人生という長い道の中の1日|サニー 永遠の仲間たち

毎年4月19日は私の誕生日でして、#STAY HOMEとなった今年は、気に入ったワンピースを着て、体が喜ぶものを食べたり、冬の寝具を入れ替えたりと、「暮らしを満たす」ことに専念しておりました。

唯一残念だったのは、筋トレをしていたら近くにあった姿見が倒れ、鏡が割れてしまったこと。不吉な感じもしましたが、そこは気を取り直し、「昨日までの自分は死んだ」と解釈することにしました。

実際のところ、私は自分のしたいこと、興味のあることは40才までに全部してしまったので、昨日までのこと、昨年までのことをどうこう考えるより、今日からの暮らしをただ積み重ねるだけなのです。少しだけ欲をいえば、今よりちょっとは世の役に立つ人になりたい。

というわけで、本年も宜しくお願い致します。

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41才になった本日は、40代の女たちが主人公の映画を見ました。


映画『サニー 永遠の仲間たち』予告編

2011年に公開された韓国映画で、メインは42才の専業主婦。

母を見舞いに行った病院で、主人公はたまたま高校の同級生と再会します。しかし、彼女は末期がん。余命たった2ヶ月と聞かされ、その最後の望みとして、あの頃の仲良しグループ「サニー」のメンバーを捜すことになるのです。

25年も経ちますと、女はいろいろあるわけで、会社で落ちこぼれるメンバーもいれば、愛のない結婚に苦労するメンバー、アル中になったメンバーもいたりして、歩んできた道の違いに愕然とすることもあるわけです。

それでも、顔を合わせるうちに呼び覚まされるのは「あの頃」の記憶。

一緒に歌い踊ったこと、誰かがいじめられたら全員で殴り返しに行ったこと、将来の夢や希望を語り合ったこと、などなど。

舞台は80年代後半。当時の韓国が軍事政権下にあったこともしっかり描かれているのですが、少女たちの毎日は、あくまで明るく希望に満ちてキラキラ輝いているのです。

 

そんな本作の中で、私が泣いてしまったのは、2回。

1回目は、初恋の叶わなかった主人公を、大人になった主人公が慰めるシーン(あくまで回想として)。

私は冒頭にも書いた通り、過去のことはすぐ忘れて、いつだって「今日が1日目」と考えて生きているような人間ですが、それでも40代となりゃ、辛かったこと、泣いたこと、慰めて欲しかったことなんて、幾らでもありました。

それでも今日、私は41才になったのであって、立派な大人ではないけれど自分なりには幸せに暮らしているのであって、だからもし、高校生の自分に会えるとしたら、「まぁ大丈夫だよ」って伝えるのでしょう。少なくとも今日までは。

 

2回目は、ある衝撃的な事件が起きた後に、「サニー」がもうバラバラになるのではと泣いているメンバーたちに、リーダーであり後に末期がんとなる"チュナ"が放った台詞。

絶対にまた集まろう。

(誰かが)もし苦しんでたら幸せになるまで一緒にいる。

誰が先に死ぬか分からないけど、サニーは永遠だ。

「幸せになるまで」というのがポイントで、それが25年後に具体的な彼女の遺志として…xxxxx

私はここまで頼もしい人に出会った記憶は(母ぐらいしか)ないけど、それでも何かがあって泣いていたとき、そばにいてくれる人はいたものです。そう考えたら、目頭がジーンとなりました。

 

さて、今日はいささか「タイムスリップ」した気分なので、仮に1年後の自分が今の自分を見たら、何を伝えるかと考えてみます。

ま、1年後だったらまず、コロナですよね。

「感染予防しろ」「心身の健康を維持しろ」の次に、「政府をアテにするな」「正しいと感じることをしろ。正しいと感じる人と動け」と伝えるでしょう。

そして、これはもう直感でしかないのだけど、「自分が頑張ったところで世界に影響は少ないが、自分の人生には大きな影響を及ぼす」って、伝えるような気がする。今までだってそうだったし、私のエンジンの掛け方を、一番分かっている人だからこそ。

 

というわけで、年に1度の特別な日はおしまい。明日からはまた平日ですが、欲張らずにこつこつと価値のある毎日を積み重ねていこう。

 

お題「#おうち時間