立っているということを、激しく実感する映画だった。

 

さて、イギリスの公共放送、ドイツの公共放送と来れば、日本の公共放送NHK界隈ではこんなニュースが。

mainichi.jp

23日夜放送の「バリバラ桜を見る会バリアフリーと多様性の宴(うたげ)第1部」の再放送が、26日午前0時から放送予定だったのが、放送直前に急きょ差し替えられた。 

また、コロナ界隈ではこんな実態も明らかに。

this.kiji.is

 放送局や新聞社、通信社などの社員214人が回答。「政府から『医療崩壊』と書くなと要請された」「政府や自治体首長の表現を検証もせず垂れ流している」「記者会見が入場制限されている」などと現状を懸念する回答が並んだ。

国難のときに、政府がそれを隠したがるのは当たり前のことだ。

腹が立つというよりも、現場の記者の苦しみが見える。伝えたいのに、伝えられないもどかしさ。羽をもがれる気分だろう。

今、日本で起きている「本当のこと」は、どこの誰が伝えてくれるのか。

 

この文章を1本書くのに、救急車のサイレンが5台分は聞こえた。

 

お題「#おうち時間

賢い人になるために|天才の頭の中 -2-

テレワーク14日目。金曜日です。

明日は土曜日。週末ですが、地味に困っているのが「図書館が閉まってしまった」こと。せっかく時間があるのに、本が借りられないのです。

京都の図書館では、今日から郵送サービスが始まったとか。文京区でも始めて欲しい!

www.kyoto-np.co.jp

 

さて、本日のニュースは………日本人として本当に辛いけど、アベノマスク、そして専門家委員会が、めちゃくちゃなことになってきました。

mainichi.jp

biz-journal.jp

 

見るもの聞くもの全てが怪しい

こんな政府に任せられない

自分が賢くならなければ

 

と危機感を抱いた私は、3日ほど前からビル・ゲイツ氏の映画を見ていました。

3エピソードあるうちの、1本目は前回。そして今回は後半2本の紹介です。


『天才の頭の中: ビル・ゲイツを解読する』予告編 - Netflix

まず、この映画では「今のゲイツ」と「過去のゲイツ」がクロスするように描かれています。

2本目では、感染症予防に目をつけたゲイツ氏が、アフリカでポリオの予防接種を広めるまでのエピソードと、13才でコンピューターに出会い、マイクロソフトを立ち上げ、若き経営者になるところまでが、入れ替わり立ち替わり映し出されます。

見始めて、最初のうちは気づきません。けれど見ているうちに「接点」現れるのです。

2本目で炙り出されるのは、ビル・ゲイツという人の「問題解決の手法」。

それは13才のときから同じ。徹底的にデータを集め、できない理由を潰していく、というものでした。

続く3本目では、気候変動に目をつけたビル氏が、安全且つ核のゴミを出さない原子力発電を考えるエピソードと、20代でWindowsを世に出し、世に広めすぎたために「独禁法違反」で訴えられるところまでが映し出されます。

3本目で炙り出されるのは、ビル・ゲイツという人の「挫折を克服する方法」。

それも13才のときから同じです。「成功するまで、止めない」。

………と、書くだけなら簡単。よくある自己啓発本と同じですが、ビル氏の場合、挫折のレベルが凄いのです。「紛争が起きて頓挫した」とか、本当にそういうレベルなのに、止めない。できる方法を考え続ける。

その、異常にも見える執着心の背景にあるのは、私利私欲ではありません。もっと純粋な、「ノブレス・オブリージュ」的なもの。優秀で裕福なアングロサクソンアメリカ人の…って書くと嫌味ったらしいけど、「プライド」を感じる映画でした。

 

ところで今日は、ビル・ゲイツ氏×コロナの記事も。

映画の後だからよく分かります。徹底的に調べる韓国式を良しとしていること。今後のシナリオを合理的に予測していること。

そして日本政府は、真逆に向かってるってことも。

s.japanese.joins.com


というわけで、

こんな政府に任せられない

自分が賢くならなければ

に戻りまして、私もビル氏を見習って、GWは勉強に励むつもりです。

図書館が開いていないのだけは残念ですが、ビル氏が実践するように、

幅広く多くの本を読む

感情と向き合う

感じたことに基づいて、自分はどうしたいか考える

実現する方法と割けるリソースを考える

を、実践してみるつもりです。

 

