ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

40年間ふりかえり -10代-

こんばんは。

「黄昏流星群」は、7巻まで読んだゆかこです。

※58巻まで出てる

あと数日で40才。「人生の折り返し地点」を迎えるらしいので、これまでの40年をふりかえっています。

10代前半

私が10才になったのは、1989(昭和64/平成元)年のことでした。今は「令和」で祝賀ムードだけど、昭和→平成は、天皇崩御のほうがインパクト大きかった。

そんなこの年のヒット曲は、うわ!

光GENJI太陽がいっぱい」、工藤静香「恋一夜」など。あの頃は、工藤静香木村拓哉の妻になるなんて想像すらできなかったけど、一発逆転したよな〜。

 

さて、私の10代前半はというと、もう暗黒期も暗黒期でした。

第1の原因は、友達のできにくい性格!

7才のときに奈良から熱海に転居して、ただでさえ人見知りなのに、転校生だわ母子家庭だわで、仲の良い友達は1年に1人しかできなかったのです。

にも関わらず、そのたった1人が毎年転校!

中学で仲良かった子は、転校こそしなかったけど高校中退してしまい、割と優等生だった私は、「友情なんて脆い」と真面目に考えてしまった。

そうだ、これで思い出しけど、私、友達できないんだ。

ということで、今現在仲良くしてもらってる人は、貴重な友達として大切にしよう。今、決めました。

 

第2の原因は、環境!とにかく学校が悪かった。

確か小5のときだったか、担任から「万引き」の疑いをかけられたり(今考えれば、担任が贔屓してた女子と喧嘩してたのが原因だろう)、

小6になると、隣の男子が毎日下半身を見せてきて、担任が女だったせいか、見せられる側の女子が叱られたり(上野千鶴子に叱られろ!)、

中学に入るともっと酷くて、発育の良い女子に対して、白昼堂々、レイプまがいのことが横行してたり、ほんっと酷い酷い。親や先生は知らなかったのかな?

 

楽しいことは3つぐらいあった。

1つは、兄と示し合わせて学校を休み、日夜「ドラクエ」に熱中したこと。

でも、これは何回か書いたから割愛。

 

もう1つは、実在の同級生を主人公に描いた漫画「がんばれマサオくん」が、学年内でヒットしたこと。

内容は「ボーイズラブちびまる子ちゃん風」だったけど、「新刊まだ?」って、待たれるのは楽しかった。

 

最後の1つは、テニス部の先輩(男)と仲良くしてたこと。あれは初恋だったのかしら?

忘れないのは先輩の卒業式。私の同級生が、「先輩の第2ボタンをもらって欲しい」と頼んできた。

私は仲良しだったから、簡単にそれをゲットして、第2ボタンだけでなく、カフスボタンも全部もらった。

そして、第2ボタンは「もらえなかった」ことにして、私の懐にしまったのだ。だって、私も好きだったんだもの。

っていうか、第2ボタンって!「折原みと」の読みすぎ!今の若い子は分かるのか?念のため解説しておくと、「好きな人の心臓に一番近い位置にある」から、価値があるとされていたものです。

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10代後半

15才になったのは1994(平成6)年。ヒット曲はミスチルの「innocent world」や、広瀬香美の「ロマンスの神様」など。

私は三島北高校という女子校に入り、甘酸っぱい恋もない代わりに、レイプまがいのこともないという、平和な毎日を獲得しました。

当時はとにかく趣味に生きて、rockin'on JAPAN読んでるか、高校サッカー(県予選)見に行ってるか。そのために、毎日500円もらう昼食代を、200円で済ませて貯金したっけ!

好きなミュージシャンは奥田民生真心ブラザーズなど。よく見てたサッカー選手は小野伸二だけど、好きだったのは帝京のキャプテンだった河瀬くん。ファンレターの返事ももらった。

そういや、今の名字になったのは高校から。あと、生徒会長もやってました。

 

10代後半の後半は、受験勉強して法政大学に入るのだが、これは20代前半にまとめます。

40年間ふりかえり -00代-

こんばんは。

「黄昏流星群」にどハマりしているゆかこです。

この漫画、登場人物が40代から上の男女たちで、人生の折り返し地点を過ぎ、それぞれが「やり残し」を見つけちゃ「やり直す」ってストーリーが多いのですが、

ん?

