本編が終わり、エンドロールが流れ出しても、誰一人席を立たなかった。
劇場が明るくなり、退出を促されても、誰一人口を開かなかった。
余りにも凄いものを見てしまって、あんなことが、あの日、あの時、あの場所で、本当に起きていたなんて、脳味噌が処理しきれなかったのだ。
東京電力福島第一原発の事故を描いた映画「Fukushima 50」。
渡辺謙が福島第一原発の所長を、佐藤浩市が原子炉の制御を担う現場の班長を演じる。
「Fukushima 50」とは最前線で作業に当たった50人のことで、文字通り「決死隊」として原子炉の中へ飛び込んでいった人たちのことだ。放射能から日本を守るためにーーー。
あの事故のことは、TVで見た気になっていた。
1号機の屋根が吹っ飛んだこと、自衛隊機が水を撒いたこと、冷却水が海にまで漏れ出したこと、
固唾を呑んで見ていた自分も、TVがACだらけだったことも、まるで昨日のことのように覚えている。
しかし、「ベント」とか「メルトダウン」とか、言葉に聞き覚えはあっても、それが実際に意味することや、
そこにいた人たちのこと、想い、そして向き合った惨状については、想像すらしたことがなかった、ことに気づいた。
『これが史実か。』
映画を見終えた今は、胸に去来するものがありすぎて、とても正確には書けないけれど、
つい9年前の3月には、コロナなんて比較にもならない大災害があったってこと。
今、東京で暮らせているのは、現場の人たちが命懸けで、最悪の事態(※)を回避してくれたからだってこと。
※格納容器が崩壊すれば、日本の半分が壊滅していたと想定される
同じく「国難」という意味では、今も恐らく各現場で、徹夜で戦っている人がいるんだろうってこと。
だから、国難なんてものは少しでもなくなるように、一人ひとりが考えて行動しなきゃならないってこと。
を、考えさせられた。
誰もが死を覚悟して、家族に「最期のメール」を書く辺りなんて、どれだけ「フィクション」であって欲しかったか。
しかし、これが史実なのだ。