今後買う本

賢い人になるために|天才の頭の中 -1-

テレワーク12日目。

私は東京に4つしかない「第一種感染症指定医療機関」のうちの1つ、都立駒込病院の近くに住んでいるのですが、今日は救急車が多かったー。

同じく「第一種…」である都立墨東病院が、院内感染で救急の受け入れを停止したため、その皺寄せが来てるんじゃ…などと想像してしまいます。また、ラジオの交通情報で「本郷通りが渋滞」と聞いただけでも、救急車のせいなんじゃ…と想像してしまいます。

とはいえ、私自身は至って健康。仕事もまだありますし、収入も減っていません。会社の売上は悲惨なので、今後の不安はありますが。

 

さて、最近韓国の賞賛ばかりしすぎて、やや顰蹙を買っている本ブログですが(n=1)、最後にもう1つだけ紹介させてください。

福岡にある「西日本新聞」と、韓国・釜山にある「釜山日報」との記者交換制度によって、4月に韓国入りしたという記者さんのレポートです。

www.nishinippon.co.jp

迅速な検査。厳格な隔離。そしてきめ細かい支援。

「絶対に(ウイルスを)入れさせない!」という気合に対して、「日本は布マスク2枚…」などと揶揄する気はないけど、日韓で雲泥の差となった原因の1つは、「政治を政治屋だけに任せてしまった」市民の姿勢にある、ということは前回書いた通り。

しかし、です。

政治屋だけに任せない」といっても、政治屋を監視するだけでは不十分な気がする(イマ、ココの対応しかできない)というか、もっと市民が賢くなって、「こういう未来にしたい、だから○○さんに任せよう」とならなければ、意味がない気がするというか。

 

と、そんなときに目にしたのが、5年前に公開されたビル・ゲイツ氏の動画。

冒頭で、こんな発言をしているのです。

もし1000万人以上の人々が、
次の数十年で亡くなるような災害があるとすれば、
それは戦争というよりはむしろ、
感染性の高いウイルスが原因の可能性がある


The next outbreak? We’re not ready | Bill Gates

 

凄い!

未来から来た人だ!!

 

感激した私は、自分もこんな風に賢く、未来を予測できる人になりたいと切望し、そのまま夕食も取らずに、ビル・ゲイツ氏のドキュメンタリー映画を見ました。


『天才の頭の中: ビル・ゲイツを解読する』予告編 - Netflix

全3エピソード中の1本目は、2008年にマイクロソフトを引退したビル・ゲイツ氏の「今」。どんな暮らしを通して、何を考え、何に取り組んでいるかを取材しています。

簡単に紹介すると、とにかく幅広く本を読み(1時間で150ページ!)、多くの時間を思索に当てている、ということ。

そんなゲイツ氏は最近、「ただの下痢」で死んでしまう最貧国の子供たちに心を痛め、「トイレ」の開発をしていました。

それまで川に垂れ流され、ウイルスの温床となっていた糞便を、焼却することで電力を自力供給。且つ汚水を飲料水にまで還元させてしまう優れものを、自ら考えたのだそうです。

 

それにしても、頭だけ良い人なら世の中に多くいるわけですが、人間としてどうか…という人も少なくないもの。どうしてその方向性を、誤らないでいられるのでしょう。

そのヒントは「学び方」にあって、ゲイツ氏は本を読み、実現する方法を考える間に「感情と向き合う」時間を設けているのだそうです。

その感情の根底には、自分を育んだ環境や人間関係に対する感謝がある…ようですが、それは2本目に続きます。

主権について考えてみた|大統領の理髪師

リモートワーク11日目。

私はテレビを見ないので、BGMはラジオです。

とはいえ、ラジオ歴がまだ浅く、昼の番組が分かりません。そこで今日は、初めての文化放送にチャレンジ。大竹まことさんの番組が意外と良く、明日からも聞くことになりそうです。

