映画『ソワレ』と、共にいるということ

映画『ソワレ』を見てきた。

終演後、拍手しそうになったけど、「あ、映画は拍手しないんだっけ」と手を引っ込めた。

ソワレ」で製作に徹した豊原功補&小泉今日子、日本映画への熱情 : 映画ニュース - 映画.com

ある事情から、逃亡することになった男と女。

未来のない、いわゆる「負け組」側にいる、孤独な若い男と女だ。

頼りない二人が支え合ったところで所詮は頼りなく、「人」という字が支え合わない。すぐにでも共倒れしてしまいそうな、危なっかしい道中。

一歩でも踏み外せば堕ちる。

それでも「共にいる」ということ………。

 

人が発する温度だとか音だとか、言葉のように頭で発し処理される以外の「存在」的なものに身を委ねたくなる作品。

思考でぐちゃーっとなった頭に、効く。

 

印象に残ったのはマニキュアのシーン。女の子「だから」辛い目にあってきた主人公が、女の子「だから」大切にされる喜びを知ったシーン。

気になったのはホースのシーン。まだあるはずだと信じていた母子の愛が、そこに残った水のように「切れた」瞬間だったのか。

それから神社のシーンで見せた険しい表情は………。

 

などなど、気になるシーンの応酬からは片時も目が離せず、製作者、演者と観客との間に一種の緊張関係がある気がする。

ところがその背景には、和歌山のゆったりとした海の姿や波の音。混線する思考を、それが優しく良い具合にかき消してくれた。

 

二本立てにするなら、同じく逃亡劇である『八日目の蝉』一択で。