ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

40代の幕開け -A子が来た編-

4/19で、40才になりました。

年明け早々バタバタです。4/22には、東京で仲良しだった、A子ちゃんが遊びに来てくれました。

 

A子ちゃんは5月から岐阜で「猟師」になるそう。一足早く移住した私からすると、「おっ!いらっしゃっいませ〜」って感じです。

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それにしても滞在中、ジビエばっかり食べたがるA子…!

「篠山でも猪を食べるでしょうが、岐阜では豚コレラが起きたので、獲っても売ることができないんです」とか何とか、東京では決して口にすることのなかった「猟師あるある」を喋るようになった。すっかり猟師ではないか!

来たる田舎暮らしに関しては、「運転」を不安がっているA子。そこに3ヶ月前の自分を見た私は、ガソリンスタンドで「セルフ給油」を練習させてあげました。

私には、こんなことしかできないけど…、頑張れ、A子ちゃん!!!

40代の幕開け -親子編-

4/19で、40才になりました。

年明け早々バタバタです。4/20-21には、熱海から母が、岡山から兄が来てくれて、平均年齢高めの家族旅行となりました。

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1日目は篠山を案内。

丹波焼」を見た後、近くの温泉「やすらぎの郷」へ。兄はマッサージまで受けて体力回復。その後「いわや」の山菜鍋でますます元気に。

夜は古民家宿「やなぎ」へ。TV見る族たちは暇そうだったが、兄が見つけてきた「将棋」で、子供時代の気分に戻る。


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2日目は京都へ。

といっても、京都市の山奥にある「常照皇寺」。仏門に入りたくなるほど静謐な空間。

その後、市内へ下って(上って?)「仁和寺」の桜と「東寺」の骨董市を見物。蝶柄の浴衣を800円で購入した。


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この2日間について、書き残したいことは2つ。

・家族の愛情

「誕生日おめでとう!」なんて口にするほど愛嬌のある人たちではないが、わざわざ来てくれるという行動から、こちらが感じ取るべきだろう。

新天地でのアウェイ感はまだまだあるので、「私には愛を受ける資格がある」という感覚を得られたのは大きかった。

・母の加齢

出会ったときには「お姉さん(30才)」だった人が、すっかり「お婆さん(70才)」になってきた。すぐ忘れる、勘違いする、ぼーっとする、などなど。

桐島かれんによると、40才は人生の正午らしいが、それでいうと70才は午後9時。新幹線でちゃんと帰り着いたか、初めて心配になって連絡した。

 

ということで、人生は続く。

40代の幕開け -ビール醸造編-

4/19で、40才になりました。

年明け早々(正確にはその前日から)バタバタです。4/18-19には、醸造設備の試運転、及び操作方法のレクチャーを受けました。

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レクチャーしてくださったのは、設備を設計、搬入してくださったB社のMさん。会うのはこれで2回目ですが、ビールのプロとしての「誇り」に、感動だらけの2日間でした!

何が素晴らしいって、内に秘めた熱い想いと、その現れとしての仕事ぶりっていうんでしょうか。

曰く、クラフトビールを日本にもっと普及させるため、職人として作り続けるのではなく、醸造設備という「環境」作りにその経験を活かすことにしたんだそう。

 

…って、言葉で書いても分からないじゃないですか。

いや、きっとこれ、体験しないと分からないんですよ。

何が素晴らしいって、その、醸造作業がしやすいように、考え抜かれた設備設計!

試運転の最中に、設備を見守る親のような眼差し!

そして、ビールの味やマーケット、本場ドイツのことなどを語るときの表情!

そんなところに、いちいち感動してしまったのです。この人、プロだと。

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ちなみに上司からは「(私のような)素人でもビールが作れる設備を入れて」ってオーダーを受けたらしい。だから、このようになっているらしい。

…だけど、それだけじゃない何かを感じたんです。

プロであるために、「一連托生」でいてくれるっていうのか、よく分からないけど。

 

というわけで、40代の幕開けは、意外となかなか良い感じ。

私も仕事に感動を!ってほど能力高くないけど、今よりもう少しマシな大人にはなりたいものです。

1週間チャレンジ -運動-

暮らしに刺激が足りないので、1週間チャレンジをしています。

第2週は「運動」。ジョギング風景撮ってみます。

今週は忙しいけど、できるかな???