 

さて、その番組の中で、二度見ならぬ二度聞きしてしまったニュースがあります。

www.tokyo-np.co.jp

新型コロナウイルス感染症が拡大する中、警察が変死などとして扱った遺体の感染が判明するケースが相次いでいる。九日未明、東京都足立区の路上で倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された男性(66)もその一人。

遂に。。。

「路上で」ということは、恐らく家で寝込んでいたのではなく、歩いているときに急変したのでしょう。映画でしか見ないような「うっ!げほげほげほっ………ばたっ」みたいなことが、東京で起きてしまいました。

 

一方、隣の韓国では、社会が普通に戻りつつあるそうです。

jp.reuters.com

新型コロナウイルスの感染防止に向けた規制が緩和された韓国では、企業がオフィス勤務を再開し、商業施設などににぎわいが戻った。

最近では、1日の感染者数が1桁の日もあるようだし、政府による初期対応の違いで、これほどの差が表れるとは。 

同じく韓国の新聞には、日本のコロナ危機の原因は、従順すぎる国民にもあると書かれていました。

s.japanese.joins.com

弱体野党と従順なメディア、葛藤よりも安定を求める順応的な国民性のおかげで7年4カ月を巡航してきた安倍内閣が新型コロナという強敵に出会い、このように迷走している。

さて、本日も1本の映画を紹介します。


효자동 이발사

「大統領の理髪師」という2004年に公開された映画です。

舞台は1960~70年代、朴正熙(=朴槿恵の父)の独裁政権下にあったソウル。床屋を営む主人公が暮らすのは、大統領官邸の「お膝下」。故に親政権派の市民が多く、主人公もその1人です。

転機が訪れたきっかけは、官邸専属の理髪師に抜擢されたこと。それにより、政権周りの利害関係に嫌でも巻き込まれることになるのです…。

 

最近、韓国映画ばっかり見ている理由は、単純に好きというほかに、コロナウイルスが原因でして。

上にも書いたように、日韓で対照的な政府の対応。私は日本人として41年生きていますが、「日本に住んでいる」というだけで不利な目に合うのは、これが初めてな気がします。

そして毎日考えるうち、原因は安倍か文かの違いだけではない気がしてきて、危機に翻弄される国と克服しつつある国とで、本質的に何が違うのか、映画から学んでみたいと考えたのです。

 

この映画から学んだのは、「日本の民主化は敗戦によって与えられたもの。韓国の民主化は革命によって得られたもの」だということ。

映画は一見、ほのぼのファミリードラマですが、しかし独裁政権下なのです。下痢になっただけで拷問されたり、少しの忖度不足でやはり拷問されたり、「そんなのあり得ないでしょ!」って感じのことが本当に起きて、それと戦う市民の姿があります。

 

ちなみに、主人公の招かれた官邸での宴席が、まるで「桜を見る会」みたいでしたが、現代の日本に戻りますと、広島地検が今まさに安倍チルドレンと戦っています。

dot.asahi.com

「案里氏と克行氏を逮捕する意気込みだ。国会開会中の逮捕許諾請求も視野に気合が入っている」

 現場からこうした声が聞かれる一方で、「大丈夫かな」と心配する検察幹部もいる。その理由をこう解説する。

「国会議員2人を逮捕となれば前代未聞の事件になる。東京地検特捜部が加わり、万全を期す検察だが、いずれ東京高検もラインに入ってくる。官邸の強い意向で定年延長となった“官邸の門番”黒川弘務・高検検事長が口をはさんでくることも想定される」

記事にもあるように横槍が入るしれませんが、日本人は、再び敗戦するまで主権を奪われるのか、それとも革命によって維持するのか。その道筋となる案件です。たとえコロナの裏でも、見張らなければなりません。

人生という長い道の中の1日|サニー 永遠の仲間たち

毎年4月19日は私の誕生日でして、#STAY HOMEとなった今年は、気に入ったワンピースを着て、体が喜ぶものを食べたり、冬の寝具を入れ替えたりと、「暮らしを満たす」ことに専念しておりました。

