ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

おばあちゃんのこと

12月13日

今年最初の寒い朝。目は覚めていたが布団の中でぬくぬくしていた8時過ぎ、台所のほうから、

バタッ!

と、重いものが落ちるような音が聞こえた。

(はて、落ちるようなものなんてあったっけ?)

しばらくして行ってみると、壁かけの鏡(姿見)が倒れている。私は寝ていたのだから、力が加わることなどない。勝手に、倒れたのだ。

 

10時過ぎ、母に連絡してみると、

「昨夜、遅くに亡くなりました。」

と返事が来た。

11月に転倒して頭を打ち、意識不明に陥っていたおばあちゃんのことだ。夜遅かったので連絡しなかったらしい。それで本人から、報せが来たのか。

 

2022年12月12日。享年96才。

聞けば、頭蓋骨の骨折に加え、発症こそしなかったもののコロナ陽性であり、肺がんでもあったらしい。文字通り、肉体の限界まで、生きた。

 

12月20日

あれから1週間。旅立ちにふさわしい晴天の中、おばあちゃんの葬儀が営まれた。

集まった親族の中で、一番泣いていたのは私。母からは「あんまり悲しむとお腹の子に障るよ」といわれたが、私は悲しくて泣いていたのではない。だったら何かといえば、妊娠中だからこそ感じる「ありがたさ」の類いだったかと思う。

 

おばあちゃんで思い出すことはいろいろあるが、

一番忘れられないのは、私が小1か小2の頃、親が離婚したばかりだったので子守に来てくれていたおばあちゃんが、私と兄の遊んでいる部屋に入ってきて、2人で飲んでいた「コーラ」を見るなり、凄い剣幕で一言、

「醤油を飲んじゃいけん!!!」

と怒ったこと。

昔は出征を回避するために醤油を飲む人がいて(わざと体を壊す)、それを連想したというのは後で聞いたが、このように、田舎の人で、昔の人で、優しいというよりはやや厳しかったおばあちゃん。

母が忙しかったため、小6までの長期休暇はほぼ全期間預けられていたが、ごはんを作ってくれたり、セーターを編んでくれたり、パンの耳を揚げてくれたり、今考えれば母よりも、母っぽいことをしてくれた。

 

現在妊娠中の私は、頭の中の8割ぐらいが「母になること」で埋め尽くされている。

その中身は当初、「私に産めるか、育てられるか」が10割だったが、今回、おばあちゃんが倒れ、亡くなったことによって、「命のバトン」というよく聞く言葉が、にわかに自分ごとになってきた。

何しろ、私の43年でたった一度の妊娠と、祖母の96年でたった一度の死が、同じ時期に重なったのだ。「数奇なもの」を感じないほうがおかしいだろう。

 

「命のバトン」とは、産んでくれた人、育ててくれた人があって今の私があり、そんな私が今、産む人になり、育てる人になろうとしていること、だとする。

私の母は母に違いないが、その母として祖母がいて、母がピンチのときには常に来て母代わりをしてくれた。この1ヶ月間、おばあちゃんを想ってはしょっちゅう泣いてたが、その涙の正体は、「育ててもらった」という、その実感に違いない。

 

午後12:30ごろ、火葬されたおばあちゃんが、骨になって出てきた。

おばあちゃんの肉体が消えた。それは悲しかったけれど、と同時に「してもらったこと」は消えないということにも気づいた。

してもらったことの中には、私が幼すぎて覚えていないこともあるだろう。口に出す人ではなかったが、娘である母を助けると同時に、孫である私を大切に想い、関わってくれたに違いない。

「命のバトン」とは、産み、育てるという行為だけでなく、その根底にある「想い」を繋いでいくことなのだろうか。おばあちゃんは命を懸けて、それを教えてくれたのだろうか。

真偽のほどは分からないけど、きっとそうだと信じて、私も繋いでいきたいと思った。