4/16


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4/17


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4/18→×

4/19→×

4/20→×

4/21→×

4/22→×

Baird Beer「Numazu Lagar」

本日も、農作業後のビール研究。

体を動かした後→定番のビールが欲しくなる→Numazu Lagarを選びました。

ベアード・ビールの創業地は沼津。その地名を冠したラガーということは、定番中の定番なんだろうなぁ!と口にしてみたら、

定番だった!

いや、定番というよりも、定番+ベアードさんの特徴である「酵母感」です。花やかな「フルーティーさ」や突き抜けるような「爽快感」、長く口に残って欲しい「重み」といった個性はないです。

うだうだとごめんなさい。要するに、同じ定番でも、Rising Sunのほうが好きなのです。 tokyo100k.hatenablog.jp

 パンフレットによると、「ソフトで丸みがあり後味はクリーン」とのこと。

「ソフトで丸み」が、農作業後の私にフィットしなかったのかも。

まったりと「こたつで食べる白身魚の鍋」なら合うでしょう。

朝顔の種

東京で仲良しだった某氏から、「朝顔の種」が届いた。

某氏が育てて取ったもので、前にももらったが失くしたので、再送してもらったのだ。

 

それぞれの場所で、同じ種を育てる。

たとえ場所は離れていても、同じ花を楽しみたくて。

 

平成も終わるっていうこの時代に、我ながらレトロな趣味だが、

「繋がり」なんて目に見えないから、「あるかないか」より「感じるか感じないか」だから、

朝顔という「目に見えるもの」に、それを投影したかったのかもしれない。

 

たかが花、されど花。

朝顔が綺麗ですね」って、まるで夏目漱石じゃないか。

1週間チャレンジ -健康食-

暮らしに刺激が足りないので、1週間チャレンジを始めてみます。

第1週は「健康食」。

写真撮って載っけるだけですが、継続して習慣にしたい!

4/9

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4/10

BREATH&ROYさんで買った「デカンショねぎ味噌」を食べるために適当に作った炒め物(右)が、思いの外めちゃくちゃ旨い。


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4/11

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4/12

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4/13

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4/14

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4/15


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《気づき》

せっかく料理するんだから、地産地消してみようとか、素敵な食器で食べてみようとか、小さな欲が出てきて楽しい。

わざとじゃないけど、肉をほとんど食べなかった(最後は反動出てるが)。

脂っぽいものを受けつけなくなったのは、年か、それとも健康になったか。

世界は自分の応援団だ

と考えたほうが、人生は巧く泳げるのかもしれない。

独りで戦う必要はない、という意味でもある。

 

2019/4/19(金)で40才になりました。

ビールの「商談」がぼちぼち始まりまして、「営業」を得意としない私のこと、緊張が続くわけですが、その中で、冒頭のようなことを感じました。

ありがたいことに、人は、相談すれば協力してくれる。逆に、できもしないのに相談しなければ、会社にとって損害なのです。

しかしですね、40才にもなると、「もっとできるはずだ、自分!」って意味のないプライドが働くわけで、だけど結局のところ、巧くなんてできないわけで。

 

そんなときの心持ちとして、「世界は自分の応援団だ」と、信じてしまう。思い込んでしまう。

成果に拍車がかかるなら、本当にそうかなんて関係なく、私もハッピー、あなたもハッピー。そんな結果が待っている、はず。

 

40才になった今、目指したいのはこんな人です。

ありきたりな表現なら、肩の力が抜けている人。もっと正確にいうなら、自分の弱さを認められる人。

本当に守りたいもののために、捨てても良いものは捨てる。

私もハッピー、あなたもハッピー。これが私のハッピーなので。

40年間ふりかえり -30代-

こんばんは。

短期集中連載もいよいよ最終回のゆかこです。

30代はねぇー、前半だけふりかえりましょう。そうしましょう。

後半は進行中案件も多く、書きづらいのでパスします!