唯一残念だったのは、筋トレをしていたら近くにあった姿見が倒れ、鏡が割れてしまったこと。不吉な感じもしましたが、そこは気を取り直し、「昨日までの自分は死んだ」と解釈することにしました。

実際のところ、私は自分のしたいこと、興味のあることは40才までに全部してしまったので、昨日までのこと、昨年までのことをどうこう考えるより、今日からの暮らしをただ積み重ねるだけなのです。少しだけ欲をいえば、今よりちょっとは世の役に立つ人になりたい。

というわけで、本年も宜しくお願い致します。

https://www.instagram.com/p/B_KbQB-AFoO/

41才になった本日は、40代の女たちが主人公の映画を見ました。


映画『サニー 永遠の仲間たち』予告編

2011年に公開された韓国映画で、メインは42才の専業主婦。

母を見舞いに行った病院で、主人公はたまたま高校の同級生と再会します。しかし、彼女は末期がん。余命たった2ヶ月と聞かされ、その最後の望みとして、あの頃の仲良しグループ「サニー」のメンバーを捜すことになるのです。

25年も経ちますと、女はいろいろあるわけで、会社で落ちこぼれるメンバーもいれば、愛のない結婚に苦労するメンバー、アル中になったメンバーもいたりして、歩んできた道の違いに愕然とすることもあるわけです。

それでも、顔を合わせるうちに呼び覚まされるのは「あの頃」の記憶。

一緒に歌い踊ったこと、誰かがいじめられたら全員で殴り返しに行ったこと、将来の夢や希望を語り合ったこと、などなど。

舞台は80年代後半。当時の韓国が軍事政権下にあったこともしっかり描かれているのですが、少女たちの毎日は、あくまで明るく希望に満ちてキラキラ輝いているのです。

 

そんな本作の中で、私が泣いてしまったのは、2回。

1回目は、初恋の叶わなかった主人公を、大人になった主人公が慰めるシーン(あくまで回想として)。

私は冒頭にも書いた通り、過去のことはすぐ忘れて、いつだって「今日が1日目」と考えて生きているような人間ですが、それでも40代となりゃ、辛かったこと、泣いたこと、慰めて欲しかったことなんて、幾らでもありました。

それでも今日、私は41才になったのであって、立派な大人ではないけれど自分なりには幸せに暮らしているのであって、だからもし、高校生の自分に会えるとしたら、「まぁ大丈夫だよ」って伝えるのでしょう。少なくとも今日までは。

 

2回目は、ある衝撃的な事件が起きた後に、「サニー」がもうバラバラになるのではと泣いているメンバーたちに、リーダーであり後に末期がんとなる"チュナ"が放った台詞。

絶対にまた集まろう。

(誰かが)もし苦しんでたら幸せになるまで一緒にいる。

誰が先に死ぬか分からないけど、サニーは永遠だ。

「幸せになるまで」というのがポイントで、それが25年後に具体的な彼女の遺志として…xxxxx

私はここまで頼もしい人に出会った記憶は(母ぐらいしか)ないけど、それでも何かがあって泣いていたとき、そばにいてくれる人はいたものです。そう考えたら、目頭がジーンとなりました。

 

さて、今日はいささか「タイムスリップ」した気分なので、仮に1年後の自分が今の自分を見たら、何を伝えるかと考えてみます。

ま、1年後だったらまず、コロナですよね。

「感染予防しろ」「心身の健康を維持しろ」の次に、「政府をアテにするな」「正しいと感じることをしろ。正しいと感じる人と動け」と伝えるでしょう。

そして、これはもう直感でしかないのだけど、「自分が頑張ったところで世界に影響は少ないが、自分の人生には大きな影響を及ぼす」って、伝えるような気がする。今までだってそうだったし、私のエンジンの掛け方を、一番分かっている人だからこそ。

 

というわけで、年に1度の特別な日はおしまい。明日からはまた平日ですが、欲張らずにこつこつと価値のある毎日を積み重ねていこう。

 