40って、人生の折り返し地点なのか!

 

私、「社会的年齢感覚」みたいなものが著しく狂っているため、40まであと数日というところで、ようやくそれに気づいたわけです。いや、東京にいるときは分かってたけど、こっち来てから狂ったんだな。

ま、それは良いとして、とにかくあと数日で「折り返し地点」が来てしまう。

そこで本日より「40年間ふりかえり」として、緊急連載を始めます!

00代

10代、20代っていうけど、一桁の世代は何というんでしょう?分からないので00代とします。

私が生まれたのは1979(昭和54)年。ジュディ・オングの「魅せられて」がヒットした年。サザンオールスターズのデビューした年でもあります。

私は埼玉県所沢市で生まれ、0才の間に奈良へ転居しました。

当然この頃の記憶はありませんが、「三つ子の魂百まで」だな〜と思うエピソードが1つあります。

※母上、違ったら修正ください

それは私が2才か3才のとき、その頃から私はあちこちほっつき歩くのが好きだったらしく、その日も安定的に親の前から姿を消しました。

ところが!

その日に限って、本当に姿が消えている。近所のどこを探してもいない。血眼になって探してもいない。

いよいよ警察に捜索願か…と、よく行くスーパーまで探しに行ったら、独りでゴキゲンに玩具を物色していたらしい。

ところで、今はGoogleマップという便利なものがありますので、どのぐらいの距離か調べてみました。

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1.5km!大人の足で20分!

いやぁ〜やるわ。そりゃ移住もするわ。

 

さて、いちいち長文書いてられないので、サクサク行きましょう。

自分の中で最古の記憶としてあるのは、「奈良公園の鹿が怖かった」ことです。

余りにも怖かったので、それを払拭するべく保育園の書籍で勉強していました。鹿には上の歯がないから、噛まれても痛くないとか何とか。

怖さはそのままだったけど、困ったときは勉強する。これも、「三つ子の魂」です。

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最後は「三つ子の魂」というより、私の価値観に影響を与えたエピソードです。

私は7才のとき、両親の離婚が原因で奈良から熱海に転居しました。ときは1年生の3学期。転校生となったわけです。

新しい学校は、公立なのに「学校指定」のものが多く、給食着、体操着はまだ分かるとして、絵の具とか道具箱とか、いちいち高いものを注文させられるような雰囲気でした。

しかし、家は母子家庭。倹約しなきゃならないので、そんな物は買えません。

絵の具や道具箱はヤオハン(!)で買い、体操着は兄のもの。給食着に至っては、大人物の白いYシャツで代用するという、何か、可哀想なエピソードに聞こえますか、若干。

しかし、私が書きたいのはそんなことじゃありません。

その白いYシャツに、母が入れてくれた「刺繍」です。

今考えてもあの刺繍は巧かったけど、ちくちくと一針一針入れてくれたそれによって、Yシャツが特別な給食着になったのでした。

ちなみにこの原体験のせいか、私は残念ながら今でも「金で買える幸せ」に興味がありません。「金はなくても心はある」風の男に弱いのは、完全にあの刺繍のせいです(ぶつぶつ)。

篠山城下町「BREATH&ROY」

城下町にある雑貨店「BREATH&ROY」さんを訪問しました。

センスの良い民芸品が並ぶ店内。

えっ…母を連れて来なきゃー!

ってな感じでしたが、遊びではありません。仕事です。

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パブ店長になる私は、最近「フードメニュー」ばかり考えているのです。

キッチンが狭いため、加工食品を利用しなければならず、しかし篠山に何があるのか分からない、ということで、センス良い食品がありそうな、こちらのお店へ!

