神楽坂の古民家(写真)に、最近出入りしております。
月曜日にもいましたら、急に携帯が鳴りました。
「今、神楽坂にいるから後で行くね♪」
あら、楽しそうでいいですね♪と、待つこと2時間。
カップルで来たのだが、とっても目が腫れている。とっても。はぁ、また喧嘩して泣いたんですね。
私はめったに怒らない人で、
自分の人生から、喜怒哀楽の「怒」を捨てているつもりですらある。
だからこそ考えてしまった。そんなにまでして怒るって、何か、凄いことなんじゃないのかと。
翌日、理由をヒアリングして、考えた理屈は以下の通り。
①人は皆、自分の正義をもっている。
②そして人は皆、人との関わりの中で生きている。
③人と人とが関わると、それぞれの①が一致しないことがある。ある程度一致させるために、法律やルールはあるのだけれど、それ自体危ういものだし、ほんっとにほんっとに突き詰めていったら、多分一致する人などいない。親ですら、家族ですら。
④それでも人は求め続ける。自分にとっての①が、相手にとっても①であるべきだと。あって欲しいと。
⑤①と①とのぶつかり合いは、建設的ならただの議論。
⑥これが感情を伴い出して、「正しいのは私だ!」「いや、正しいのは俺だ!」となるのが喧嘩である。
要するに怒りって、相手に対する期待(④)であり、甘え(⑥)でもあるんですね。私なら④で折れてます。理解なんかされるわけないもん。
期待したり、甘えたりする人生は、楽だしきっと、楽しいはず。
怒りはその対価だとすると、期待もせず、甘えもせず、自分の足で立つ代わりに、怒りというエネルギーを使わない。それもまた価値観だし、自分はそっち、なんだと思った。