お題「#おうち時間

正しく怒ろう|新感染 ファイナル・エクスプレス

散歩がてら買い物に行った帰り、久しぶりにシェアサイクルを借りたら、前輪がパンクしていたため、転んで怪我をしてしまいました。

公道で転んで、痛いやら恥ずかしいやら。「こんな自転車置いとくなよ!」と一瞬腹も立ちましたが、悪いのは自分です。確かめようとすれば、それは確かめられたんだから。

f:id:tokyo100k:20200419020633j:image

さて本日も、コロナ禍の「今見るべき」映画を紹介します(ネタバレあり)。

www.youtube.com

2016年に公開された映画で、原題は「プサン行」。

ソウル発プサン行のKTX(新幹線)の中に、あるウイルスの感染者がいたため、乗客が次々に感染、ゾンビ化していくという内容です。

列車の中でのできごとなので、例えば11号車にゾンビがいれば、そこにいる乗客は10号車か12号車に逃げることになります。感染が広がり、ゾンビが増えていく中で、乗客たちは逃げるため、ゾンビを殴る、蹴る、そしてときには殺してまで先へ進むしかありません。

そして列車が「次の駅」に着くころ、車内は完全に「分断」されてしまいます。ゾンビのいる車両といない車両、そしてゾンビと戦う車両に。

そして、恐ろしいのはここから。分断は、ゾンビ対非ゾンビだけではなかったのです。前線でゾンビと戦ってきた、主人公を含む「英雄」たちまでも、非ゾンビの敵と化してしまいます。

さっきまで友人だったとしても、さっきまで夫婦だったとしても、ゾンビ化した以上、或いはゾンビと接した以上、感染した「かもしれない」から、生かしてはおけないというわけで。

 

私はこの映画を通して、自分の中の恐ろしい感情と出会うことになりました。

この人には死んで欲しくないけど、この人には死んで欲しい。

という感情です。

普段は虫も殺さぬようなことばかり考えているくせに、「死んで欲しい」とは何故か。

ゾンビとの戦いの中で、私はそれぞれの人柄や正義感、そして勇気を見ることになりました。それがあるのに死んでしまう人。それがないのに生きてしまう人。ウイルスは人の善悪を選ばないけれど、私は自分という人間が、命に「重軽」をつけていることに気がついたのです。

そしてコロナ禍の昨今、同じ感覚で世界を見ていたのかもしれないと。

実際、多くの人が死んでいても、潮目になったのは志村けんさんだったように、知ってる人は大切だけど、知らない人はどうでも良く感じていたのではないかと。

 

しかし私はある文章を通して、この不公平な心理こそを「感情移入」と呼ぶことに気づきました。

都内の病院で働く「四谷三丁目」さんの文章です。

note.com

医療現場にマスクがない。消毒液もない。防護服に至っては、足りないから雨合羽を被っている。などなど、ニュースから伝えられる情報は多くあります。

だけど、こんなにも訴えかけられたことは、過去に一度もありませんでした。

この感情が生まれた理由は、恐らく四谷三丁目さんの人柄も含め、置かれている状況が嫌というほど「分かってしまった」から。ほかの医療関係者がどうでも良かったわけでは勿論ないけど、「知ってしまった」以上、黙っているわけにはいかない。これが「感情移入」です。

 

感情移入してしまった。では、どうするか。

四谷三丁目さんの書いている、

「患者を救えない」のは、医療従事者にとってこれ以上ないほどのストレスです。苦しみです。高尚なことを言うつもりは全くないですが、私たちは少なからず「人を助けよう」という気持ちをもってこの職についている。
「手の施しようのない人」が増えるたびに苦しみは募っていく。

という部分。尊い志に頭が下がります。

そして四谷三丁目さんの書いている、

怒ることができる人、怒ろう。頼むから。怒ってくれ。あなたの怒りを言葉にして教えてくれ。届けてくれ。おかしい。今この国で起こっているありとあらゆることが本当におかしいのだと、自分の命が軽視されてようやく気づいた人間からのお願いだ。

という部分。命の重軽という不公平が、医療現場で起きている。人の善悪を選ばないウイルスを前に、医療関係者の辛さは想像を絶するものがあり、代わりに怒ってあげるしかありません。

