ゆかこの部屋

小さな幸せを集めて貯めるblog

生後1ヶ月になりました

2023年6月17日。

5月17日に生まれた赤ちゃんが、「新生児」を卒業しました。

3kgだった体重は既に4kgを超え、ミルクの量もとっくに、新生児水準ではなくなりました。

助産師さんによると「成長が早い」そうで、確かに育児書を見ると、1ヶ月や2ヶ月で見られる生態が、もっと早くから確認できています。「両親が高齢だから早く成長してほしい」という願いが、通じたわけではないでしょうが。

母体はというと、産後うつ的なメソメソが2回はあったものの、連日の寝不足には何となく慣れたし、帝王切開の傷も、気づけば鎮痛剤なしで良くなりました。妊婦の名残を感じるのは、ぼてっと出たままの下腹部ぐらい。

兎にも角にも、落としたり飢えさせたりすることなく、1ヶ月は育てきった。一番の功労者は実家の母でしょうが、このご恩はきっと、子が「かわいさ」で返すはずです。

さて、新生児を育ててみて感じたのは、その成長がまさに日進月歩だということ。最初は「泣く、飲む、寝る、出す」しかできなかった子が、日々人間らしく成長し、さまざまな生態を見せてくれました。

その生態の多くは、忘れたくない、覚えておきたい、将来本人に聞かせたいもの。ということで今回は、特に印象的だった生態を書き残しておくことにします。

・真夜中の変顔大会

入院生活が辛かったことは前にも書きましたが、唯一心から笑ったのは、退院前夜のことでした。

それは深夜1時か2時。生まれたての赤ちゃんは夜行性だから寝ない…どころか、その目は、昼間にはなかった輝きを放っています。「どうせ明日退院だし、せっかくだから見届けてやろう。」そう思い眠い目をこすっていたら、突然の「変顔大会」が始まったのでした。

「あっかんべー」をしたり、「にやり」と口角を上げたり、舌を謎の形に動かしてみたり、生後4日間のどこで覚えたんだ?というぐらい、さまざまな表情を見せ、しかもそれが面白い。

私の子は、「せんとくん」または「ビリケンさん」に似ているのですが(関西の童子像系?)、そのクールな顔立ちからは想像のできない百面相ぶりに、寝不足のママはもう肩の震えが止まりません。

この生態はその後1回しか見られなかったので、見たのは恐らく私だけなのでしょうが、今後この子と生きていくことが楽しみになった瞬間でもありました。

おちょぼ口と乳首の戦い

変顔大会と同率1位に輝いたのは、おっぱいを吸うときの攻防です。何と戦っているかというと、赤ちゃんの小さな口と私の大きな乳首です。

私の乳首は、実家の母曰く「エアーズ・ロック」型。陥没こそしていないものの扁平で固くて、授乳に適した形ではありません。ところがそれを吸おうとするのだから、赤ちゃんはもう必死なのです。

まず、これ以上開けられない!というぐらいに大きな口を開ける。次に、顔を左右に素早く振って乳首の進入角度を調整する。仕上げに舌を巻きつければセット完了!

…のはずが、大体途中で挫折して、泣く。泣くとますます入りにくくなるので、もっと泣く。この世の終わりかってぐらい泣く。

最終的には顔を真っ赤にして「ふんぎゃー!」と叫びながら乳首に吸いつくわけですが、このいじらしさが、「NO CHIKUBI, NO LIFE」とでもいわんばかりの形相が、もう可哀想を通り越し、面白くて仕方ないのです。

最近は口が大きくなり、ぱくっと咥えれば済んでしまうため、こんな攻防劇も貴重な記憶となりそうです。

・リアルタイムうんち

赤ちゃんがいれば毎日目にすることになるもの。その一つが「肛門」ですが、私はその形が「*」であることを、育児して初めて知りました。

初めてといえば、初めて目にしたのが「うんちの出てくる瞬間」です。ある日、おむつを替えようとしたとき、黄色いかぼちゃサラダのようなうんちが、*からもりもりと溢れてきたのです。

それはシュークリームから漏れだすクリームなようであり、ソーセージの機械から出る挽肉のようでもあり、思わず「おおお…」と眺めてしまうほどの躍動感。「排泄」は大人でも毎日するものですが、といこんなにダイナミックなものだったとは、今の今まで知りませんでした。

 

というわけで、「育児」というより「飼育」に近かった気もする1ヶ月。

夜中に泣き声が聞こえれば、痛むお腹を押し押し、覗きこんだベットの中。手も足も出ずあたふたするときは、まるで野球のマウンドのように、大人全員がわらわら集まってくる。

そんなチームワークにも支えられた1ヶ月は、「しんどさ」よりも「面白さ」のほうが少しだけ優る1ヶ月でした。

この子に関わるのが今後云十年だとして、この1ヶ月は序章も序章。箱根駅伝に例えればまだ大手町でしょうが、ときに手を抜き息を抜き、長丁場をできるだけ楽しみたいものです。

ありがとう、赤ちゃん。