30代前半

27才にしてリクルートに迷い込んだ私。

2009(平成21)年、30才になる前後で部署異動があり、「リクルートらしい」暮らしに突入してしまいました。

どんな暮らしかというと、朝から晩まで真剣に働き、21時に飲み会スタート。「南天玉」で終電逃し、27時にタクシー帰り。

っていう、今考えれば、その頃がちょうど「終わりの始まり」でした。

猛烈に楽しい私と、イマイチだった彼との間に深刻な溝が生まれ、日夜喧嘩が絶えず、生理的にも受け容れ難くなり、2011(平成23)年の3.11震災を機に、4年に及ぶ暮らしは幕を閉じたのでした。

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とはいえ、悲壮感漂ってたのは2ヶ月ぐらい。

その後は文京区に移り住み、あんなことやあんなことや、あんなことが起きるわけです。

結婚の呪縛さえなければ、全体的に楽しかった。

tokyo100k.hatenablog.jp

というわけで、ふりかえってみた40年。

前半戦は総じて楽しく、右肩上がりで来れました。後半戦も右肩上がりに、ますます充実の人生を!

 

ちなみに、本連載の桜写真は、「ささやまの森公園」で4/15に撮影。

 

♫篠山良いとこ、1度は来てね〜。

40年間ふりかえり -20代-

こんにちは。

「黄昏流星群」は10巻まで読みましたゆかこです。

さて、あと数日で40才。「人生の折り返し地点」を迎えるということで、40年間ふりかえりはいよいよ20代に入りました。佳境です!

20代前半

私が20才になったのは、1999(平成11)年。GLAYとかモーニング娘。とかが売れていたみたいです。宇多田ヒカルのデビューもこの頃。

私は東京の法政大学に入り、サークルとアルバイトと、ときどきの旅行とに明け暮れておりました。

彼氏ができたのは大学1年のとき。あっ、正確には19才だけど、今は亡き学生会館のベランダで、サークルの先輩に告白したのでした。いくえみ綾の漫画と同じセリフで!

初めてのアルバイトは「ルノアール」。私は奥田民生が好きだったので、そのレコード会社の近くにいれば、きっと会える!と信じていたのです。結局、会えた有名人はイジリー岡田だけだったけど。

初めての旅行は「青春18きっぷ」で日本縦断。もう一生電車乗りたくないぐらい乗った。確か↑告白する直前だったので、成功を祈願して、札幌でピアス開けたっけ!

やることなすことカワイイやないか!

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はっ…大学1年だけでこんなに書いてしまった。

その後、大学は普通に卒業して、普通に就職するのだが、新卒の年は(私なりに)モテた!

えっ、どうしてこんなに爽やかで有能な男子が?ということもあったけど、その頃は謎に真面目だったため、チキショー!デートすらしなかったのだ。

私が「黄昏流星群」に出るなら、この人とだけはデートしたい。

20代後半

人生の針が(良い意味で)狂い出したのは、25才になった2004(平成16)年。一青窈の「ハナミズキ」がヒットしたらしいけど、この頃はもう音楽を聴いていなかった。

さて、何が狂ったかというと、親の反対を押し切って、韓国に渡ったのである。「冬ソナ」は別に関係なく。

そもそものきっかけは、卒業旅行で行った台湾。親日的な台湾人たちにもの凄く親日的にされ、「親日家を増やす仕事」として、日本語教員を志したのだ。

ところが、当時の日本語市場において、台湾=幼稚園での日本語教育。大人に教えたかった私は、韓国へ行くことになったのです。

累計1年7ヶ月に及んだ韓国滞在は、苦しさ8割楽しさ2割みたいな感じだったけど、その2割が猛烈に素晴らしかった。

言葉より、心の通じる素晴らしさ。

それが私の「礎」になったというか、今の私が今みたいに「常識を気にせず、共感で動く」大人になったのは、全てここが起点でしょう。「正しい」かどうかは分かりませんけどw

 

で、27才で韓国から戻り、その頃は結婚を考え、同棲なんかもしてました。

仕事はたまたまリクルートに入り、何が何でも18時に退勤(事務職だった)。一緒に夕飯を食べたりして、それなりに楽しい暮らしだったが…。

今考えれば、リクルートさんがそんな「平穏な暮らし」させてくれるはずなかったのだ。

 

30代へ続く。