世界は理不尽にできている、という前提で、しかし、そうだからこそ、正す努力をしなければ。気づいてしまったからこそ、真の原因に目を向け、正しく怒らなければ。

「感情を正しく使おう」ということかもしれません。「怒り」が湧いてきたとして、その矛先をどこに向けるか。

正しく考え、怒ることも、今、健康な市民にできることではないでしょうか。

今日の自分にできること|コンテイジョン

テレワークのために机&椅子を買ったら、ますます部屋が好きになりました。

平日の集中力はアップ。週末も文章を書く気になり、寝てばかりいた最近の私からは、想像すらできなかったことです。

部屋で過ごすことが増えるとき、部屋に投資したのは正解。

自分が元気なうちは前向きに過ごし、自分のできることを頑張りたいものです。

f:id:tokyo100k:20200418152423j:image

さて、 本日気になったニュースは、

mainichi.jp

志村けんさんを失ったイザワオフィスが、異例の動画公開へ。

悲嘆に暮れるばかりでなく、その「遺志を継ぐ」というのでしょうか。コロナで苦しんでいる人に「笑いを、そして寄付を」。「自分にできることをする」という姿勢に感動すら覚えました。

「自分にできること」といえば、あしなが育英会さんも。

「どんな事があっても きみたちを守る」困窮学生に10億円を緊急援助 TBS NEWS

私も借りていましたが、心ある大人とは、こういう人ではないでしょうか。

ほかには、長岡市のタクシー会社が移動困難者の代わりに車を走らせたり、

台湾の総統がマスクを寄付してくれたりと、

敢えてさまざまに集めてみましたが、それぞれがそれぞれの立場で、できることを実践しているのです。 

 

そんな中で、私も本日は「今見るべき」1本の映画を紹介します(ネタバレあり)。


映画『コンテイジョン』予告編

2011年に公開された映画ですが、「まるでコロナを描いている!」と、大ヒットしているのです。

舞台はアメリカ。

香港に滞在していた主人公の妻は、新型ウイルスに感染します。帰国の道中で発症し、直後に死亡。妻を看取った主人公が病院から帰ると、妻から感染した息子も死亡。

その後、瞬く間に感染は広まり、社会は大パニックに陥ります。封鎖された都市では、学校は休校に、体育館にはベッドが並べられました。スーパーでは買い占めが起こり、ドラッグストアには人が殺到。公的機関の情報は隠蔽や嘘が多いため、不安に陥った市民は車上荒らしや金融機関の焼き討ちまで。怖いのは果たして、ウイルスなのか人間か。

一方、感染源である香港に派遣されたCDCの職員は、意識高く行動するものの、志半ばで死亡。棺桶ではなくビニール袋に包まれて埋葬されます。

同じく香港入りしたWHO(?)の職員は、感染を免れた地元民に誘拐され、ワクチンの裏取引を要求されます。

ウイルスによって、変貌してしまった社会。尊厳を踏みにじられたり、分断を余儀なくされたり、そこに待っていたのは「地獄」そのもの。

ウイルスを消すことができない以上、せめてもう少し、悲劇を減らすことはできないのでしょうか。

 

というところで日本の今に目を向けると、対策が、遅い。

国民の命よりも守りたい五輪があったのか。国民の暮らしよりも通したい法案があったのか。その究明は、本日したいことではないけれど、少なくとも日本では、頑張るべき人が頑張らなかった。そして国民もまた、その監視を怠っていた。それだけは、真実のような気がします。

今日の自分ができること。

それは、自分の健康を守りながら、映画から学んだり、既に立ち上がっている人を、賞賛したりすること。

社会は市民でできている。一人の非力な市民として、できることを探していきたいものです。

 

お題「#おうち時間

ECONOMY<LIFE

ピーポーピーポーピーポー

 

という、救急車のサイレン音で、目が覚めるようになった今日この頃。

私は「がん・感染症センター」である駒込病院の近くに住んでいるので、厚生省による「今日の感染者数」公表より前に、救急車のサイレン数で、それを体感しているのだ。

 

