映画『ソワレ』を見てきた。
終演後、拍手しそうになったけど、「あ、映画は拍手しないんだっけ」と手を引っ込めた。
ある事情から、逃亡することになった男と女。
未来のない、いわゆる「負け組」側にいる、孤独な若い男と女だ。
頼りない二人が支え合ったところで所詮は頼りなく、「人」という字が支え合わない。すぐにでも共倒れしてしまいそうな、危なっかしい道中。
一歩でも踏み外せば堕ちる。
それでも「共にいる」ということ………。
人が発する温度だとか音だとか、言葉のように頭で発し処理される以外の「存在」的なものに身を委ねたくなる作品。
思考でぐちゃーっとなった頭に、効く。
印象に残ったのはマニキュアのシーン。女の子「だから」辛い目にあってきた主人公が、女の子「だから」大切にされる喜びを知ったシーン。
気になったのはホースのシーン。まだあるはずだと信じていた母子の愛が、そこに残った水のように「切れた」瞬間だったのか。
それから神社のシーンで見せた険しい表情は………。
などなど、気になるシーンの応酬からは片時も目が離せず、製作者、演者と観客との間に一種の緊張関係がある気がする。
ところがその背景には、和歌山のゆったりとした海の姿や波の音。混線する思考を、それが優しく良い具合にかき消してくれた。
二本立てにするなら、同じく逃亡劇である『八日目の蝉』一択で。