結果、「デカンショねぎ味噌」という激ウマな商品をゲットしつつも、しかし、これでビールってわけにもいかんだろ、と堂々巡りをしておりますが、本日書きたいのは、こんなことではありません。

 

「BREATH&ROY」のオーナー、細谷さん!

会計のとき、ちらっと自己紹介した私に、いろいろと教えてくださったんですねー。

篠山のこと、古民家のこと、この町で店を開くってこと、などなど、2時間近くも。

そして、うちのビール置いてくれるって!

ビール=交通手段が問題になるだろうから、送迎バスあれば福住まで行くよ!とまでいってくださり、嬉しかったことこの上なし。

 

何か、人ってさ、助けてくれるものなんですね。この実感、4月入ってもう3回目ですよ。

「助けてもらえない」と感じてきたのは、依頼の仕方が悪かったから。

「こういうことで困ってる」を具体的にできれば、人はちゃんと助けてくれる。

この実感、4月入ってもう3回目なんです。

助けてもらうこと、それに感謝すること、報いること。これが「社会」に生きる意味かと、感じてしまう今日この頃です。

 

※写真はこの本から拝借しています

 

Baird Beer「Wheat King Wit」

本日は白ビール「Wheat King Wit」。

白といったらヒューガルデン銀河高原ビールのような、小麦多めの種類です。

 

小麦多めということで、匂いは「焼く前のパン」。

味は、、、酸っぱい!

砂糖入れないヨーグルトみたい。

私は、白ビールに酸っぱさ求めてないので(以下略)。

チーズをばくばく食べて、塩分取った後なら大丈夫かもしれません。

パンフレットは「爽快で、フルーティ、健やかな清涼感」。

確かに、乳酸菌で健やかなりそう。

Baird Beer「Kurofune Porter」

前回のスタウトが予想外に好きだったので、今日はポーターで黒を攻めてみます。

「Kurofune Porter」と、見るからに黒そうです。

パンフレットによりますと、「シルクのような滑らかさとチョコのような苦み」ということですが、いわゆる黒ビールの特徴的ビールでした。「ギネス」みたいな。

食べ合わせは「ひまわりの種」かな。焙煎同士ってことで。

 

ところで、同じ黒ビールでもスタウトとポーターは何が違うのでしょう。

キリンビール大学さんによりますと、

 18世紀後半に誕生したスタウトは、当時イギリスで人気だったポーターから進化したスタイルです。生まれた頃は、「スタウト・ポーター」と呼ばれていましたが、広く親しまれるようになってからは単純に「スタウト」と呼ばれるようになりました。麦芽化せずに焙煎した大麦(ローストバーレイ)を使用している点が、ポーターとの大きな違いです。

英語で「どっしりした、頑強な、丈夫な」などの意味を持つスタウト(stout)。麦芽化されていない大麦を焙煎してつくられていますが、それが独特の苦みと香りを生み出しています。また、ポーターよりアルコール分を強化しており、文字通り、強く濃厚でコクのあるスタイル。真っ黒になるまで大麦を焙煎しているため、ビールの見た目も真っ黒です。

なるほど~。

ポーターから派生したのがスタウト。きっと、私みたいな「ポーターって甘くね?」みたいな人が作ったんでしょう。

というわけで、結局スタウトの頭になってしまったところで、今日はここまで。

Baird Beer「Single Take Session Ale」

4月だというのに雪が降ったため、引きこもって半纏ビールです。

 

本日の銘柄はBaird Beer「Single Take Session Ale」。

パンフレットによりますと、「ベルギー酵母のスパイシーで爽やかな風味」。

私の好み的には、スパイシーで爽やかは大体間違いない。これも旨い!

 

ところで、「セッション」って何だろう?

調べてみましたら、アルコール低めのビールを呼ぶようです。

ベアードさんのこの銘柄は、アルコール低め+ホップの苦みより香りが立つように作った「ずっと飲める」タイプのビールらしい。ふむ。