私自身の体調はというと、日曜の夜に微熱(37.1℃)が出たので、慌てて寝た。

普段なら気にもしないような体温だけど、世が世である。今夜しようとしていたことなんて、後回しで良いのだ。最悪の事態を考えたら、「頑張って起きよう」なんて気にはとてもなれず、翌朝まで12時間ぐらい寝たら平熱に戻った。

 

ここ数日で気になったのは、中野江古田病院のニュース。

www.tokyo-np.co.jp

1日の時点で怪しかったのに、更に感染者が出た3日以降も、外来診療を続けていたという。その結果、100人近くが感染。

批判したいというよりも、悲しい。

病院でさえこれか。命を扱う現場でさえ、「命よりも頑張り」なのか。現政権が推し進める「命よりも経済」が浸透してるということだろうか。

一時的に頑張ったところで、こういうことは後から起きる。それを、何故予期できなかったのだろう。

 

「命よりも経済」で、ムヒカ大統領を思い出した。

「経済よりも命」を打ち出した、ウルグアイの元大統領だ。

経済発展のために忙しく働くよりも、日々を慎ましく、しかし自由に暮らすこと。そこに幸せがあるってことを、自分で示す大統領。

人間は経済のために生きているのではない。幸せのために生きているのだ。

って、ここまで具体的に教えてくれる人を、私はほかに見たことがなかった。

 

今春は(何故か)ムヒカ大統領に関する映画が2本も公開予定で、私も見に行きたかったけど、「自粛」しているのが現状。

だけど今、苦しい毎日にある中で、

人生にはこういう幸せがある。社会はこんな幸せを目指せる。

っていう、「理想」を忘れてはならないってことも強く感じるところ。だから映画は、絶対に見たい!!!

pepe-movie.com

jose-mujica.com

命は英語で「LIFE」である。

LIFEは日本語で、「命」「人生」「暮らし」である。

「命より経済」という言葉があるとしたら、それは「人生より経済」「暮らしより経済」という言葉と同義である。

 

しかし人の命や人生、暮らしは経済のためにあるわけではない。もしそうだとしたなら、それは中身のない、ただの「線グラフ」なんじゃないだろうか。

そんな気ばかりする、コロナ下の私である。

格差社会について考えてみた

4/7

テレワーク2日目にして、体が痛くなってしまった。

床にずっと座っている(ローテーブルしかない)のと、運動不足が原因だ。

取り急ぎ、筋トレとジョギングをしたら治ったが、テレワークは早くても5/6まで。床では足腰を痛めるので、前から買おうと狙っていた食卓3点セットを注文した。

仕事は、テレワークになったために発生した、さまざまな手続きに追われた。

 

4/8

テレワーク3日目も、痛みを胡麻化しながら業務。

半分ぐらい終わったところで、ジョギングと買い物へ。トイレットペーパーが残り2個になったので供給。ネピア12ロールが500円以上もした。

それにしても、3食自炊だと財布の中身が減らない。

ジョギング中に救急車を見た。といっても、最近は1日5台ぐらい見るが、中の人を見てみたら例の白い防護服だった。

コロナの影響で失業してしまう人から連絡が来た。

 

4/9

テレワーク4日目。体はまだ痛いが、これが「坐骨神経痛」というものだと分かり、対処法を調べることができた。1時間に1回ストレッチしたら、ほぼ問題なくなった。自分でタダで治せるなんて、革命。

会社からの宿題で「キックオフ」の映像を見た。年度始まりに開催される景気づけみたいな全社ミーティングだが、内容が頭に入らない。

若いころは一生懸命見たものだけど、そして会社とともに成長する自分が嬉しかったものだけど、もうその心はなくなった。不要不急の産業だからか、その売上が増えようと減ろうと、本質的には興味がないのだ(雇用の安定という意味では興味あるけど)。

コロナの影響で、有休を取らされている人から連絡が来た。私も有休取らされることになったら、ネットで映画見まくろうかな。

 

