あるメルマガで、タイムリーな文章が目に入ってきた。
タイトルは『ファンタジーな夢とリアルな夢』。
メルマガにはこう書かれていた。
ファンタジーな夢は、
叶うことではなく見ることが目的
本当に叶うリアルな夢には、
「店舗の費用にはいくらかかるのか?」
「資金はどうするのか?」
「何を売るのか?」
「立地はどうか?」
といった現実的な問いが立つはずだが、
ファンタジーな夢だけを語る人は、
ドロ臭いことには目を向けない
とある。
とても納得した。
私は、ファンタジーな夢を見るのが苦手だ。
仕事で疲れ果てたとき、書いたウィッシュリストは「自炊したい」とか「ごろごろしたい」とか、明日にでもできそうなものばかりだった。
できそうにないことを、考える能力がないのである。
だからこそ、ファンタジーな夢に憧れがあった。
素敵だと感じるものに自分でも関われたら素敵。
…という意味で、今年ここで過ごせたことには大きな価値を感じている。
私が今年学んだのは、
ファンタジーな夢が叶うとき、そこには血の滲むような努力と、奇跡のような現実の引き寄せが「セットで」ある、ということ。
私は挫折してしまったけれど、自分なりには血が滲んでいたし、奇跡の兆しのようなものも、見ることができた。
今年起きたことは、綺麗にまとめればこういうことだ。
ここで出会ったのは、ファンタジーな夢を見られる人たち。できるできないの判断より夢を見る力に長けている人たち。←悪口ではありません
故に、奇跡のような現実を引き寄せることもあれば、努力するだけして出血死することもあるだろう。
一番悪いのは、できない理由ばかり考えて、夢そのものを縮小してしまうことだ。
たかがファンタジーだと腐してしまうことだ。
ここに来るまでの私が、そうだったように。ここを去っても油断すれば、そうなってしまうように。
『ファンタジーをリアルにしていく。』
ステップの高ささえ誤らなければ、夢は恐れるに足りないのかもしれない。
ま、そのファンタジー度合いには…驚いたけど。←本音