社会を眺める

さて、東京など大都市では緊急事態宣言が発令されたが、その後の暮らしはこんな感じだ。買い物や運動はできるし、出社してる人だって未だにいるはず。

一方、ナイトクラブなど盛り場には、警察が出向いて「注意」できるようになったらしい。要は「夜遊びを押さえたい」んだろうが、このグラフを見ればある程度納得。

全体的に男性の感染が多い。この原因を「夜遊び」と見るか「満員電車」と見るか意見の分かれるところだが、夜遊び及びそれを提供する業態に対する冷たさから、少なくとも政府による「職業差別」的なものは垣間見えた。

日本には守られる人と、守られない人がいるのだ。

私自身はというと、「非正規」として「大企業」の脛をかじっている身分。非正規は守られないだろうが、大企業は守られる。安全なようなそうでもないような感じ。

そんな私に対して、母は毎日、投資に関する連絡ばかりしてくる。うん、蓄えだけは蓄えなければ。

 

こんな社会は欲しくなかった

蓄えといえば、もはや日本国民の3人に1人は貯蓄ないとか、いやいや3人に1人じゃなくて2人に1人だとかいう情報をよく聞く。

率直に湧くのは「え、日本ってそんなに貧しくなったの!」という驚きだが、それで甦ってくるのは、25才のとき(15年前)に行ったアトランタの記憶である。

 

アトランタというのは、アメリカ南部にある都市だ。

この都市に興味はなかったが、フライトの都合で2泊した。この後、シカゴ、ボストン、ニューヨークなど歩くことになる、スタート地点はアトランタだった。

 

アトランタの感想は、

「怖かった」。

 

予約した宿を探すのに夜道を歩いていたら、「道を教えてあげる」と声をかけられた。地図を見ながら逃げ切ったが、実は違うところに連れて行かれそうになった。

ある観光スポットへ行ったら、「街の歴史を教えてあげる」と声をかけられた。間一髪でタクシーに逃げ込んだが、辺りはスラム街。その人は「授業料」としてパン代を取るホームレスだった。

ほか、接点こそなかったが地下鉄の駅で、いかにもラリってる若者が奇声を発しながら踊っていたり、すれ違う人の顔色がとても健康そうには見えなかったり。

私にとって、初めて見た「格差社会」だった。そして漠然とながらも感じたことを、今でもはっきり覚えている。「日本がこんなになったらイヤだ」。

 

格差社会にできること

格差社会といえば、こんな記憶も甦ってきた。

私が大学生のころ。今から20年以上前のことだ。

私は「国際法研究会」というサークルに入っていた。その名前から分かるように、「国際」に興味のあるメンバーが多く、長期の休みともなると、競うようにしてアジアの途上国を旅していた。

 

その中でちょくちょく話題になったのは、「貧しい人にどう対応するか」ということ。

日本=金持ちの国である。

アトランタでもそうだったように、日本人がコインをせびらたり、市場でぼったくられたりすることはよくある。

そんなときにお金を恵んであげることは、「可哀想な人に優しくする行為だ」という意見に対し、「いや、この格差社会を憎み、下剋上しようとする意欲を奪う行為だ」という意見があったのだ。

今考えれば、親の金で大学通ってる連中の悠長な議論ではあるが、今になって正しいと感じるのは、断然「可哀想な人に優しくする行為」のほうである。

 

コロナ禍が起きて、というより、もう何年も前から始まっていたんだろうけど、日本が格差社会になってしまって、今、それに対応する政府の、血も涙もない姿勢に何を求めるかといったら、ただただ「可哀想な人に優しく」して欲しいからだ。

格差社会は、金持ちの国の金持ちな人が作ったもの。

下剋上」なんて、できないようにできている。

であれば、作った人たちに優しさがなければ、あのときアトランタで見た景色は、日本のものになってしまう。私はそれが、悲しい。

 

格差社会

今まで私は、これを是正するためになんて生きてはこなかったし、 結婚せず子供も産まず、本当に自分のことしか考えてこなかった。

だけど、この「構造」との闘いについて、市民として何ができるのか、今は毎日考えている。

まずは自分の身を守る。

そして考え、行動する。

少なくとも「可哀想な人に優しい」人ではいたいから。